イギリスのブライトンを拠点に執筆活動を続けるブレイディみかこさん(60歳)。2019年に発表された『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は社会に大きな反響を呼び、2025年6月にエッセイ集『SISTER“FOOT”EMPATHY』を刊行しました。


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 本書のテーマは、他者との関係を築く上で重要な、他者の立場になって想像する「エンパシー」と、女性同士の連帯を意味する「シスターフッド」です。

 今回、ブレイディみかこさんにインタビューを行い、日本のジェンダーギャップやSNS時代の生きづらさ、価値観のアップデートについて聞きました。

男女格差の大きい日本で、女性がつながる意味

ーー『SISTER“FOOT”EMPATHY』のタイトルに込められた意味を教えてください。

本書はファッション誌『SPUR』での連載がもとになっています。担当編集者の方が考えてくださった「シスターフッド(sisterhood)」ではなく「シスター“フット”(SISTER“FOOT”)」という言葉を見て、私の考えを深く理解してくれていると感じました。SNS上での激しい議論ではなく「地に足のついた」、生活の場から女性たちがつながっていくという考えが反映されています。

そのために必要なのがタイトルにもある「エンパシー」です。意見が合わない相手でも、「どうしてそう言うんだろう?」と考えながら会話を重ねていく。英語のことわざで「他者の靴を履く」と言いますが、日本の女性たちもそれによって現実的に社会を変えていける動きに繋がるのではないか、そんな想いがこのタイトルには込められています。

ーー「エンパシー」や「他者の靴を履く」という考えを持つようになったきっかけがあれば教えてください。

まず、私は研究者や専門家ではなく、市井の人間として、地に足のついた社会や政治のことを書きたいとずっと思ってきました。それは「シスターフッド」という言葉についても同じです。フェミニズムは学問として確立されていますが、本当に現実を変えたいと願うなら、専門用語の多い学問の枠に閉じこもるだけでは広がっていきません。


「なぜ女性が家事をしなければならないのか」「なぜ職場の冷蔵庫を女性が拭かなければならないのか」といった、日常生活の中で感じる違和感や怒りを共有しつながっていく。そうした意味では「エンパシー」や「他者の靴を履く」という言葉がしっくりくるんです。

ーーブレイディさんの著書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でも触れられていたように、息子さんとの会話の中で価値観がアップデートすることも?世代の異なる人たちが交わることの重要性についても教えてください。

親の世代になると、子どもたちが学校で習っていることや、彼らが考えていることを聞くことで、新しい価値観に触れることができます。息子が試験で「エンパシーとは何か」という問いに、「他者の靴を履くことだ」と答えたことがありました。英語ではだいたいこの言葉でエンパシーをわかりやすく説明するので、それは彼だけでなく、クラスメイトのほとんどが書いた回答だったと思います。

当時、EU離脱をめぐってイギリス社会が分断し、ギクシャクしていた時代でした。そんな中で、学校が「他者の靴を履く」つまり「エンパシー」の概念を重要視していたことは、今の社会を考えるうえでも、再び大切なことになっていると思います。

日本は“女が住む場所じゃない”?イギリスの自由さとの違い

「日本は女が住む場所じゃない」と思ったことも…イギリス在住作家が語る“おおらかさの違い”
ブレイディみかこさん
ーー日本はジェンダーギャップ指数が148か国中118位、G7(主要7か国)で最下位と、男女格差の大きい国です。ブレイディさんはイギリスを拠点に活動されていますが、イギリスでの生活と比較して、日本で女性として過ごすことをどのように感じていますか?

もう忘れていたんですが、私は昔イギリスの友人に「日本は女が住む場所じゃない」とまで言っていたらしいのです。だから、日本で女性として生きるのは厳しく、生きづらいと感じていたのでしょうね。日本では本当に言いたいことを言うと驚かれたり、あまりに考え方がすれ違う部分があり、イギリスに戻って「生き返った」と思っていた頃もありました。

ーー日本で女性として生きることの難しさについて、具体的に教えていただけますか?

特に印象的だったのは、イギリスの女性たちの「人の見た目を気にしない自由さ」です。
日本の女性のように朝早く起きて髪を洗ったり、完璧に身なりを整えたりすることが当たり前と考えられてはいない。少し髪が乱れていても、会社で結べばいいという大らかさがある。みんなが細かいことに縛られていないように感じます。

一方で、日本は女性に対して「こうでなければならない」という規範があまりにも多すぎるのではないかと感じます。女性誌の編集者と話すと、日本の女性は働きながら子育てをすると、朝5時に起きてお弁当を作り、家事をこなしてから仕事に行き、帰宅後も家事に育児にと追われて、本当に睡眠時間が足りないという話によくなります。日本の女性は世界で一番睡眠時間が短いというデータもあるくらいです。だから、日本の女性はまず、寝るところから始めたほうがいいと思います。

SNSでの攻撃が目立つ中で「他者の靴を履く」こと

「日本は女が住む場所じゃない」と思ったことも…イギリス在住作家が語る“おおらかさの違い”
『SISTER“FOOT”EMPATHY』(集英社)
ーー「他者の靴を履く」ことは、簡単に相手を攻撃できる今のSNS時代ではより難しくなっているように感じます。

