幼少期から続けてきた独学のダンス練習経験を原点に、49歳ではじめたロボットダンスの動画は軒並み数千いいね!を集めるほど人気にまばたきせず、まるで機械のように動くダンス「表情がもうロボなのよ」「本気でこの方上手すぎ」と、絶賛のコメントも多数寄せられています。
普通の主婦だった屋代さんは、50歳で出場したロボットダンスの大会でみごとに優勝。今や、メディアでも引っ張りだこのダンス系インフルエンサーに。原点にあったという「チャレンジ精神旺盛」だった幼少期からの生い立ちを振り返ってもらいました。
突き詰める性分は小学校時代から
――50歳でロボットダンスの全国大会に出場して、優勝した屋代さん。「幼少期に世界的スターに憧れて教室の隅でつま先立ちの練習を始めた」とも明かしていますが、元々、ダンスが好きだったんですか?屋代まどか(以下、屋代):はい。小学校時代からつま先立ちで、ムーンウォークの練習をしていました。正確には当時、マイケル・ジャクソンのマネをしていた同級生を見て「カッコいい」と思ったのが、きっかけだったんです。でも、現在と違って海外の情報に日常的にふれられる機会が少なかったし、あれがマイケルのマネだとは知りませんでした。
運動神経はよかったので、ポーズをマネしてみたら他の子よりも上手にできて、どんどんハマっていって。上履きって、ムーンウォークにピッタリなんです(笑)。靴底がツルツルで滑りやすいし、ハンカチやティッシュを靴の中に詰め込むと安定感も出るので、上手にできるような工夫もしていました。

屋代:そうですね。休み時間はいつも一人でつま先立ちの練習をしていました。
公園で一人、竹馬の練習をする日々

屋代:はい。塾にも行かず習い事もなかったので、公園で竹馬に乗っていました。足を乗せる板を低い位置につけて練習していたんですが、上達するうちに、どんどん高さを上げていきました。
最終的には、学校にあった大人の身長を超えるような防災コンテナの上から乗らないと足が届かないほどの高さでも、歩けるようになったんです。当時は低学年で、高学年のお兄さんやお姉さんにも一目置かれるようになって、それがとてもうれしかったのを覚えています。
――何かを突き詰めるのは、当時からだったんですね。
屋代:今となっては、そう思います。何事も、チャレンジしたい性格だったんです。小学校の当時、流行っていたローラースケートでも片足を上げて滑ったり、しゃがんで滑ったりと試行錯誤していました。坂道をガーッと下ったりもして、振り返ると危険きわまりなかったです(笑)。
ムーンウォークは「トシちゃん」から

屋代:後ろに下がる「バックスライド」は、完成していました。前に動く「フロントウォーク」や横に動く「サイドウォーク」が完成したのは、大人になってからです。
――練習のために、参考にした映像などもあったんでしょうか?
屋代:ネットがない時代なので、手に入る情報は本当に限られていました。でも当時、音楽番組『ザ・ベストテン』でトシちゃん(田原俊彦)がプールサイドで踊っているのをテレビで見たんです。それが私がテレビで見た初めてのムーンウォークで、とても衝撃を受けました。だから、私のムーンウォークは「マイケル・ジャクソンバージョン」ではなく「トシちゃんバージョン」ですね(笑)。
――(笑)。本家であるマイケル・ジャクソンのムーンウォークを見たのは、いつでした?
屋代:小学6年生の頃にニュース番組で初めて見ました。当時は「世界レベルのスターなんだなぁ」と驚きましたし、トシちゃんも「世界の最先端を知っているんだ」と、改めて思いました。
家族にも「そういうお母さん」と見られて

屋代:人の目が気になる年頃ですし、学校で練習するのはやめました。でも、一人でこっそりと練習は続けていたんです。夜になると真っ暗になる近所の自動販売機を鏡の代わりにして、ポーズを確認しながら、ムーンウォークをやっていました。
――高校卒業後は社会人となり、やがて、結婚しました。
屋代:進学せず、企業の展示会でアナウンスをするナレーター職に就いたんです。コンパニオン事務所に所属して、イベント会場に派遣されていました。結婚は26歳で、長女が生まれたのは27歳です。その後、子育てとのかけもちで「働けるかも」と思って、託児施設のある高齢者施設でも働くようになりました。
――子育てに仕事に……と忙しくとも、ダンスも続けていたんですか?
屋代:実は、長女が少し大きくなってから、一度だけ原宿のダンススタジオに通ったんです。でも、ドレッドヘアの方だったり、いわゆるゴリゴリのヒップホップスタイルな方しかいなくて、尻込みしてしまって……。雰囲気が合わなかったので1年も経たずにやめました。でも、そこで教わった「アニメーションダンス」は、今の基礎になっているんです。当時は子どもを寝かしつけてから、自宅の窓に映る自分を見ながら練習していました。
――その光景を見て、旦那さんはどんな反応を?
屋代:特に何もなかったです。ムーンウォークの揺れで幼かった長女をあやしていましたし、見慣れていたんだと思います(笑)。今も、家族はそんな感じです。
リアルな出会いを求めて全国大会に

屋代:高齢者施設での介護関係の仕事が、コロナ禍でゼロになってしまったんです。何か、生活でやりがいを見つけられないかと思って、目を付けたのがダンスの大会でした。でも、コロナ禍でほとんどの大会が中止になっていて、唯一開催していたのがロボットダンスの大会だったんです。近所の集会所で自主的に練習をはじめたあと、動画を送ってダンスの修正ポイントを教えてくれる通信講座も受けて、記録としてInstagramやTikTokもはじめました。
――行動力がすごくて、生活もロボットダンス漬けに?
屋代:そうですね。毎日、ロボットダンスをやるようになりました。自宅で料理を運ぶときもロボットの動きで、まばたきせずにキッチンから食卓まで移動しています。口調もロボっぽくして、ゆっくり動くかと思ったら急にスーッと動き出してみたり、なかなか料理が到着しないので娘から「遅い!」とツッコまれるときもあります(笑)。
――家族に支えられながら全国大会で優勝して、環境は変わりましたか?
屋代:ベテランのダンサーさん、教室を運営されているダンサーさんと、SNSで交流するようになりました。
――いい意味で欲がないというか。名誉などではなく、純粋に楽しさを追求している印象も受けました。
屋代:そもそも、竹馬を一人できわめようとする子でしたし、何事も「楽しい」が一番なんです。地域の行事にもよく参加していて、正月の餅つき大会ではご近所さんの前でもダンスをやりました。サンダル履きで「その靴じゃ無理だよね」と言われたんですけど「大丈夫!」と、その場で踊りました。子どもたちも私に似たのか、他の人を気にしないタイプに育って、すべてが幸せです。
<取材・文/カネコシュウヘイ 撮影/市村円香>