新卒から18年半、テレビ朝日のアナウンサーとして、報道、スポーツ、バラエティなど多岐にわたる番組を担当してきた大木優紀さん(44歳)。

「子どもがいるから出張は難しいよね?と…」元テレ朝アナが産後...の画像はこちら >>
 40歳を超えてから、スタートアップ企業である「令和トラベル」に転職。
現在は、令和トラベルが運営する旅行アプリ『NEWT(ニュート)』の広報、まさに「会社の顔」として活躍中です。

 プライベートでは、小学生2人の母として子育てにも奮闘中。まさに、仕事と家庭を両立させる“等身大のワーキングマザー”です。

 連載第9回目となる今回は、大木さんが二度にわたって経験した産休・育休、そしてその後のキャリア復帰について綴りました。

産後キャリアは止まらない。2度の産休・育休を経て思うこと

「産休・育休を取ったら、もうキャリアには戻れないんじゃないか」
「復帰したって、以前のようには働けない」

 もしかしたらそんな、産後のキャリア復帰に対する諦めのようなイメージが社会にはあるのかもしれません。

 私自身も、アナウンサー時代に2度の産休・育休で仕事から離れた経験があります。この経験が、私の人生やキャリアにとってとても大きな転機だったと、今振り返って思います。

 もちろんキャリアを中断したことによるマイナスな面もありました。ですが、決してマイナスなことばかりだったわけではない。大きなプラスも確かにあったのです。

 今日はそんなお話をしていけたらと思っています。


「キャリアの一時停止」と失うものの怖さ

「子どもがいるから出張は難しいよね?と…」元テレ朝アナが産後に直面した“働く母への偏見”と、それでも希望を持てたワケ
大木優紀さん
 アナウンサーという職業には、レギュラー番組という「自分の席」が存在します。

 産休・育休に入るということは、基本的にはその席を一度手放すということ。復帰しても、そこがあいているとは限りません。誰かが代わりを務めていることもあれば、番組そのものが終わっていることもある。

 これはアナウンサーに限らず、多くの働く女性が直面する現実だと思います。復帰後、かつてのポジションに戻れなかったときに生まれる「悔しさ」や「焦り」。

 2人目の育休から復帰したときには、内心「もう3人目はないだろうな」という思いもあり、キャリアのリスタートを切らざるをえないような感覚にもなりました。

「出産=キャリアの一時停止」という構図が、女性たちにとって出産をためらう一因になってしまっている。そんな現状を、身をもって感じた瞬間でした。

育休はキャリアのブレーキじゃなく、ギアチェンジ

「子どもがいるから出張は難しいよね?と…」元テレ朝アナが産後に直面した“働く母への偏見”と、それでも希望を持てたワケ
大木優紀さん
 菅原知弘アナウンサーという、後輩アナウンサーの話をしたいと思います。彼はテレビ朝日の男性アナウンサーとして初めて、長期の育休を取得する決断をしました。

 今までは女性だけが育休を取得し、番組を手放すというのを経験している中で、彼は男性でありながら全番組を降板して、自ら育休を取得する選択をし、世の中にその想いを発信していました。

 そんな彼に「キャリアを手放すのは怖くないの?」と聞いたとき、こう答えたんです。

「キャリアを手放すことより、その一年で得られる経験のほうが価値があると思うんです」

 その言葉に、ハッとさせられました。
「育休=キャリアが止まること」と捉えられがちですが、彼の言葉から視点を変えれば、育休はキャリアが広がる機会にもなるのだと気づかされたのです。

 思い返せば私自身も、2人目の産休中に娘とオーストラリアへ母子留学をしたり、習得した語学力を活かして通訳案内士の資格を取得したり、かなり有意義に過ごしたなと思っています。

 もちろん、産前産後の体調やメンタル状態には個人差があり、誰にでも「学びを」とは言えません。でも、育休期間は「一時停止」ではなく、「人生のギアチェンジの機会」として捉えることも十分にできるんだなと感じています。

キャッチアップより難しかった、見えないハードル

 一方で復帰後に感じたハードルも大きかったなと思います。

 ニュース番組を担当していたので、情報のキャッチアップなど、産前のような感覚を取り戻すのに難しさを感じたり、生活リズムの変化とか、子育てとの両立という面で、周囲に迷惑をかけてはいけない、というプレッシャーも大きかったように思います。