私はSNSをやっていないのですが、SNSでは相手の顔も見えないし、テキストだけでコミュニケーションを取ることになります。時間的な制約もあるため、言葉尻だけで相手を判断してしまいがちです。意見が違う人同士が言い争っても、批判や罵倒になってしまい、互いに譲歩したり、意見を変えるような「対話による化学反応」は起きません。しかし、生身の人間として、地に足をつけて一緒に何かをすれば、化学反応が生まれることもあります。

ーー対話ができる状態に変えられるということでしょうか。


はい。たとえば、私はコロナ禍をきっかけに地域のフードバンクでボランティアを始めたのですが、そこではリベラルな考えを持つ大学生の女の子と、仕事を引退した少し保守的なおじいちゃんが同じシフトに入ることがあります。最初はまったく話が合わなかった2人も、一緒に活動するうちに変化が生まれていきました。

フードバンクには生理用品などもあるのですが、おじいちゃんが「自分がいると女性が利用しづらいだろう」と、仕切りを立ててくれたり、私のような移民を最初は冷たくあしらっていた人が、一緒に働くうちに打ち解けてくれたり。

SNSとは違って、同じ場所で同じ時間を過ごし相手を知ることで、どのようにして今の考えに至ったのか、その主張の背景にあるものがぼんやりとでも見えてくる。文字と文字が言い合っているだけで、そこに人間がいないSNSでは、人と人が向き合うのはなかなか難しいと思います。

ーーブレイディさんご自身はSNSをされないとのことですが、記事に対するコメントなど、読むことはありますか?

読まないことにしています。昔、自分のウェブサイトに掲示板を設置していたのですが、そこで書き込んでいる人たちが、私と直接メールでやり取りしているときとは別の人格になっているように見えたんです。やけにマウントを取り合ったり悪意のある皮肉を言ったり、まるでロールプレイをしているようで、「いい大人がどうしてこうなるの?」と薄気味悪いものを感じたのですぐに閉鎖しました。

SNSも掲示板と同じような場所になるだろうと感じたので、以来、一切アカウントを持っていません。ネットに転載される記事へのコメントも、だいたい何を言われているかは想像がつくので、あえて見ないようにしています。そうしたほうが精神的に健全でいられるので。


足元からつくる「サードプレイス」

「日本は女が住む場所じゃない」と思ったことも…イギリス在住作家が語る“おおらかさの違い”
ブレイディみかこさん
ーー「他者の靴を履く」という実践の場が、日本には不足しているように感じます。この現状をどのように見ていますか?

日本には「サードプレイス」が少ないですよね。サードプレイスとは、家庭でも職場でもない「第三の居場所」のことです。民主主義が発達している国には、こうしたサードプレイスがたくさんあると言われています。イギリスではパブや、コミュニティセンターでのボランティア活動がその役割を果たしています。そこでさまざまな人と交流し、ふだんは出会わないような階層の人たちとも触れ合うことで「他者の靴を履く」経験を育むことができるのです。

ーーサードプレイスでは、どのようなことが行われるのでしょうか?

例えば、本書でも紹介しましたが、スペインのある書店では、女性たちが集まってウィキペディアに女性の情報を入力する活動をしているそうです。ウィキペディアには圧倒的に男性の情報が多く、社会的、学術的に貢献した女性や芸術家たちの情報が少ない現状があります。こうした小さな活動は、場所さえあればすぐにでも始められます。日本でも個人経営の書店が増えているので、そうした場所をハブにして、第三の場所を持つこともできるんじゃないでしょうか。

ーーたしかに、サードプレイスがあるだけで心理的安全性が得られたり、居場所を感じられたりしますよね。大人になってからも特定の場所に行けば仲間たちがいるという環境は心強いと感じました。


特に日本のお母さんたちは、子育ての悩みを一人で抱え込んでいる方も多いと聞きます。そうした女性たちにとってのサードプレイスとして、小規模な「共同保育の場」を地域に作ったりするのもいいですよね。

たとえば、数人のお母さんたちが集まって、交代で子どもを預け合う。そうすれば、たまにはゆっくり家で休んだり、自分の時間を持ったりすることができます。子どもも親以外の大人と触れ合うことで視野が広がります。かつてイギリスでも、教会のホールなんかを使っている共同保育の場がたくさんあり、1990年代のブレア政権の時代にそうした場のお母さんたちに保育士の資格を取っていただく支援を行い、公的な保育園に変えていった歴史があります。

誰かが作ってくれるのを待つのではなく、自分たちで小さなグループから始めてみたら、それが何かに繋がったりすると思います。そうした足元からのつながりが生きづらさの解消につながっていくのではないでしょうか。

「日本は女が住む場所じゃない」と思ったことも…イギリス在住作家が語る“おおらかさの違い”
ブレイディみかこさん
<取材・文/山﨑穂花 撮影/藤木裕之>

【山﨑穂花】
レズビアン当事者の視点からライターとしてジェンダーやLGBTQ+に関する発信をする傍ら、レズビアンGOGOダンサーとして活動。自身の連載には、レズビアン関連書籍を紹介するnewTOKYOの「私とアナタのための、エンパワ本」、過去の連載にはタイムアウト東京「SEX:私の場合」、manmam「二丁目の性態図鑑」、IRIS「トランスジェンダーとして生きてきた軌跡」がある。また、レズビアンをはじめとしたセクマイ女性に向けた共感型SNS「PIAMY」の広報に携わり、レズビアンコミュニティーに向けた活動を行っている。
Instagram :@honoka_yamasaki
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