橋田壽賀子脚本の人気長寿ドラマシリーズ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)で10歳から12年間、“加津ちゃん”こと野々下加津役を演じていた宇野なおみさん(35歳)。かつて“天才子役”と呼ばれた宇野さんは現在、フリーライターとして活動中です。


 渡鬼シリーズ終了後の歩み、そして現在にいたるまで——当時は語れなかったことも含めて、宇野さんが“今だからこそ”綴るエッセイ連載。今回は、2年前のある日、宇野さんのお母さんが倒れてしまったときのことを綴ります。(以下、宇野さんの寄稿)。

母の職場から電話で「様子がおかしい」

母が突然、脳出血で倒れた日。元天才子役・30代マザコン娘が体...の画像はこちら >>
 2023年7月の終わりにかかってきた1本の電話を、忘れることはないでしょう。

 皆様ご機嫌よう、宇野なおみです。毎日暑いですね。最近のお気に入りは浅漬けを作っておすそ分けすることです。孫に配りたがるおばあちゃん?

 計3本のエッセイをたくさん読んでくださって、本当にありがとうございます。引き続き私の話に付き合っていただけたらと思います。今回は2年前に起きた大きな大きな出来事、母の倒れた日のお話です。

 子役は、親、とりわけ母親のサポートが必要不可欠です。自発的意思で仕事を始めた私は、舞台デビューが7歳。10歳から『渡る世間は鬼ばかり』に出演、その間ずっと、母が献身的にサポートをしてくれていました。
我が家は姉も同じく芸能の仕事をしていたので、さぞやてんてこまいだったと思います。

 その結果、私は凄まじいマザコンに育ち。

 お恥ずかしい話ですが、母が元気で、実家で一緒に楽しく暮らしている。これだけで自分はたいそう幸せだと思いながら生きていたのです。

 ある日、母が外部講師として働くピアノ教室から電話がかかってきました。その時の私は仕事中。出てみると、母ではなく、同僚の先生からでした。

「どうしたんですか?」

「先生の様子がおかしいので、救急車を呼びました。ろれつが回っていません」

 その先生が母に代わってくれました。会話はできているけれども、確かにろれつが回っていない。熱中症かな? 救急車はすぐ来てくれるとの事だったので、一旦電話を切りました。

あまりに衝撃だった1本の電話

 キリが良くなったら、病院に行こうと思っていたところ、もう一度電話が。救急隊員の人でした。


「危なそうなので、今すぐ、覚悟を持って病院に来てください」

――何を言っているんだろう?

 母方は、脳・血管系の病気になりやすい家系です。ぽっちゃりころころフォルムの母は、高血圧など、健康診断でいくらか芳しくない結果も出ていました。でもまだ60代。毎日とっても元気で、週4で子どもたちにピアノを教えていたのに。

 家にいた父とすぐ病院に向かいました。一言も喋らないまま……。

 到着すると、母はICUに入っているとのこと。待つしかないので、無料公開からハマっていた、講談社の長寿医療漫画『K2』をアプリで読み返していたことを覚えています。今なら「何もICUの前で読まんでも」とツッコミたいですが、お医者さんに助けてほしいという願いの現れだったのかもしれません。

 フラフラとトイレに行って鏡を見たら、顔が真っ白。人間、本当に血の気が引くと「顔面蒼白」になるのだと実感しました。

 ようやく担当医師のお話を聞けることに。
病名は脳出血。手術せずに処置を行えたそうで、レントゲンを見ながら説明を受けました。この時、私は妙にレントゲンのことや脳出血の症状に詳しかったのですが、『K2』を読破していたためです。人間万事塞翁が馬ですね。

 そのまま入院。教室のすぐ近く大きな都立病院があり、コロナが落ち着いていて緊急搬送が迅速だったことは不幸中の幸いでした。

 その日は眠れなかった……。心はずっと叩きのめされてるようにぺったんこで、冷えている一方、頭の中はぐるぐるといろいろなことが回っていました。

「家族が入院」という事態に直面して

母が突然、脳出血で倒れた日。元天才子役・30代マザコン娘が体験した“親の入院”のリアル
ピアノ教室のクリスマス会での私と母
 さて、母はと言えば、事態の大きさをまったく理解しておらず、入院中もきわめて呑気でした。もともと大らかでほのぼのとしたムーミンママタイプ。どちらかというとロッテンマイヤーさん(アルプスの少女ハイジ)気質の私とはだいぶ違うんですよね……。

