お笑い芸人のシドニー石井さん(31歳)。令和ロマンの松井ケムリさんもメンバーである、登録者数45万人以上の人気YouTubeチャンネル『僕らの別荘』のリーダーで、今年4月には初の著書『人生楽しいがすべてと言っても過言ではないな』(KADOKAWA刊)を発表。
2024年からは個人YouTubeチャンネル『シドニー石井ch【友アホ】』でも活躍しています。

 石井さんはたびたび、自身の生い立ちを動画や本の中で綴っています。エリートだった子ども時代、いじられキャラだった中高生時代、そしてお笑いをやるために進学した大学時代……。現在の彼を形作ったという、紆余曲折の人生模様を語ってもらいました。

「幼稚園で早朝から勉強、小学校では週7で習い事」“天才児”と...の画像はこちら >>

6時に起床し、登園前に2時間勉強していた幼稚園時代


――石井さんがお笑い芸人を志したきっかけは何だったのですか?

「いちばん初めに意識したのは小学生くらいの時ですね。当時の僕はすごく優等生で、賢い側の人間だったので、友達がふざけている中に入っていけなかったんです。その窮屈さからお笑いの柔和な空気に惹かれたんじゃないかと思います」(シドニー石井さん、以下「」内同)

――テレビ番組を見て、というわけではなかったのですね。

「僕はテレビでお笑いを見たことがほとんどなかったんです。すごく厳しい家庭で育ったので、見ることができなかった。完全に実体験の部分から憧れを抱いたんですよ」

――テレビを見てはいけない……教育熱心なご家庭だったのですか?

「幼稚園の頃は6時に起きて登園する前に2時間くらい勉強してたんですよ。その当時は自覚がなかったのですが、後から思うとなかなか……うちのお母さん、教育ママすぎますよね(笑)」

周りに天才と言われたけど、“普通”だと思っていた

――石井さん、幼稚園児ですよね?!めちゃくちゃ厳しいスケジューリング……。

「僕からすると特に比較対象がないので、どのお家もそんなものだと思っていました。僕には普通のことだから頑張っているという気もない。年長さんの頃には九九が全部言えるようにはなっていました。
小学校に上がっても、授業でわからないことを新たに知るという感覚がなかったんですよ。でも、周りはわからなそうにしてるから、何でかな? って」

「幼稚園で早朝から勉強、小学校では週7で習い事」“天才児”と呼ばれた31歳芸人が、親に思っていたこと。中学で一気に「脱エリート」
――それっていわゆる神童じゃないですか。

「言われていましたね、天才って(笑)。でも、これって僕が地元の公立に進んだせいもあると思うんですよね。姉は小学校から私立に通っていたから、彼女は周りも自分と同じレベルの子どもがいるような環境だったんです」

習い事は週7日、放課後に遊ぶのは不可能

――小学校時代はどんな生活をしていたのでしょう。

「習い事を週に7日やっていました。だから友達と放課後遊ぶってことが無理。やっていたのはピアノ、公文、野球、剣道、文章を書く教室、水泳を週2回。この習い事ってどれも脳に良いって言われているラインナップのような気がするんですよ。ただ、剣道だけは僕からやりたいって言ったもので、野球は父親からの希望でもありました。まあ、それでも全て教育のプラスになりそうなものばかりですね」

「幼稚園で早朝から勉強、小学校では週7で習い事」“天才児”と呼ばれた31歳芸人が、親に思っていたこと。中学で一気に「脱エリート」
――よくパンクしませんでしたね。

「いや、でも小学校4年生でもう反抗期がきちゃって、勉強は何もしなくなっちゃったんですよ。親が正しいとずっと信じていたけれど、20年後には自分も親になることを想像したら、『このままだと全然ヤバくね?』って。
小学校を卒業するまでに反抗期は終わっていましたが、その頃には親はもう僕のことを諦めていましたね」

優等生から中学デビューでイジられキャラに

――その後は中高一貫の私立男子校に進学されたそうですね。

「はい。明治大学付属中野中学と高校に通っていました。ここでキャラ変のチャンスが来たんですよ。公立の小学校から私立の中学に行ったので、面子が様変わりするじゃないですか。完全なる中学デビューで陽気なバカをやるようにして、いじられキャラを6年間貫きました」

――中高が明治大学の付属校ですが、別の大学に行かれてますよね?

「高校3年の時に、内部進学するには成績が足りないと言われたんです。でも、僕はその時点で『芸人になるから大学には行かない』と決めていたんですよ。そしたら親にめちゃくちゃ怒られて。『今やることから逃げているだけだろう』と。それ聞いて確かにとは思ったので、大学受験はしました。現役では落ちて浪人することになりましたけど」

――受験に落ちたのなら、そのまま浪人せずに芸人になるルートも考えられたのでは?

「学生お笑いというものを知ったんですよ。大学の4年間で培ったものがあれば、お笑いの養成所に入ってゼロスタートになった時に有利じゃないかと考えたんです。それで一浪後に東洋大学に入りました」

――いわば、お笑いの経験値を積むための大学進学?

「そうです。
それなら学費は自分で払おうと思って、週に3日は夜勤をするような生活をしていました。でも、結局そのスタイルでいくのは無理でしたね。親に相談もなく勝手に2年間休学して、3年生の時に退学しました。だから僕が支払ったのは、1年間の学費と2年間の休学費だけなんですよ」

「思っていたよりも自分は面白くなかった」

――その間にお笑いの活動はしていたのですか?

「はい。明治大学のお笑いサークル『木曜会Z』に入っていました」

――ママタルトの大鶴肥満さん、サツマカワRPGさんなど、現在活躍中の芸人さんを多数輩出しているサークルですね。

「そうです。当時、僕は部長もやっていました。他校との合同ライブにも出たりして、界隈で顔を広げていましたね。ちなみに、他校のサークルの同期には、令和ロマンの髙比良くるまやラランドがいます。大学芸会という大学生のM-1みたいな大会では、ラランドのサーヤとコンビを組んで決勝に行ったのですが、同時に1年のときから組んでいたコンビでも決勝に行けたんですよ。この流れで大学4年になる前に退学して吉本の養成所、東京NSCに入学したんです」

――大学版M-1のダブルファイナリスト! すごいじゃないですか。

「でも、いっぱいズルして結果を出しただけというか……。
やっぱり学生お笑いって身内の客が多いんですよ。その人たちに顔が知られていれば、何でもウケてしまうような空気はありました。だから、令和ロマンやラランドに比べたら、ちゃんとした結果はぜんぜん出せてないんです。思っていたよりも自分は面白くなかったと、この辺りで自覚し始めました」

【シドニー石井】
お笑い芸人。1994年生まれ東京都出身。吉本総合芸能学院(NSC)東京校23期生で、同期に令和ロマンやヨネダ2000がいる。YouTubeチャンネル『僕らの別荘』のリーダー。2024年からYouTubeチャンネル『シドニー石井ch【友アホ】』でも活動中。

<取材・文&撮影/もちづき千代子>

【もちづき千代子】
フリーライター。日大芸術学部放送学科卒業後、映像エディター・メーカー広報・WEBサイト編集長を経て、2015年よりフリーライターとして活動を開始。インコと白子と酎ハイをこよなく愛している。Twitter:@kyan__tama
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