木曜MCを務めるEXITの兼近大樹さんは、「父親やめたい」も同様に批判されると述べ、親であることが“義務化”している現状が少子化の一因ではないかと指摘。
この「母親をやめたい」という言葉に、胸を締めつけられる人も少なくないのではないでしょうか。実際に、その言葉を現実にした女性がいます。
結婚後に知らされた「家業を継ぐ」という現実
東京生まれの真里さん(仮名・30代)は、都内の大学を卒業後、大手飲料メーカーに就職。営業職として忙しい毎日を送りながらも、仕事にやりがいを感じていました。そんな真里さんが25歳のとき、職場で出会った5歳年上の陽介さん(仮名)と結婚します。穏やかで頼りがいのある彼に惹かれ、「この人となら幸せな家庭が築ける」と信じていました。
「翌年には長男を授かりました。幸せな家庭を思い描いていたのですが、夫から突然、『家業を継ぐために地元へ戻る』と告げられたんです。すでに入籍後のことでした。もちろん、生まれ育った東京を離れたくないし、子育てが落ち着いたら仕事にも復帰したい。地元の友達ともまだ遊びたいと思っていました」
しかし、真里さんの希望は聞き入れられず、ほぼ強制的に夫の実家がある東北地方へ移住することに。知り合いのいない土地での生活が始まりました。
「働きたい」と訴えても取り合ってもらえず
「夫は仕事も忙しく、地元の付き合いもあって充実していたようですが、私は孤立していました。周囲は夫の親戚だらけで、しょっちゅう法事などの集まりがあり、その度に料理を作ったり準備をしたりするのも“嫁の役目”と言われました」初めのうちは「これが田舎の習慣なんだ」と自分に言い聞かせていた真里さんですが、次第にその言葉が彼女を追い詰めていきます。朝から晩まで、家事と育児と親戚付き合い。誰かのために動き続けているのに、「ありがとう」の一言も言われない。真里さんのことを気にかける人は一人もいませんでした。
「毎日、同じことの繰り返しに耐えられなくなって、子どもを保育園に入れて仕事をしたいと夫に伝えても、『母親は家にいて子どもを見るものだ』と反対されました。義両親も『うちの嫁が外で働くなんて聞いたことがない』と取り合ってくれません。夫と同じ価値観で、ますます息が詰まっていきました」
一方で、友人たちのSNSには仕事や子育てを両立しながら旅行や食事を楽しむ姿が並びます。「なぜ、私だけこんなに息苦しいんだろう」と感じる日々が続いたといいます。都会育ちの彼女にとって、慣れない土地での閉塞感と孤立は、想像以上に重くのしかかっていきます。
「◯◯家の嫁なのに」と陰口を言われ
「朝からご飯はひっくり返す、おもちゃを片付けない、着替えもイヤ、お風呂もイヤ。何をしても“イヤ”の一点張り。外出すればスーパーの床に寝転がって泣き叫び、周囲の視線が突き刺さる。
さらに近所の人が義両親にその様子を逐一報告していたのです。その度に義母が家に来て、『母親なんだから、もう少しちゃんと面倒を見れないの?』『そんな子を育てるなんて、うちの家系にはいなかった』と嫌味を言われることもしょっちゅうだったといいます。
「夫の家は地元でも代々続く家業として知られているので有名人。そのため、『〇〇家の嫁なのにあの子のしつけはどうなってるの?』『母親のくせに何もできない』と陰で言われることもあり、外を歩くだけで誰かに見られているような息苦しさがありました」
「ほんの数時間の家出」をきっかけに…
ある日、どうしようもなくなった真里さんは黙って子どもを義実家に預けて東京へ向かいました。「ほんの数時間でしたが、友達と会って昔のように何でも話せて幸せだった。そのとき、“母親”でも“嫁”でもない、“ただの自分”に戻れた気がしたんです』
友人の近況を聞くうちに仕事に打ち込んでいた頃の自分を思い出したという真里さん。「もう一度、みんなのように仕事して輝きたい」そう思う一方で、現実を考えると難しいものでした。
「東京に日帰りで行っただけで嫌味を散々言われたので、子どもを置いて夫の地元を出るなんて無理でした。夫も義実家も許してくれない状況で、どこにも自分の居場所がない……。それでも、もう一度“生きている実感”を取り戻したいという思いは消えませんでした。このまま我慢を続けていたら、きっと自分が壊れてしまう。
そこで、ふと頭に浮かんだのが、昔から憧れていた海外生活でした。知らない土地で、誰にも知られず、ゼロから言葉を学び、自分を見つめ直す。そんな時間を過ごしてみたい…その思いが日に日に強くなっていったといいます。
そして彼女は決断します。「もう一度、自分を取り戻したい」と、義実家を飛び出し子どもを東京の両親に預け、単身でオーストラリアへの語学留学を申し込みます。そして、そのまま日本には帰りませんでした。
果たして彼女だけが悪かったのか?
最初の数か月は、真里さんの両親が子どもを育てていました。しかし、当然ながら真里さんの行動は両親には受け入れられなかったといいます。「母には『子どもを置いて外国に行くなんて、母親失格』と言われました。父にも『逃げても何も変わらない』と突き放されました。どちらも正論なんです。でも、その“正しさ”があのときの私には一番つらかったんです」
両親にとっては、可愛い孫を置いて家を出た娘の決断など到底理解できるものではなかったでしょう。けれど、真里さんにとっては、あのまま家族の中に留まることのほうがもっと苦しかったのです。
「“母親として間違っている”と責められるたびに、自分でもそう思ってしまって……。でも、誰かに助けてほしいとも言えませんでした。友達に相談しても『稼業も家もあるなんて将来安泰じゃん』『田舎暮らしうらやましい~』と言われるだけでしたね。みんなは“表面上の幸せ”しか見ていない。私が毎日、息を詰めながら生きているなんて、誰にも伝わらなかったんです」
現在は夫と義父母が子どもを育てている
「夫とは少し前まで離婚調停中でしたが、夫は最初、離婚を認めてくれませんでした。夫や義両親からしたら嫁に逃げられるなんて近所で何を言われるかわからない、恥だったんでしょうね。しかし、親権を譲るのであれば離婚に応じてやるって言われて……夫の身勝手さや都合の良さを痛感しました……」
とはいえ、息子を手放すことに後悔もあったといいます。
「人生でいちばん苦しかったです。母親として間違っていることはわかっています。でも私が戻っても、また同じ毎日が待っていて、息子をちゃんと笑顔で育ててあげられる自信がなかった。
真里さんは現在、オーストラリアで仕事をしながら、新しいパートナーと暮らしています。真里さんが離婚し、子どもを手放したことは周囲から「母親なのに…」「子育てが不十分だ」と指摘されることもありました。そのため、友人とも疎遠になり、日本にはさらに戻りづらい状況といいます。
一見すれば、真里さんの行動は身勝手に映るかもしれません。しかし、孤立した環境の中で助けを求めることもできず、自分の存在をすり減らしていった彼女にどれだけの選択肢があったのでしょうか。
「母親をやめたい」という言葉は、決して軽いものではありません。それでも、その言葉を口にせざるを得なかった現実を、私たちは無視できないはずです。
真里さんの決断をどう受け止めるか——それは読む人それぞれの中にある、“母親とは何か”“生きるとは何か”という問いに向き合うことなのかもしれません。
<取材・文/結城>
【結城】
ライター・社会取材系。子育てや家庭問題、現代の生きづらさなど、社会の現実に根ざしたテーマを取材し、読者に考えるきっかけを届ける記事を執筆。
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