ショートプログラム5位という苦しいスタートから、フリーで世界歴代最高得点を叩き出し、世紀の大逆転で金メダルをその手に掴んだ“りくりゅう”こと三浦璃来&木原龍一ペア。前回の北京五輪では優勝候補と目されながら7位に終わり涙をのんでいたが、見事なリベンジを果たした。

4年前、本誌はそんな2人がペアを結成するまでの“原点”を取材していた。今、改めてお届きするーー(『女性自身』22年3月1日・8日合併号掲載記事・年齢は掲載当時のママ)

日本勢の健闘が続く北京五輪。フィギュアスケート団体戦で、日本は初の銅メダルを獲得した。その原動力のひとつが、話題沸騰の“りくりゅう”ペアだ。

2月7日、メダル確定の一報に、「うわ、やった~!」と喜んだ三浦璃来(20)と、「とりあえずメダルは取れた……」と胸をなで下ろした木原龍一(29)の2人。一躍日本中が注目する存在となった“りくりゅう”の原点とはーー。

本誌記者が向かったのは、兵庫県宝塚市にある三浦の故郷。三浦家は、両親と祖父母、妹の6人家族だ。近所に住む祖母の友人は、三浦の印象についてこう語る。

「5歳のころからスケートを始めた璃来ちゃんは、よく家の前でジャンプの練習をしていましたよ」

木原とペアを組んだのは、三浦が17歳のころだった。友人は、祖母からこんな話を聞いていた。

「ペアを組んだころ、璃来ちゃんはおばあちゃんに、木原くんからかけられたいろんな言葉を報告していました。

『僕のことを好きにならなくていいよ』と、木原くんは彼女に告げていたそうなのです」

ペアで滑ることは、恋人同士のような表情を作ることを時として求められる。抱き合ったり、見つめ合ったり……。実際に、夫婦で組むケースも少なくない。

「当時の璃来ちゃんは、“本当に好きにならなきゃ”って思い詰めてしまうこともある年ごろ。木原くんは“そんなことしなくていいよ”と気遣ってくれているのねと、おばあちゃんと話したことがありました」(前出・祖母の友人)

だが、ペアが始動する直前の木原は絶望の淵にあったーー。

「2019年1月に、木原は練習中に負傷し、2カ月後の世界選手権を欠場。同年春には、当時の須崎海羽とのペアも解消してしまったのです」(スポーツ紙記者)

拠点としていた米国から帰国した失意の木原は、鈴木明子(36)や宇野昌磨(24)など多くのスケート選手が技を磨いた名古屋市の「邦和スポーツランド」でアルバイトを始めた。同施設スタッフの飯岡裕輔さんは、こう振り返る。

「バイトに入ったころ、龍一くんは肩も痛めていて、とても演技に身が入る状態ではありませんでした。『同級生は社会に出てバリバリ仕事してるのに、俺はスケートしかしてない……』とこぼしていたことが今も忘れられません」

そんなとき、アイスダンスの小松原美里に紹介され、三浦が邦和スポーツランドを訪ねてきた。彼女も、当時ペアを解消した直後で、新たなパートナーを探していた。

■運命の出会いだった

「7月末に、彼女がここに来て、龍一くんとトライアウトを行いました。

彼は、『三浦さんは、リフトで投げられるときに、まったく体がこわばらない』と言っていました。これまでのパートナーにはないものを感じたのでしょうね。

8月に入ってすぐにペアを結成することになり、とんとん拍子で2人はコーチのいるカナダに旅立っていきました」(飯岡さん)

木原の“始まりの言葉”の意図を、飯岡さんはこう解釈する。

「小さな子どもがリンクにいれば、龍一くんは必ずしゃがんで、視線を同じ高さにして話します。彼は本当に素直な性格で、三浦さんへの『好きにならなくてもいいよ』という言葉も、気遣いというより、本音でそう言っていたのだと思います。

三浦さんと感じたことを素直に言い合えて、ストレートに心を通わせているからこそ、よりよい演技に結びついているのでしょう。

昨年夏に一時帰国したときには、龍一くんは“璃来ちゃん”と呼ぶようになっていて、いいペアになったなと感じましたね」

ペア結成から時を経て、次第に三浦が、木原を尻に敷いているように見えてきたという。

「会見でのやり取りを見ていると、三浦さんが“姉さん女房”のような雰囲気がありました。龍一くんはおっとりしていて、三浦さんはしっかり者のようですから。

五輪が終わったら、ふだんはどっちがリードしているのか、本当のところ2人の関係はどうなのって、龍一くんにちゃんと聞いてみたいと思います(笑)」(飯岡さん)

個人戦でもメダルへの期待が高まる“りくりゅう”ペアだが、2人の絆の行方はもっと気になる!

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