 3日後ぐらいに起き上がれるようになった途端、ロールピアノを買ってきてくれと頼まれ、慌ててアマゾンで注文しました。半世紀以上にわたるピアノのキャリアが指の機能回復に役立ったようです。


 当時は面会制限があり、会えるのは昼間の15分程度。片道1時間かかる道のりを、父と交互に通う日々が始まりました。

 母の回復は目覚ましかったですが、リスクが消えたわけではありません。病室では決して不安な顔を見せてはいけない。恐怖と戦いながら、私が猛スピードでやつれていく日々でした。と言っても仕事はしていましたし、YouTubeライブなども頑張って行っていたんですよ。

 この頃を思い出そうとすると、どうも曖昧で、とにかく汗だくだったこと、母の分を作らない食事の支度が非常につらかったことだけを覚えています。

 なんて言ったらいいのか、目の奥で何も見ていない日々でした。

 電話が怖い、夜が怖い、一人が怖い。母に依存しきっていたことが、不安を増長させていたのでしょうね。(今だから言えること……)

親が倒れた時にやるべきこととは?

 実は母が倒れる少し前に、メイプル超合金・安藤なつさんが書かれた介護の本のブックレビューをしていました。

 何度も読み込みながら「いつか必要になるかもよ」と姉に笑いながら勧めたものですが、いやはやこんなに早く必要になるとは思いもよらず。非常に役立ってくれました、なつさんありがとう。


①身の回りのものを揃える

 病院内である程度買えますが、使い慣れたものがベストです。病院内での洗濯が順番制のこともあるので、パジャマや下着は着替えやすいものを多めに用意できると◎。

・マイナンバーカード/健康保険証
・かかりつけでの入院の場合は診察券
・おくすり手帳
・室内履き
・洋服/下着/タオル
・コップやスプーン、箸、皿(割れないものがおすすめ)
・眼鏡など、日常使うもの
・洗面用具、筆記用具、ティッシュペーパー/トイレットペーパー/あればウェットティッシュ
・あれば介護保険被保険者証
・小銭、イヤホン
・暇をつぶせるもの(症状による)

 用意したものはざっくりと、こんなものでしょうか(リスト参考:セゾンカード「セゾンのくらし大研究 シニア」記事)。意外とこの暇をつぶせるものが厄介でしたね……。本を読むほどの体力って意外と回復しないもので。

 他に、入院申込書・誓約書、保証人確認書に漏れなく記入の上で、入院時預り金を持っていくなどの作業が発生します。

②入院費用の確認及び、保険証書の確認

 保険の給付金や高額療養費制度という素晴らしい恩恵が助けてくれますが、一旦の立て替えがしばしば必要になるため、凄まじい勢いで現金が無くなっていきます。なので、銀行口座を代わりに引き出すといったタスクが生じることも。

 福沢諭吉(当時)を何枚かひっつかんで病院に走るとき、昭和のドラマによくあった、親のカネを取って家出するシーンを演じているような気持ちでしたね……。当時、月10万円、現金で生活費を入れていたので、実際は自分が親に渡していたお金でしたが(笑)。

 病状によっては保険料支払い義務がなくなったり、逆に請求対象外だったりしますので、保険証書をしっかり確認することをおすすめします。私は諸事情(生命保険で己の葬式費用を賄おうとしていた)で保険証書を丹念にあらためる人間だったので、すらすら読んでいました。ムスカ?

③サポートする己の元気を確保する

母が突然、脳出血で倒れた日。元天才子役・30代マザコン娘が体験した“親の入院”のリアル
当時の様子。メイクでごまかしきれない顔色の悪さ……
 意外と重要なことです。肌ツヤは常に悪く、首や頬がげっそりとしてしまった私。バレエのレッスンだけは通い続けていたのは、己のメンタルと健康に対する防波堤だったのかもしれないです。


 己の体力、メンタルのボーダーラインを保ちましょう。そして、適度に人に頼りましょう。泣いている顔のLINEスタンプでも、真っ黒なストーリー画面でも、手旗信号でも構いません。SOSを出せるようにしておくことも、「親の入院・介護」には必要です。

