40歳を超えてから、スタートアップ企業である「令和トラベル」に転職。
でもそのキャリアチェンジの裏には、たくさんの葛藤や挑戦、そして「恥をかきながらも前に進む」覚悟がありました。
この連載「大木優紀の旅の恥はかき捨てて」では、その裏側にある想いや、キャリアチェンジしてから3年半の道のりを掘り下げていきます。
人生、第2章。等身大の大木優紀が語る「旅の恥はかき捨てて」

新卒でテレビ朝日に入社し、18年半アナウンサーを務めてきました。報道、スポーツ、バラエティと、さまざまなジャンルの番組に携わってきましたが、3年半前、40歳を超えてからスタートアップの旅行会社「令和トラベル」に転職しました。
今は、旅行アプリ『NEWT(ニュート)』の広報・PRと、コンテンツ制作・SNS運用などを統括しています。
40歳でキャリアチェンジをして、3年半。広報として、たくさんの情報を発信し、時には私自身がメディアでお話しする機会もいただきました。そして、アナウンサー時代もずっと“伝える”仕事をしてきました。
でも、そういった“伝えるべきことを伝える”のではなく、もっと自分自身が話したいことを、本音で、発信してみたいと思うようになり、今回音声メディア・Voicyと並行してこのコラムを書かせていただくことになりました。
タイトル「旅の恥はかき捨てて」からもあります通り、本当に恥の多い人生でした。特に今回のキャリアチェンジに関しては、たくさん恥をかきながら、ここまでやってきました、というのが正直なところです。
そんな私がリアルに感じてきた迷いや苦悩、そしてその中にあった仕事の楽しさ。さらに、唯一にして最大の趣味である「旅行」のことも含めて、ありのままをお伝えできたらと思っています。
アナウンサーとしての18年半、そこには確かな喜びがあった

思い返すと、毎日が刺激的で、新しい世界の連続でした。アナウンサーとひとことで言っても、携わる番組はスポーツ、報道、バラエティとジャンルはさまざまで、まるで社内で転職を繰り返すような感覚で、仕事をしていました。
飽きっぽい性格の私が、この仕事に飽きなかったのは、常に挑戦の場があったから。何より、周りの人たちに本当に恵まれていたからだと思います。
そして、本当に、アナウンサーという仕事が好きでした。
だからこそ「このままアナウンサーとして、テレビ番組の“名脇役”を目指していこう」と、一度はそう心に決めていました。
40歳で見えた、もうひとつの山

でも、時代は少しずつ変わっていって、私が40歳を迎えるころには、女性アナウンサーが番組でスパイスになるようなコーナーを持ったり、自分らしいリポートをしたりできる環境が整ってきていて、それで、私も番組の中で「名脇役」を演じていけたらと思ってたんです。
40歳の誕生日。ふと、自分が登ってきた山の頂に立っているような、そんな感覚になりました。目の前の景色が少し開けてきて、「これからは、自分で着地させていく人生になるんだな」と思ったんです。
いわゆる、ミッドライフクライシスのタイミングだったのかもしれません。
そんなことを考えながら、アナウンサーとしての自分らしさを見つけて、もう10年踏ん張っていこうとしていたある日、令和トラベルの代表・篠塚のnoteに出会ったんです。
そのnoteを読んだとき、「私には、もうひとつの人生があるのかもしれない」と思って。「こんな会社で働く、違う道があるかもしれない」と、まさに運命のように感じました。
それから1週間、じっくりと考えましたが、気持ちは変わりませんでした。そして、応募フォームからエントリーし、面接を経て、令和トラベルに入社することになったんです。
40歳で、しかもスタートアップ企業への転職。さらには、まったくの異業種という完全なキャリアチェンジ。
今思い返すと、本当に恐ろしい一歩でした。
飛び込んでみた、その先に見えた景色とは
あの頃の私は、「キャリアチェンジの怖さ」も「スタートアップの厳しさ」も何も見えず、ただワクワクしていました。具体的なビジョンがあったわけでもなく、スタートアップ企業がどういう場所なのかも、あまり想像できていなかったと思います。
収入も、アナウンサーと比べるとだいぶ減ることにはなりました。テレビ業界と旅行業界の違いや、スタートアップ企業というものを実感しましたが、そこは40代の強みがあったのかもしれません。ある程度の貯金や投資の知識、そして、家計をトータルで考えられるパートナーもいたので、ワクワクのブレーキになることはありませんでした。
ただ、働きはじめてみると、アナウンサー時代の仕事とのリズムの違いで体調を崩したり、マネジメントスキルがなく、意思決定をすることの難しさに直面したり。
そして何より、自分のスキル不足を痛感し、会社に貢献できている感覚が得られなかったことが、とてもつらく感じました。
今振り返れば、本当に想像力が足りない決断でした。
それでも、あのとき飛び込んでみたからこそ、見えた景色がある。
無謀だったかもしれないけど、あの決断が、私の旅を深く、豊かなものにしてくれた。
今は、心からそう思っています。
<文/大木優紀>
【大木優紀】
1980年生まれ。