【前編】「21歳のパパのカノジョと相部屋に」手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫 伝説漫画家の子供たちが暴露!衝撃的すぎた“幼少期エピソード”から続く

トキワ荘での日々を描いた『まんが道』(藤子不二雄A)が、ドラマ化(1986年、NHK)された際、丈さんは父である「石森章太郎役」を演じている。

丈:トキワ荘メンバーたちが銀座のバーで飲んでいるとき、キャスティングでの議論があったんです。

それで父が「オレ役は、いい男が演じなければ、名前を貸さない」と言い出すと、藤子A先生は「石森、絶対にお前が文句を言わない役者を選ぶ」と言って決まったのが、ボク。

手:それなら文句の言いようがないですよね(笑)。父親の役作りってどうしたんですか?

丈:仕事をする父を観察して気づいたのは、机に向かっている姿ばかりで、かなり無口だということ。特徴をむのは難しかったです。

赤:石ノ森先生とは、父の画業25周年のパーティでもお会いしました。ニコニコ笑って「大きくなったねえ、元気か?」と言ってくれたのを、すごく覚えています。

手:私も父の没後、父のことを知りたくて石ノ森先生や赤塚先生にお目にかかりました。赤塚先生には「ホテルに行こうか?」って誘われたけど(笑)。

赤:パパが、ごめんね(笑)。うちの近所の「夕鶴」でしょ?

手:そう。手塚治虫の娘ということで、私ごときに皆さんが親切にしてくれる半面、遠慮もされるの。赤塚先生はそこを飛び越えてくるので、逆にうれしかった。

赤:すぐ誘っちゃうんだよね。パパが来客の女性と怪しい消え方をしたときに「夕鶴」に電話すると「いらっしゃってますよ」って(笑)。眞知子さん(赤塚さんの再婚相手)やうちの母(登茂子さん)、私たち3人は仲がよかったから、そんな話で盛り上がりました。

手:すごい家庭よね。私は反抗期が長くて、手塚治虫と関係ない自分でいたかった。父の画業40年のパーティがあった時も、わざと当時のカレシや友達と出席して、家族と離れた場所で、赤の他人のふりをしてたの。だから、そのときの写真には私は写っていないんです。

それに母とはずっといさかいが絶えず、衝突するたびに父が仲介に入っていたんです。手塚の家を出たくて社会人になってすぐに結婚すると言ったときも、母は「若すぎる」って大反対。

丈:それで?

手:“このまま反対したら、るみ子は駆け落ちする”と考えた父は、母を説得して同棲だけは認めてくれました。夜中にボーイフレンドの留守電に「手塚治虫だが、男同士2人きりで話そう」とメッセージが残っていたんです。

丈:手塚先生の直電では、かなりビビりますよね。

手:「わがままで、とんでもない娘のるみ子がまともになれば、結婚を許す」って言ってくれたそう。

赤:石ノ森先生は、丈さんが俳優になることは許してくれたんですか?

丈:父は、「公務員になれ」という祖父の声を聞かず、上京してトキワ荘に転がり込んだ人生だから“自分のやりたいことは存分にやれ”“一人の力で生きていけ”という考え。

その代わり、ボクの仕事に対しては、一切、口を挟みませんでした。唯一、父原作の『HOTEL』がドラマ化(1990年、TBS系)された際、主役の髙嶋政伸君のコンビ役にされたときは「1回だけチャンスを与える」と言われました。

そんな父がある会合に出席するために訪れたホテルで、ボクにそっくりのベルボーイを見たみたいなんです。で、勘違いした父からは「丈、バイトまでして役作りしているなんて、偉いな」と感心されたんです(笑)。勘違いさせたままの方がよかったかもしれないですね。

手:今、丈さんは脚本を書かれたり、プロデューサー業もされているから、今後、石ノ森先生の作品に携わったりするんですか?

