KAT-TUNの最後のコンサートが11月8日だったんですよ。その日に、赤西くんが会場に見に来てくれた。

KAT-TUNの最後の時間をライブで送れたという最高の時間だったんですけど。そのあとに、赤西くんと1杯飲もうかっていうことになったんです。僕と赤西くんで、ライブの後に2人で待ち合わせをして……」

3月12日に放送されたバラエティ番組『ぐるぐるナインティナイン2時間SP』(日本テレビ系)で、元KAT-TUNの盟友・赤西仁(41)との交流について語ったのは亀梨和也(40)。

2人が所属していたKAT-TUNは01年に結成され、’06年にCDデビュー。たちまちブレイクするも、赤西、田中聖(40)、田口淳之介(40)が脱退し、’16年4月から昨年3月31日に解散するまでは亀梨、上田竜也(42)、中丸雄一(42)の3人で活動していた。

昨年11月8日、解散後に異例のラストライブを開催し、約25年の歴史に幕を閉じたKAT-TUNだが、「解散に至るまでには複雑な事情があったそうです」と音楽関係者は言う。

「昨年2月にKAT-TUNの解散が発表された際、事務所からのコメントに《KAT-TUNの看板を下ろし、それぞれの道を選ぶ形の方が今後のメンバーにとってより良いと会社として判断いたしました。》とあったことから、《解散は“事務所主導”でメンバーたちは望んでいなかったのでは》といった憶測がネット上で飛び交いました」

解散の真相とは――。亀梨は『Myojo』’26年4月号に掲載されたインタビュー記事でKAT-TUN解散について言及していた。

《メンバーだけの会話の中で解散という言葉は出たことなかったから。今後、どうやってKAT-TUNを進めていこうって会社やスタッフを交えた話し合いの中で、そのワードが出て。ただ僕を含めメンバーが、断固拒否したわけではないというのも事実で。

だから解散は誰のせいでもないっていうか。(中略) 最初に解散っていうワードが出てきたときは衝撃だったってことかな》

KAT-TUNに何があったのか――。前出の音楽関係者が続ける。

「KAT-TUNはデビュー曲からCDシングル連続1位獲得の記録を持っています。これはSMAPも成し遂げておらず、メンバーにとっては誇りだったそうです。

しかし、レコード会社や事務所関係者らは、“連続1位記録”の更新にこだわるよりもコンスタントに楽曲を発表することを重要視していたと聞いています。

KAT-TUNであっても、確実に1位を獲ることは簡単ではなく、`21年9月に出した両A面シングル『We Just Go Hard feat. AK-69 / EUPHORIA』でデビューから29作連続での1位を獲得して以降、デジタルシングルは出していますが、シングルCDは出せていませんでした。

“デビューの時から築き上げてきた記録を途切れさせたくない”という3人の強い希望と、制作側の意見が合致しなかったそうです。

メンバーとしても、華々しい記録を維持し続けることがプレッシャーになっていたのかもしれません。最終的には、解散という結論にまとまったと聞いています」

KAT-TUN解散には、デビュー時から紡いできた“輝かしい記録”が影響していたのかもしれない。

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