コロナ禍以降の日本を、イギリスを拠点に活動してきたブレイディさん独自の視点で見つめ直すエンパワメント本です。
「女性の連帯」や「第3の居場所」の重要性などを語ってもらった前編に続き、後編では、現代の日本が抱える問題、そして向き合い方について聞きました。
「男女平等がもっとも進んだ国」でかつて起きた運動

イギリスの女性誌には必ず政治に関する記事が何かしら掲載されていますが、日本ではそうしたコーナーがほとんどないですよね。だから、今回の著書は政治に関心がある人向けになりすぎないように、誰でもわかるように書くことを心がけました。たとえば、「搾取」という言葉を「ぼったくり」と言い換えるなど、身近な言葉を使うことで、読者が「ああ、こういうことだったのか」と実感できるようにしたかったんです。
――言葉を変えるだけで、社会や政治的なことが身近に感じられると。
「シスターフッド(女性同士の連帯)」も同じです。今回の本にも書いていますが、1975年、アイスランドで女性たちが仕事や育児を一斉に休んだ「女性の休日」というストライキがありました。
この運動に参加した女性のインタビューや当時の映像をまとめた『女性の休日』というドキュメンタリー映画が10月に日本でも公開されるのですが、その中で、参加者が「男性を否定するためにやったのではない。私は男性を愛している。ただ、少し変わってほしいだけ」と語っていたのが印象的でした。女性はシスターフッドによって男性を敵にしたいわけではないのです。
また、ストライキではなく「女性の休日」と呼んだことも、イデオロギーや階層を超えて多くの女性たちが参加した理由になったようです。言葉を選ぶことで、共感を生み、より多くの人に伝わる。結果的に保守的な女性たちも含め、アイスランドの女性の9割がストライキに参加しました。
人間は政治だけで生きているわけではない
――アイスランドは現在、15年連続でジェンダーギャップ指数1位を記録していて、男女平等がもっとも進んだ国と言われています。その背景には「女性の休日」など、先人たちの取り組みがあると思います。私たちの日常生活と政治の関わりは、やはり避けられないものなのでしょうか。政治から完全に切り離すことはできません。とはいえ、人間は政治だけで生きているわけではありません。アナキスト研究家の友人が、「いきなりステーキ」を食べた感想を論考に書いたら、「この資本主義者!」と非難されたという話を聞きました。個人的なことのすべてが政治思想の声明でなければならない社会は息苦しそうですし、生活のすべてが政治に介入されたら生きづらくなってしまうと思います。
――ブレイディさんご自身の経験で、シスターフッドに助けられたことはありますか?
特に、私が保育士の資格を取った当時の託児所での経験は大きいです。そこは貧困家庭やシングルマザー、難民申請中の家族のお子さんを預かる特殊な託児所でした。中にはソーシャルワーカーが介入している家庭の子どももいて、暴力的な子がいることも珍しくありません。
しかし、同僚は女性が多く、私の師匠も含めて、まさに「シスターフッド」があったからこそ乗り切れたと思います。メンタルに問題を抱えている人や、さまざまな事情を抱えた人、いろんな国の出身の人が働いていましたが、みんながそれぞれの靴を履き、必要な時には助けの手が伸びて来た。
一人では乗り越えられない困難も、周りで見てくれている仲間がいるからこそ、協力して乗り越えることができる。それがシスターフッドなのだと実感しました。
アルゴリズムによって“分断させられている”のかもしれない

先日、新聞社の関係者にお会いした際、フェミニズムに関する記事がネットで非常にPV(ページビュー)を稼ぐという話を聞きました。しかし、それは多くの人がフェミニズムに関心を持っているからでは決してなく、何かと炎上しやすいコンテンツだからだそうです。PVを稼ぐ目的で、わざと煽るような見出しをつける傾向も増えていますよね。
――実はプラットフォーム側から個人が分断させられている可能性もありそうですね。
プラットフォーム側は、コメントがたくさんつくことで盛り上がるので、そうしたコンテンツを規制しない。ビジネスとして、お金になるコンテンツを流すわけです。
私たちは知らず知らずのうちに、アルゴリズムによって分断させられている可能性があります。昔から「分断統治」という言葉がありますが、支配者やプラットフォーム運営者からすれば、末端の人々やユーザーがお互いにいがみ合っていれば自分たちの統治の妥当性に目が向かないので都合がいい。SNSはその分断をさらに加速させるツールになりつつあるのかもしれません。
――アルゴリズムによってミソジニーが助長されていることについて、もう少し教えてください。
息子が中学生だった頃のコロナ禍では、イギリスは厳格なロックダウンが実施され、子どもたちは家に閉じこもるしかありませんでした。その結果、多くのティーンエイジャーがYouTubeなどでエクササイズの動画を観るようになりました。すると、アルゴリズムは筋肉増強剤などの宣伝をするミソジニー的なインフルエンサーの動画を次々と提示するようになったのです。
その結果、コロナ禍前にはいなかったような、ミソジニー的な価値観を持つ少年たちが急増しました。彼らはフェミニズムが何かをよく知らないまま、「フェミニズムなんてクソくらえ」とインフルエンサーたちの真似をして叫び、多くのフォロワーを獲得しているインフルエンサーはクールなんだと思って、彼らのように強い言葉を使うようになってしまうのです。SNSは、こうした考えの偏りを加速させ、グレーゾーンのない「白か黒か」という二極化を助長していると感じます。
排外主義的な政党が人気を得る社会とは

