舞台は1984年(昭和59年)の渋谷。
豪華なクセ者たちが、これでもかと現れる
主人公の久部三成(菅田将暉)は蜷川幸雄に憧れる若手演出家。自分の作った劇団にもかかわらずやりたい演劇ができず苛立って、迷いこんだのが「八分坂」。無料案内所の老婆(菊地凛子)に紹介されたスナック・ペログリーズでぼったくられ、大事なシェイクスピア全集を取り返すため、ストリップ劇場・WS劇場へ。そこで倖田リカ(二階堂ふみ)のダンスに魅入られて――。
老婆が久部に予言を告げる。「あんた変わるよ 八分坂で」「一国一城の主となりそして――」。それはまるでシェイクスピアの『マクベス』の魔女の予言のようだ。
「わかりやすい芝居つくって何になるんだよ」
一国一城の主になると予言された久部だが、目下、苛立っている。「どうしてもっと観客を信頼しない。彼らはわかりやすさなんか求めてはいないんだ」「おもしろさに価値を見出すな」「わかりやすい芝居つくって何になるんだよ」「答え合わせなんか必要ないんだよ」「わからなくていいんです 理解しなくていい 感じてくれれば」等々、主にわかりやすいものをやりたくないということのようで、自身の演出作「クベ版 夏の夜の夢」ではシュールな蚊取り線香の舞台装置を作って劇団員たちを困惑させていた。

菅田は器用な俳優で、整くんのようなナイーブな役から、Netflixの『グラスハート』の金髪で眉毛も潰したビジュのキレッキレな天才アーティストから、今回の久部のようなやかましい人物まで、別人のように演じてみせる。
「もしがく」のタイトルはどこから?
『コントが始まる』(21年、日本テレビ系)で演じたマクベス(makubesu)という名前のコントグループのメンバー高岩春斗はニュートラルな人物だった。そういえば、『コントが始まる』第1話で彼らのコントを見に来た有村架純演じるヒロインが「もし私が見に来ていることを知ったらいったいどんな顔をするだろうか」と、今回のタイトルみたいなセリフを言っていた。まさか『もしがく』がそこから来ていたらどうしよう。まあどうもしないが。
有村のセリフは岡村靖幸の「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」(90年)が元ネタだと思う。

<ここは見世物の世界 何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら すべてが本物になる
It’s a Barnum and Bailey world,
Just as phony as it can be,
But it wouldn’t be make-believe
If you believed in me.>
もし私を信じてくれたらならつくりものは本物になる。物語を作る人の共通の気持ちなんじゃないかと思う。
ちなみに『1Q84』のBOOK1第24章は「ここではない世界であることの意味はどこにあるのだろう」だ。キリがない。
大河ドラマのように激しい菅田将暉
話を戻して、菅田将暉である。三谷幸喜は『鎌倉殿の13人』で義経を演じた菅田将暉を意識しているようだ。<(前略)「鎌倉殿の13人」(NHK大河ドラマ/2022年)の印象が強くて。あのときの源義経(菅田の役名)を観たときに「この人には今後こんな役をやってほしい」という思いがすごく膨らんだんですよね。菅田さんは「ただのいい人」「憎まれ役」など一色で語られる役ではなくて、もっといろいろな面を持った複雑な役ができる人だなと思ったんです。「そういう役を書かせてほしい」「演じてほしい」という思いで今回の役が出来上がりました。>(「モデルプレス」9月28日より引用)
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で菅田が演じた源義経は、戦の天才で、思い立ったら即行動に移す人物。「引き絞られた矢が放たれたかのようじゃ」とも例えられ、芋が箸でとりにくかったらぶっ刺したり、うさぎをとりあって相手を騙して矢を放ったり、壇ノ浦の戦いでは敵の漕ぎ手を射殺せと禁じ手を命じたり容赦ない。「私は戦場でしか役に立たぬ」と肩を落とすシーンもあったが、基本、大きな目をひんむいてわめいていた。
大河ドラマの菅田将暉は天才ゆえ手のつけられない激しい人物を連続で演じている。三谷作ではないが『おんな城主 直虎』(17年)で初めて大河に出たときはやんちゃで手のつけられない井伊直政役を演じていた(いつか大河ドラマ『井伊直政』をやってほしい)。
同じ年に公開された映画『帝一の國』も生徒会長になるため野心を燃やす男の激しいキャラが人気を博した。ドラマ『民王』(15年 テレビ朝日系)からの流れで、血管が切れそうなほど顔に力を入れて喉が潰れそうなほど大きな声を出す、そんなキャラを一時期菅田は連続で演じていた。

二階堂ふみとの、最後のシーンが痛快!
『もしがく』の久部も、令和のいまだと、なかなか受け入れにくそうな、昭和の熱い男を演じている。自分なりの信念があるが、仲間たちには受け入れられない。持て余しているエネルギーを、第1話では、リカ(二階堂ふみ)にピンスポを当てるときに全開で発散する。このときの久部の表情がスナイパーのような凄みがあった。ネタバレだが、ポーズを決めるリカとピンスポがピタリと合うところは痛快だ。
初回30分延長で、仲間の信頼を失い、大事な本を失い、久部にいいところなしだった末、最後の最後で見た甲斐があった。続きも見ようと思った。

80年代を知っている人には語りたいことだらけ
さて。久部三成がマクベス+リチャード三世、倖田リカがコーディリア(リア王)、蓬莱省吾がホレイショ(ハムレット)、江頭樹里がジュリエット(ロミオとジュリエット)、ペログリーズは『ペリクリーズ』、ジャズ喫茶テンペストはまんま『テンペスト』などシェイクスピアのキャラ名やタイトルをもじっていることがSNSで話題になった。と同時に、三谷幸喜の半自伝的な話でもあるというのもあって80年代の渋谷の街の歴史やカルチャーなど知っている人には語りたいことが満載だ。そのなかで、久部がわかってもらえない苛立ちから灰皿を投げようとしたとき、蜷川幸雄のマネだと指摘されてしまう。「おまえにオリジナリティはなんにもない」と。
ちりばめられた蜷川幸雄エピソード
蜷川幸雄が『NINAGAWAマクベス』で仏壇を出したと久部は言うが、蜷川は仏壇と拝む老婆を出すことで、シェイクスピアに馴染みのない日本人の庶民にも共感できるものを作ろうとしていたのであって、決してわからなくていいとは思っていなかったのである。蜷川幸雄の書籍も作っていた筆者はそう思う。
三谷幸喜は“わかりやすい演劇”の名手だが…
久部は「(客は)わかりやすさなんか求めていない」と観客の知性やセンスを信じている。でも、三谷幸喜は「ウェルメイド」な演劇の第一人者である。構成が巧みで物語の展開がよくできている、上質な作品という意味で、見る人を選ばず、誰にでもわかりやすく楽しめるものとして、人気を博してきた。
<文/木俣冬>
【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami