「盛り上がらない」違和感の正体
34年ぶりに東京で開催されている世界陸上。1997年大会から2022年大会までキャスターを務め、「地球に生まれてよかったー」や「何やってんだよタメ」など数々の名言を残してきた織田裕二さんがスペシャルアンバサダーとして復活しました。ところが、これで盛り上がりも最高潮かと思いきや、どうもうまく噛み合っていないのです。
相変わらず織田さんのテンションは高い。年齢なりに語り口は丸くなりましたが、陸上競技への情熱は衰えておらず、知識もきちんとアップデートされています。
だけど、何かが違います。織田さんは変わっていない一方で、世界陸上という番組のトーンが変わってしまいました。興奮を共有できない番組になってしまったのです。
せっかく“織田裕二”が帰ってきたのに、一体どうしてこうなってしまったのでしょうか?
鍵を握るのは“中井美穂の不在”

彼女の自由自在な切り返しがあったからこそ、織田さんも安心して“暴れ”られたのです。
ところが、今回の東京大会には共演者にその役割を担える人がいません。総合司会の江藤愛アナウンサーや今田美桜さんは、「頑張ってほしいですね」、「嬉しいですね」、「生で観られて興奮です」といった官僚的なフレーズを使い回すのみ。
もちろん、時間の制約や生放送の性質上、事故が起きないために安全運転に徹するやむを得ない点はあります。
そういった懸念点はあっても、“織田裕二”というタレントのパワーがあれば、なんとか形になると考えたのかもしれません。
織田裕二の情熱に、響く相棒がいない

つまり、“中井美穂”という世間の良識を体現した大人の存在があったことで、“織田裕二”という奔放な個性がわかりやすい輪郭を持つことができたわけです。
そのため、今回は織田さん自身も少し遠慮している様子がうかがえます。彼の呼びかけを受け止めたり機転を効かせて反応したりしてくれる人がいないからです。打っても響かないのであれば、自然とトーンダウンしていきます。
すると、口調やアクションはかつてのテンションを再現しようとしているのに、そこで語られる言葉の内容がいまいち攻めきれなくなる。思いをぶちまけるキャッチフレーズ的なキレ味はなく、全体的に説明口調になってしまっているのです。
そこには、空回りと孤立を心配して自制せざるを得なくなったスペシャルアンバサダーの姿があります。
世界陸上は「織田×中井」の物語だった

改めて、世界陸上での織田さんには、中井さんのアシストが欠かせなかったのだと痛感します。
と、思っていた矢先。9月18日に中井さんがスペシャルゲストとして1日だけの復帰を果たしたのです。すると、途端に水を得た魚のように生き生きとする織田さん。
それまでの放送では宙に浮いていた織田さんの言葉が、中井さんによって手際よく回収され、投げ返され、織田さんのさらなるフレーズを引き出す。みるみるうちに番組にグルーヴが生まれていきました。
「これが世界陸上だよな」“中井美穂”という屈指のつなぎ役こそが、“織田裕二”を輝かせていたことを再認識する瞬間でした。
振り返ると、25年間の世界陸上の歴史は、織田さんと中井さんという個人の関係が熟成されてきた歴史でもありました。豪速球の荒れ球ピッチャーを操る、視野が広く情緒豊かなキャッチャー。
それこそが、“織田裕二”と“中井美穂”のコンビだったのです。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。