「増やしすぎ?」タトゥーに揺れるファンの声
9月12日に優里が自身のInstagramに投稿した中国・上海でのオフショット。タンクトップ姿の右上腕部から覗くタトゥーに対し、ファンからは「自分が作った曲のためにも、これ以上タトゥーは増やさないほうがいい」「タトゥーいつまで増えるの」といった心配の声が上がっています。最近では、YOASOBIのAyaseやあいみょんなど、ミュージシャンのタトゥーが議論を呼ぶこともあります。しかし、優里のタトゥーは彼らと比べても際立っており、ファンが本気で心配している様子がうかがえる点が大きく異なります。
Ayaseもタトゥーを入れていますが、「まあ分かるけど、ほどほどに」といった具合に懸念はされるけれども、そこには優里に対してのような必死に思いとどまらせる深刻さはありません。
ここに、優里のタトゥーが特別な印象を与える理由があるのではないでしょうか。
顔とタトゥーが発する“矛盾したシグナル”

ただし、コメントにもあるように、イメージの問題は重要です。個人の好感度だけでなく、歌っている曲との兼ね合いで、タトゥーがどのように見えるのか。つまり、全体のコーディネートが重要になってきます。
ビジュアルと音楽から考えてみましょう。
優里が「怖い」と感じられる理由の一つは、ベビーフェイスな顔立ちと、身体に刻まれた攻撃的な文様のギャップでしょう。
優里の顔は、名前の通り柔らかく、人懐っこい雰囲気があります。
「一体この人は何を考えているのか」という、本質的な違和感を覚えるのかもしれません。
甘いメロディとタトゥーが共存しない理由

たとえば、優里がハードコアパンクやギャングスタラップを歌っているのであれば、このタトゥーに違和感はないでしょう。
しかし、彼が歌うのはフォークロックやポップスを基調としたラブソングや応援歌です。<空にある何かを見つめてたら それは星だって君がおしえてくれた>(『ベテルギウス』)という極甘ロマンチックな歌詞や、<僕らが生きる時間は 決して安いものじゃないから 後悔しない選択を選んで欲しいの>(『ビリミリオン』)という人類を肯定するようなメッセージを訴えています。
サウンドとメロディも安心安全のJ-POP印で、聴く人を不快にさせる要素は一切なく、心地よくさせてくれる曲ばかりです。
ここでも「音楽や歌詞」と「タトゥー」が食い違う現象が起きているわけです。どちらが本当の優里なのかわからないという状況を、彼自身が作り出してしまっているのでしょう。
見た目の好青年が、道徳の教科書に載っているようなメッセージを歌う。その一方で、強烈なコントラストをなすタトゥーがびっしりと彫られている。
タトゥー単体ではなく、ビジュアルや音楽とセットで見たときにマッチしていない状況が、今回の騒動に繋がったのではないでしょうか。彼のタトゥーに寄せられる深刻な心配の声は、それを裏付けているように思えます。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4