本書は、雑誌『Numero TOKYO』での短歌連載を書籍化したもの。
『恋のすべて』は、誰しもの心の中にきっとある、恋の記憶に触れる歌が必ず見つかる一冊。くどうれいんさんと染野太朗さんに、珠玉の恋の歌の数々が生まれた経緯と短歌の楽しみ方を伺いました。
創作の現場をふたりともにして

くどう 作家の仕事は孤独な作業なので、誰かと一緒にやる幸せをかみしめていました。いただくテーマはどれも面白くて。「自分の短歌ってこんなニュアンスも出せるんだ」といった実験にもなってすごい楽しかったです。
染野:そもそも友人同士なので、できた歌は互いにLINEで送り合うのですが、締め切り当日にふたりで作るときもあって。なんでしょうね、一緒にやるからなのかすごく気持ちが盛り上がるんです。
くどう:だいたい太朗さんが先に送ってくれて、それを見て「そうきたか~! く~うまい!」と思いながら、負けじと書くみたいなことをしていました。
連載だから生まれた歌も
染野:創作物は共有していないけれど、創作の現場は共有していました。とくに、ルールはなく自由にやっていたので、お互いの短歌がつながるときもあったり。くどう:太朗さんの作中の主人公のパートナーの立場で書いた歌も何首かあります。
染野:「クリスマス」のお題のとき、僕が「香水」という言葉を使ったら、れいんさんが、それを受けて、「ブラックティー・インク・無花果 失恋の前触れとして香水を買う」と詠んでくれて、香りが立ち上がるようにしてくれたのは印象深かったですね。
くどう:私がよく覚えているのは「嫉妬」の回です。まず太朗さんの「勝ちたくて壊す、壊せばまた負ける きみを溢れてコスモスが咲く」という歌を見て、もうこの歌があれば、もう私の5首なんかいらない!みたいな気持ちになってしまって。
でも、太朗さんが真っすぐに「嫉妬」を読まれたので、私も真正面から向き合わなきゃと5首を作ったんです。でもそのあと、北岡誠吾さんの誌面デザインが送られてきて見たら、青と緑の円が描かれていて。それがもう衝撃で。赤じゃない!って。

くどう:本当の嫉妬って赤くない? のかも……とか思えてきて、それで歌を変えたんです。それが、「赤いだけの嫉妬を過ぎて闇に眼が慣れた瞼のうらがわの紺」。グラフィックからこれほどの刺激を得られるというのは発見でしたし、太朗さんと私、デザイナーの北岡さん、そして『Numero TOKYO』の連載という、この座組だからこそ生まれた短歌でした。
「わかる」より「気になる」歌をためていく

くどう 一口に短歌って言っても、いろいろな歌人がいて短歌もいろいろです。絶対に合う歌人、好きな短歌は見つかるはずだから、そういう人と出会えるといいですよね。すぐに「向いてないかも」って思わないでほしい。
染野:短歌に慣れたり上達したりするには、とにかく「多読多作」だと言われます。書店の短歌コーナーは今、とても充実していますし、ネットでも短歌に関する情報がたくさん出ているので、気軽にアクセスして自分でいろいろ見てみる。いろんな人の短歌が載っている短歌雑誌やアンソロジーを読むといいかもしれません。
くどう:あと、国語的なものの素養が必要だとか、読み解かなくちゃいけないとか思いすぎないこと。1首に固執して「わからない…」って考えすぎず、まずはわかる短歌を探しに行くのもいいと思います。
染野:ワンフレーズ面白いと思ったらそれだけでもまずはいい。例えばさっきも挙げた「ブラックティー・インク・無花果 失恋の前触れとして香水を買う」。「失恋の前触れとして」ってどういうことだろうと。でもまずは「ブラックティー・インク・無花果」で広がる香りやイメージを、短歌のリズムに乗せて楽しむ。まずはそういうところからで良いのだと思います。そのうち、そんな香りすべてが失恋の予感になるなんて、華やかだけどなんだか寂しいなとか、理屈では説明しきれない感覚とともに、なんとなくわかったような気がしてきます。
短歌を日常に組み込む
――では「自分の思いを短歌にしてみたい」と思ったときは、どうしたらいいでしょうか?染野:まずは、自分が書くものが五・七・五・七・七になる喜びや楽しみを感じればいいのだと思います。
くどう:五・七・五・七・七にはめ込むだけで楽しいですよね。
染野:もう少し具体的なことを言うと、感情そのものでなく、感情が湧き上がったときに見えていたもの、そのシーンを書くというのもいい。その瞬間、たとえば、目の前にあるペンの青さが気になったら、それを五・七・五・七・七にするだけでいい。いいものを作ろうとか、気持ちをちゃんと伝えなきゃと考えるから難しくなっちゃう。
くどう:私はとことん自分のために書きたいなあと思います。投稿とかコンクールとか評価を求めるのもいいけど、「だれに書くか」より、「何を書きたいか」が自分の経験上、長く書くためには大事だと思うので。自分の経験なんてたいしたことないと他人と比べがちですが、誰1人同じ感情はなくて、その人がその時その場所でそう思ったのは、その人だけ。自分が書きたいと思った気持ちをいちばんに尊重するのが、案外難しいのですが大事だなあと日々思います。
――さまざまな表現手段がある中で、短歌だからこそできるはなんでしょう?
染野:日本語が音であることを思い出させてくれるのが短歌だと思っています。
くどう:小説は1冊暗記できないけど、短歌1首なら暗記できる。身ひとつで携えられるのが短歌で、私はそれってけっこういいことだと思っていて。覚えているとあるタイミングでその歌が思い出されて、景色やものに「透明なキャプション」がつくんです。
たとえば、本にある太朗さんの「さびしいときみが言うときさびしさは消えない虹のようでさびしい」っていう歌と出会ってから虹を見ると、「あ、消えるほうのさびしさだ」と感じられる。さびしさに襲われたとき、「ああ、これは消えない虹なのかも」って思えたら、ちょっとかわいくなる。短歌にはそんな効果があるような気がします。
【くどうれいん】
1994年、岩手県盛岡市出身・在住。作家。エッセイに小説、絵本、短歌と幅広く手がける。
【染野太朗(そめの・たろう)】
1977年、茨城県生まれ。大阪府在住。歌人。短歌結社まひる野所属。第一歌集『あの日の海』で第18回日本歌人クラブ新人賞を受賞。2015年Eテレ『NHK短歌』選者。2016年に第二歌集『人魚』(KADOKAWA)、2021年に現代短歌クラッシクス『あの日の海』、2023年に第三歌集『初恋』(ともに書肆侃侃房)を出版。短歌同人誌『外出』『西瓜』同人。『まひる野』編集委員
<文・取材/鈴木靖子 撮影/星亘 ヘアメイク/上杉光美>