 そんな中でも、一番感じたのは、保育園や学校で感じたいわゆる「母性神話」の強さでしょうか。

 つい先日も、保護者会で学校の先生が、「授業中におしゃべりが多い子って、お母さんが家で話を聞いてあげてないから寂しいんですよね」と、さらっと言ったんです。

 この発言に、私はすごくモヤモヤが残りました。

「なんで一人一人を見ずに、家庭に要因があると決めつけ、しかも、“お母さん”って限定するんだろう」と。

 もちろん、その先生に悪気があったわけではないと思うんです。きっと統計とか、経験則とか、そういうものが背景にあるのかもしれない。

 でも私は、「子どもの話を聞いてあげるのは、母親の役割」って決めつけられたような気がして、すごく違和感が残りました。


 夫と一緒に保護者面談に行ったとしても、担任の先生が、夫だけに「お仕事お忙しいのにお休みの日までにすみません」と挨拶をする。「いやいや、私も働いてるんだけどな」って。そういった言葉に表れる母親や女性に対する世の中の意識みたいなものに、打ちのめされるような思いをしました。

 職場でも、「子どもがいるから海外出張は難しいよね」と、“配慮という皮をかぶった決めつけ”のような言葉に出会うことがあり、チャンスを逃しているような感覚もありました。子どもができた男性にも同じ配慮があるのでしょうか。

 復帰してもっとも感じたのは、働きながら母親をしていくことに対する、決して悪気はない社会の無意識のバイアスだったように思います。

母親という役割が、キャリアにもたらしたもの

「子どもがいるから出張は難しいよね?と…」元テレ朝アナが産後に直面した“働く母への偏見”と、それでも希望を持てたワケ
大木優紀さん
 それでも、子どもを産んだことは、私にとってキャリアの“足かせ”ではなく、むしろ大きなプラスでした。

 前職では、日々のニュースを「伝える」ことが仕事でしたが、自分が母親になってみて、社会の出来事に対する感じ方が明らかに変わったと感じました。

 たとえば、児童虐待のニュースに、ただの事実以上の痛みを感じるようになったり、年金問題や環境問題に「自分の子どもたちが生きる未来」という実感を伴って向き合えるようになったり。

 ニュースの背景にある社会の仕組みが、以前よりも「自分ごと」として見えてくるようになった。それは、母という視点を得たからこそ、深みを持って実感できる角度と温度感でした。

 さらにもうひとつ、「母親」という新しい役割が加わったことで、仕事にも自然と気持ちが入りやすくなりました。責任感のような気持ちが生まれたのは、「母親」という役割が加わったからだと思います。


 子どもが生まれたことで時間に制限ができたのは事実です。でも、時間に制限があるから、フルコミットできないからダメではなく、「今どの役割を担うか」に全集中して、自分軸を持ってしっかりデザインしていく。

 私の場合は役割が増えることによって、それがクリアになっていった感覚がありました。そういう意味でも、キャリアにとって決してマイナスばかりではなかったと、今では感じています。

産後復帰は、キャリアの終わりではなく始まり

 産休や育休を迎えたばかりの方、復帰したばかりで不安を抱えている方にとっては、キャリアの面でネガティブに感じる瞬間が少なくないかもしれません。

「この先、元に戻れるのか」「今まで積み上げてきたものが失われてしまうのではないか」そんな不安や焦りを、私自身も抱えたことがありました。でも今振り返って思うのは、産後復帰はキャリアの終わりではなく、「新しい人生のフェーズのスタート」だということ。

「変化した自分」に合わせて、新しい働き方やキャリアの形を再設計できるチャンスでもある。私は、そんなふうに少しずつ視点を変えていくことで、自分のキャリアに対しても希望を持てるようになりました。

<文/大木優紀>

【大木優紀】
1980年生まれ。2003年にテレビ朝日に入社し、アナウンサーとして報道情報、スポーツ、バラエティーと幅広く担当。21年末に退社し、令和トラベルに転職。
旅行アプリ『NEWT(ニュート)』のPRに奮闘中。2児の母
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