④公的サービスの準備と手配をし、家族の役割分担を決める

 我が家は姉に子どもがふたりいて、地方に住んでいるため、基本的には2人シフト。父も私も仕事があり、いろいろとやりくりをしながら過ごしておりました。

 また、退院後を見据えながら公的サービスの知識及び準備、手配を行っておきましょう。

 そして、家の手配とは具体的に言うと、片付けも含まれます。

マツケンサンバを流しながら応募した『ウチ、断捨離しました!』

母が突然、脳出血で倒れた日。元天才子役・30代マザコン娘が体験した“親の入院”のリアル
すべてが整ったあとの家の様子。この前は見るも無惨な様子でした
 そう、片付け。常に整ったおうちの方には関係ないお話でしょうが、介護用のベッドを入れるには玄関から部屋までの道のりがあります。介助用ポールを立てるには、床にスぺースが必要です。

 我が家は、足の踏み場もございませんでした。

 2023年11月放送のBS朝日『ウチ、断捨離しました!』にて、やましたひでこさんの指導のもと断捨離Ⓡを行いました。

 自分で応募したんです。そう話すと全員に「自分で応募したの!?」と言われたのですが、それほどまでに精神的にも体力的にも追い詰められていたもので……。

 他の記事でいくつか書かせてもらったのですが、当時我が家は完全なる暗黒ごみ屋敷。
生ごみこそ処分していましたが、母を失う恐怖から、母のもの、母が買ったものがまったく捨てられず、賞味期限切れのレトルト食品などを眺めながら暮らしていたありさま。

 脳出血は、再出血のリスクを下げることが重要です。家の中で転倒・怪我はできるだけ避けるべきなのに、どっこい、私ですら歩けない家……。体力も筋力も落ちている、しびれの残る母が戻って来て無事に過ごせるわけがありません。

 カーテンを閉め切った部屋でものに埋もれ、やつれた私は、番組公式HPの“出演者募集”欄に、深夜スマホから申し込みました。

 ちなみに、マツケンサンバを流しながらの応募でした。人間はこの曲を聴きながら鬱々とできないと聞いていたので……上様には大変お世話になりました。

 さて、その後の事は、TVerやオンエアで見てくださった方もいるかもしれません。

 1トンほどごみや家具を処分し、窓から光が差し込み、風通しが良い家となりました。同時に、私自身の問題も多数つまびらかに……。カメラの前で台本もないのに号泣したのち、モノへの執着も「断ち」、モノを「捨て」、最後に、母への依存を「手離す」ことになりました。うーん、絵に描いたような変化です(当時は必死)。

 完全に元通りとはいきませんが、母はこの断捨離の済んだ家で、メキメキと回復。2025年7月に再登場した折には、「元気になっていて驚いた」と友人知人から言われました。

自分を守りながら、適切で適度なサポートを

母が突然、脳出血で倒れた日。元天才子役・30代マザコン娘が体験した“親の入院”のリアル
4月大歌舞伎を母と観に行き、半分こしたサンドイッチ。母が持って撮影
 実家暮らしマザコン30代!!!というノーガードの状態で「母親緊急搬送」という局面を迎えてしまった私は、ひたすら右往左往、おろおろ&おろろな日々でした。

母が突然、脳出血で倒れた日。元天才子役・30代マザコン娘が体験した“親の入院”のリアル
母も私も食いしん坊です
 今頑張っていらっしゃる皆様、本当にお疲れ様です。もしかしたら、私の体験記など、取るに足りないものだと思われたかもしれません。

 独立なさってお暮らしの皆様、家族のいる皆様。よっぽど関係が悪くなければ、どうか、時折親御さんのサポートをしてあげて下さい。

 読んでくださった皆様が、自分を守りながら、適切で適度なサポートが行えますように。己の、七転八倒というか、つまづきっぱなしだった日々を過ごした身として願ってやみません。

<文/宇野なおみ>

【宇野なおみ】
ライター・エッセイスト。TOEIC930点を活かして通訳・翻訳も手掛ける。元子役で、『渡る世間は鬼ばかり』『ホーホケキョ となりの山田くん』などに出演。趣味は漫画含む読書、茶道と歌舞伎鑑賞。よく書き、よく喋る。YouTube「なおみのーと」/Instagram(naomi_1826)/X(@Naomi_Uno)をゆるゆる運営中
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