丈:短編を映像化してみたいですね。

一方で「サイボーグ009」が未完だったものだから、2014年には「完結編を書けるのは君しかない」と依頼がありました。構想ノートはあったのですが、字がきったなくて読めない(笑)。

父の担当編集者に解読してもらったり、ノートにない部分は自分で創作して、完結編の原作を担当したんです。

手:うちの兄も『ばるぼら』や『ブラック・ジャック』の監督をしていますからね。

否定的な意見もあるけど、身内だからこそ、できることもあるはず。

赤:手塚先生も石ノ森先生も喜んでいるはずですよ。ところで丈さんはお父様とトキワ荘時代のお話をすることはあったんですか。

丈:うちは時々話してくれて。赤塚先生は破天荒なイメージだけど、父は「すごく真面目でシャイで、色白のいい男だった」って言っていました。

赤:根は真面目で常識人なんです。シャイだから、人と会話するにもお酒を飲まないとだめ。

50歳を過ぎて仕事量も減ると、お酒の量が増えていきました。アルコール依存症で体はボロボロで、2002年には脳内出血で倒れて、6年間、病院生活。父の闘病中に眞知子さんが亡くなり、その2年後、母も亡くなり、その3日後には父も……。

手:あのときは大変だったよね。

赤:言葉では表現できないほどの悲しみに襲われていたとき、両親の祭壇に供えてあった赤塚不二夫のムック本を手に取ると、『鉄腕アトムなのだ!!?』という漫画が目に入って……。

るみ子さん、勝手にごめんね。

手:いいの、いいの。

赤:でも、それがすごくくだらなくて、声を上げて笑ってしまったんです。悲しみのどん底から、父が引き上げてくれたんですね。

丈:ボクの父も、悪性リンパ腫で5~6年もの闘病生活を送りましたが、創作意欲はあって、いつもアイデアを練っていました。

危篤の知らせを聞いて病院にかけつけたとき、鬼のような形相で目を見開いていた父の姿が忘れられません。きっと眠ったら死ぬと思ったんでしょう。父にはもっと描きたい作品があって、悔しかったのだと思います。

手:うちの父も最期まで描きたい思いは持っていました。入院中の日記にも『トイレのピエタ』という作品の構想メモがあったし。

昏睡状態になってから、病室で父と初めて2人きりで過ごした時間があったのですが、『火の鳥』に象徴されるように、父の一大テーマは生と死。死にゆく父を見て、人は何のために生き、何のために死ぬのかを考えさせられました。

赤:手塚先生の死から、改めて作品を見返すようになったんですね。

手:ライオンのパンジャ、レオ、ルネの3世代を描いた『ジャングル大帝』が印象的で。物語のラスト、レオの生き方に反発して都会暮らしをしたルネが、挫折してジャングルに帰ったとき、亡くなったレオの毛皮を運ぶとすれ違って、ルネは父の匂いを感じるんです。

そこでヒゲオヤジがルネに「これからレオの話を聞かせよう」と語り出し、平原にレオの形をした入道雲が広がる。そんな映画のようなラストシーンが、まるで自分と重なるんです。

父や母に反抗して家を出たものの、父のことを知ろうとしたときには、父が亡くなっていましたから。

赤:うちのパパ、この話をするとワンワン泣き出すんですよ。

手:でも、私にはトキワ荘の先生方など、大勢のヒゲオヤジがいて父の話をしてくれる。今日は丈さんやりえ子さんにもお会いできたし。

赤:本当に。パパはトキワ荘時代に、石ノ森先生にいい音楽を聴かせてもらったり、映画に連れて行ってもらったり、仕事も手伝わせてもらったりして、すごくお世話になった。今日は丈さんにお礼ができてよかった!

丈:そもそもトキワ荘で父たちが集うことができたのは、手塚先生の存在があったからこそ。

手:手塚にとって、石ノ森先生や赤塚先生は最初のライバル。嫉妬に燃えて意地悪をしたこともあったみたいだけど(笑)。でも、こうして2世たちが出会うことができました。また皆さんで集まってお話ししたいですね。

丈&赤:ぜひお願いします。

※手塚治虫/手塚プロダクションの「塚」の、正しい表記は旧字体

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