“リアル陸王”は存在した!行田の40歳足袋店社長の奮闘の画像はこちら >>



高視聴率をキープする、池井戸潤原作、役所広司主演のドラマ『陸王』(TBS系)。舞台は埼玉県行田市

老舗足袋店社長が、衰退する足袋産業に新風を吹き込むために、ランニング足袋「陸王」を開発するという物語だ。



「たしかに江戸時代から行田は足袋の町として栄え、昭和13('38)年から30('55)年にかけてのピーク時には全国シェアの80%となる、年間8,500万足もの足袋を作っていました。職人だけでなく、生地や糸、ミシンを扱う関連企業が約200ありましたが、現在は12社、年間生産数も200万~300万足と激減しています」



こう危機感を募らせているのは、昭和4('29)年に創業した「きねや足袋」の3代目社長・中澤貴之さん(40)だ。中澤さんはドラマ同様のランニング足袋「KINEYA MUTEKI」を開発した。



「ドラマのモデルといわれますが、たまたまランニング用の足袋を開発したという共通点があるだけです。でも、ここにたどり着くまでは、苦労の連続でした」(中澤さん・以下同)



足袋の町・行田の復活に挑戦する“リアル陸王”の世界を追った。



中澤さんは「きねや足袋」に26歳で入社。ろくに足袋をはいたことすらなかった。



「靴は歩くときのサポートをして足を守りますが、足袋は素足に近く、本来の足の機能を十分に使うように作られています。足指が地面をつかむようにしっかりアーチができて、土踏まずを形作る。はき始めはふくらはぎが張ったりしますが、しだいに姿勢はよくなり、私自身は腰痛がなくなりました」



足袋の機能性に驚くとともに、もの作りの楽しさにも目覚めた。



「ミシンの使い方から覚えました。

足袋作りは、一つ一つが細かい作業です。昔ながらの職人さんから『目で覚えろ。いちいち聞くんじゃねえ』と怒られることもありました」



職人経験によって自社製品への愛情と自信が育まれ、営業の場で生かされた。



「ただし、現状は厳しい。どんなに売れる商品を作っても、せいぜい年間何百足の世界だし、値段も2000~3000円が限界。やってもやっても収益は上がらない。

これまでの足袋の発想に縛られず、新しい商品を開発しなければ、5年後、10年後に会社はつぶれてしまうと思い、焦っていました」



そんなときに偶然出会ったのが、はだしでフルマラソンを完走することで有名な鍼灸師・高岡尚司さん。



「はだし感覚で走れる足袋の発想を持っていて、私も“これだ”とすぐに開発することに決めたんです」



しかしランニング足袋となると、長年の職人から見れば邪道。「社長の倅が好き勝手にやっている」という反発もあるかもしれない。そのため当初は、父親にも内緒で、ごく限られたスタッフのみで開発に取り組んだ。



「通常のシューズはスポンジ系のソール(靴底)と、アッパー(足の甲を覆う靴の上部)を接着剤で接合します。しかしMUTEKIでは、ソールを軟らかい天然ゴムにして、アッパーには手で縫いつける。

こうしたこだわりで、しなりがよく、足との一体感が生まれる商品となりました」



'13年に新製品が完成。その数日前、これまで内緒にしていた2代目に新商品の完成を伝えると、いつも厳しい父親が「やりたいようにやりなさい」と認めてくれた。



「最初の2年は苦戦しましたが、徐々に知名度も上がって、今では年内の販売は予約すらお断りしている状況です。どんなにニーズがあっても、ものづくり、職人としてのこだわりがあるので、手間は惜しめません。大量生産は無理なんです」



MUTEKIを武器に、中沢さんは老舗の復活に邁進している。