誰がどう見てもほんと嫌な役だが、ドラマを見ていくと、それなりに憎めない人だとわかる。
本作のある場面で視聴者が仰ぎ見るディーン・フジオカが、なぜ尊いのか? 男性俳優の演技を独自視点で分析する“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が解説する。
専業主婦を揶揄する存在
結婚を機に専業主婦として家庭に入った主人公・村上詩穂(多部未華子)が、幼い娘を連れて児童館にやってくる。自分以外はママ友たちで輪を作って会話している。なかなか入れない。そんな詩穂と目が合い、育児と仕事をばりばり両立している(かに見える)長野礼子(江口のりこ)が話しかけてくれる。でも詩穂が専業主婦だと知った途端、鼻で笑う。礼子は専業主婦が今時珍しい「絶滅危惧種」であり、仕事をしながら育児する自分に比べて、気楽な存在だと思っているからである。
詩穂は美容師だった。あまり器用ではない性格を自認して、仕事ではなく家庭を選んだ。彼女なりの誠実な選択にもかかわらず、礼子以外にも専業主婦が時代にそぐわない「贅沢」だと揶揄する存在がいる。厚生労働省の官僚で、今は育児休暇中の中谷達也(ディーン・フジオカ)だ。
一見さわやかなパパ友に見えて……
娘の成長を穏やかに見つめる育児は幸せなことだけれど、一日の間に幼い娘以外の誰とも話さない詩穂は、さすがに誰か大人の話し相手がほしいと思っている。でも、その大人たちは自分を半ばバカにしてくる。中谷である。まだ会ったこともないというのに、どうして夢にでてきたのか。夢にまで見るほど、誰か大人を渇望しているからなのだが、夢の中の中谷も現実の中谷もかなり嫌な人である。
夢の中では詩穂を軽蔑するようにあからさまに見下ろしてくる。現実では一見さわやかなパパ友に見えて、ひたすら自分の価値観を押し付けてくる。中谷が本格的に登場する第2話の児童館の場面では、賃金が発生するわけではない主婦の家事を仕事ではないと輪をかけて言ってくる。鼻で笑ってきた礼子のほうがネチネチしていない分、まだましかもしれない。
増殖するディーン・フジオカ
詩穂と中谷はそれぞれ娘を連れて、公園の砂場で顔を合わせるようになる。子どもより熱心に砂のお城作りに励む中谷から、嫌になるくらい上から目線の高説を聞かされる。念願のパパ友だと思ったのに! 詩穂はたまらず叫ぶ。すると画面上には、詩穂が想像する世界として、中谷の顔写真だけが貼られた選挙ポスターが出現する。「中谷達也です」と音声としてもひたすらその名前が繰り返される。
第1話ではラスト近くの初登場場面で、パソコンに向かう中谷のワンショットが挿入され、さらに詩穂の夢に登場する見下したワンショットに過ぎなかった中谷だが、第2話からやたら存在感を主張してくる。
さらに中谷役のディーン・フジオカが、選挙ポスターによって、ビジュアルとしても音声としても記号化されるかのように増殖するというのが面白い。
ローアングルで仰ぎ見る尊さ
この増殖するディーン・フジオカのイメージは、本作だけではなく、現在公開中の映画『パリピ孔明 THE MOVIE』でも確認できる。向井理主演ドラマ『パリピ孔明』(フジテレビ系、2023年)の劇場版である同作でディーンが演じるのは、主人公・諸葛孔明(向井理)が仕える劉備である。映画冒頭から、孔明の夢の中に劉備が何度も登場する。ドラマ版冒頭でも、孔明に話しかける劉備の姿が何カットも増殖するようにフラッシュバックする場面がある。ローアングルの画面になっている、このフラッシュバック場面で視聴者は、孔明目線で劉備を仰ぎ見る姿勢になる。
『対岸の家事』の夢の場面も中谷を捉える極端なローアングルで描かれている。つまり、夢の中、ローアングルで仰ぎ見るディーン・フジオカが共通している。
中谷は、誰がどう見てもほんと嫌な役柄だけど、ローアングルでディーン・フジオカを見せられると、孔明が劉備を愛おしそうに「我が君」と慕っていたように、半ば錯覚して尊く思えてしまう。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
コラムニスト/アジア映画配給・宣伝プロデューサー/クラシック音楽監修
俳優の演技を独自視点で分析する“イケメン・サーチャー”として「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。