渋川さんが芸能の仕事をスタートさせたのは19歳のとき。ファッションモデルとして活躍していた当時は「KEE」という名前で支持を集めていました。

「教頭先生が?」ということをやっちゃう先生
――『中山教頭の人生テスト』は、渋川さんが演じた教頭先生が主人公です。校長ではなく教頭が物語の中心となるところも興味深い作品ですが、オファーを受けた際のお気持ちは?渋川清彦さん(以下、渋川):率直に言うと、「教頭先生って何をしているんだろう?」というところからでした(笑)。この物語の教頭先生は、ひと癖も二癖もあって、特に物語の後半では「教頭先生が?」ということをやっちゃったりするんです。でも、それが面白いなと思いました。

渋川:申し訳ないですけどね。教頭先生も校長先生も、なんとなくしか覚えてなかったりするじゃないですか。子どもとしては担任の先生以外と接する機会ってほとんどないですから。
大人が言うことはだいたい間違っている

渋川:僕自身は、“だいたい”間違っているとは思いますけど、全部ではないと思います。ただ、この中山教頭は“全部”だと言い切る。

自分がモデルになったときはちょうど過渡期だった

渋川:仕事という感覚ではなかったんですよ。現場にポンと行って1日だけ撮影して帰ってくる。それが毎日続くわけでもない。
それに、当時はモデルの過渡期だったのか、それまでの、いわゆる身長が190cm近くあってスタイルが良く、爽やかな印象で洋服を魅せるモデルから、モデルも自然な感じでというのが増えていった時代だったのかなと。俺がやっていることと、時代の感じが合ったのかなとは思います。
――同じ事務所の村上淳さんや、同年代の井浦新さんも同じ時期にモデルをされていて、お芝居中心になっていかれました。
渋川:そうですね。新くんは同じ歳ですしね。
井浦新や伊勢谷友介とは違う部門を担当

渋川:昔はちょっとあったかもしれないですけど、今は全くないですね。同年代といえば、伊勢谷友介とか、モデル出身ではないけれど俳優としては加瀬亮くんとかね。
ただ、新くんとか伊勢谷とかは、いわゆるスターっぽい感じだったんですよ。モデルの中でも、オレと、あと大柴裕介ってのがいるんですけど、その辺は違うイメージの部門って感じの印象だったかな。
――数年前に雑誌『SENSE』で大柴さんと出られてましたね。YouTubeにも上がっているのを拝見しましたが、渋川さんも大柴さんもとてもかっこよかったです。ちなみに新さんとは、『菊とギロチン』などで共演もされていますが、たとえば同志という感じなのでしょうか。
渋川:別に同志という感じではないかな。

渋川:そうですね。
――瑛太さんはモデル時代がEITAでそこから瑛太、現在は本名の永山瑛太名義ですね。
渋川:俺が改名したのは30歳だったかな。本名じゃないけどね。
――渋川さんの「渋川」は、出身地の群馬県渋川市からですよね。本名だと思っている人も多そうですが。
渋川:そうですか。
いまだに「KEEさん」と呼ばれることについて

渋川:まあ、昔から知っている人はKEEって呼びますね。
――そう呼ばれるのは嫌ではないですか?
渋川:全然気にしませんよ。

渋川:40歳を超えたあたりから、少しずつ変わってきたかもしれないです。
――今年NHKで放送されたドラマ『地震のあとで』第3話の『神の子どもたちはみな踊る』での出演も、とても印象的でした。あの役も、今回の中山教頭も、年齢とキャリアを重ねてきたからこそ演じられる役柄だと思います。
渋川:そうですね。いろいろ知恵もついてきているし、経験も積んでいたので、「少しは考えていかないと」とは思っています。
<取材・文・撮影/望月ふみ>
『中山教頭の人生テスト』
山梨県のとある小学校。教員生活30年を迎え、教頭を務める中山晴彦(渋川)は、ひょんなことから5年1組の臨時担任になる。一見、問題なく見えながら、実はさまざまな事情を抱えている児童たちに寄り添ううち、晴彦にもささやかな変化が訪れるのだった。大杉漣最後の主演映画『教誨師』の佐向大監督によるヒューマンドラマ。







(C) 2025映画『中山教頭の人生テスト』製作委員会
『中山教頭の人生テスト 』は新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開中
【望月ふみ】
70年代生まれのライター。