それは日本だけでなく、世界的な動きとしても見られます。私がイギリスに来た1990年代は、トニー・ブレア首相の時代で、移民の労働力が必要だったこともあり、多様性が推進されていました。しかし2010年代に緊縮財政を掲げる保守党政権に変わると、医療や教育、福祉など公共サービスへの支出が絞られ、社会に歪みが生まれました。
その影響をもっとも受けるのは、収入の低い人々です。富裕層は、公共サービスなんて使う必要がありませんからね。末端の人々の不満が募ると「これは移民のせいだ」と排外主義的な政党が声を上げ、人気を得る。本来、政府の政策に問題があるにもかかわらず、怒りの矛先を同じように苦しんでいる移民に向けることで、分断が深まってしまいます。
また、住宅問題も深刻です。多くの都市で若い人が家賃を払えないほど住宅費が高騰していますが、これも「移民のせいだ」とされます。しかし、実際には多くの資産家が家を投機の対象として買い、誰も住まないまま放置して転売したり、住宅価格や家賃をどんどん釣り上げていることが根本的な原因です。本来はそうした投資家の強欲さに目を向けるべきなのに、私たちは分断させられ、お互いにいがみ合わされているのです。
――そういった価値観の違う人たちが共存していくには何が必要だと考えますか?
やっぱり、最終的には対話することしかないと思います。
そうなると、頭ごなしに否定するのも何か違うよなと感じるようになりますし。相手を知ろうとすれば、いつもそうとはいいませんが、だいたい対話の糸口ぐらいは見つかるものです。ネット上では不可能な、地に足のついた対話が、現実世界では可能となるような気がします。
世代を超えた「縦のつながり」からなるシスターフッド

先ほども紹介したアイスランドのドキュメンタリー映画「女性の休日」で、感動した部分がありました。最後に、現代の若い女性たちが「お母さんたちがやってくれた」と語る場面があるんです。上の世代があの時やってくれたから、今の私たちがあるんだという意味です。これを聞いて、シスターフッドは「横のつながり」だけでなく、世代を超えた「縦のつながり」でもあるのだと気づかされました。
今の日本の女性の地位が国際的に見て低いのは、過去にそうした大きな運動が起きなかったからかもしれません。しかし、私たちが今立ち上がれば、50年後の子どもたちが「お母さんたちの世代が、おばあちゃんたちの世代がやってくれたから、今の私たちがいる」と言っているかもしれない。
そのためには、ネット上だけの議論ではなく、足元から、そしてサードプレイスからつながっていくことが重要だろうと思います。個々の小さなつながりが、やがて「連合」となり、大きな社会変革に繋がっていく。誰もが自分の足元から、行動を起こすことができると考えれば、そんなに大それたことではないし、難しい話でもないのです。

【山﨑穂花】
レズビアン当事者の視点からライターとしてジェンダーやLGBTQ+に関する発信をする傍ら、レズビアンGOGOダンサーとして活動。自身の連載には、レズビアン関連書籍を紹介するnewTOKYOの「私とアナタのための、エンパワ本」、過去の連載にはタイムアウト東京「SEX:私の場合」、manmam「二丁目の性態図鑑」、IRIS「トランスジェンダーとして生きてきた軌跡」がある。また、レズビアンをはじめとしたセクマイ女性に向けた共感型SNS「PIAMY」の広報に携わり、レズビアンコミュニティーに向けた活動を行っている。
Instagram :@honoka_yamasaki