スタジオジブリのトリビュートアルバム『ジブリをうたう その2』をめぐって、ちょっとした騒動が起きています。

「くるり」岸田繁、アルバム参加取り消しの真相

 玉井詩織(ももいろクローバーZ)との共演で「崖の上のポニョ」に参加する予定だった、ロックバンド「くるり」の岸田繁の不参加が発表されたのです。

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 同アルバムの発売元であるビクターエンタテインメントは声明を発表。
「本作に収録を予定しておりました『崖の上のポニョ』につきまして、制作過程において弊社が行うべき編曲に関する許諾手続きに不備があり、当該音源の完成がなされていたにもかかわらず、収録が叶わなくなりました。これに伴い、本作への参加を予定しておりました岸田繁様のご参加が実現できなくなりました」と、経緯を説明しています。

岸田繁「現場では問題なかった」

 ビクターの声明を受けて、岸田氏も自身の「X」アカウントで長文を投稿しました。その中から重要と思われる箇所を引用します。

 まず、岸田氏はトリビュートアルバムのプロデューサーから直々に編曲作業の依頼を受けたと明かしており、「不参加」の決定自体が極めて不可解なものだったと率直に語っています。

<プロデューサー氏から「ぜひ岸田くんの編曲を」と依頼を受け、デモ段階から大きく構成やアレンジを作り替え、自分としても手応えのある形に仕上げました>

 ところが、仕上げた音源が現場から離れ、より上位の意思決定グループに委ねられた途端に事情が一変したのだというのです。

<制作現場の合意や創作の成果よりも、極めて限定された権限のもとで下される最終判断が優先される制作構造が、今回のような結果を生んだことは否定できません>

 この投稿を読む限り、語られていることの時系列が正しく、すべて事実だとすれば、岸田氏に落ち度は全くありません。岸田氏が、なにやら自分の主張をゴリ押しして現場の意向を無視したアレンジを通したという話ではないからです。

編曲許諾手続きに潜む落とし穴

「人気バンドボーカルが突如不参加に…」ジブリ・トリビュート騒動の“裏側”と編曲許諾の“落とし穴”
岸田繁さん画像:株式会社大村屋 プレスリリースより
 一方、改めてビクターの声明を読み返すと、こちらにも重要な文言が記されています。それは、「編曲に関する許諾手続きに不備」という文言です。この「不備」という言葉に、今回の問題を読み解くヒントがあるのだと思います。

 では、「編曲に関する許諾手続き」とはどういうことをするのでしょうか? JASRACのホームページには、<編曲にあたっては「編曲権」の許諾とあわせて、著作者人格権の「同一性保持権」にも配慮する必要があります。JASRACでは「編曲権」と「同一性保持権」はお預かりしていないため、編曲や替歌などに対して許諾することはできません。編曲に関する許諾は、著作者または音楽出版社などの権利者に行っていただいております>と記されています。


 ここで大事になるのは、「著作者人格権の『同一性保持権』」というワードです。今回の「崖の上のポニョ」で言うと、作曲、編曲を手掛けた久石譲氏が、岸田繁氏の新たなアレンジに対する「著作者人格権」を主張する権利を持っている人物になります。

 つまり、久石氏の意に反する形で、楽曲上の変更や切除、その他の改変を受けない権利が法律上守られているということなのですね。

 楽曲は、作曲や編曲を含めて、全体としてその作者の思想や人格を反映しているものだから、その作者の意図するものを侵害し得る行為に対しては、著作者は異議申し立てをする権利があるのです。

結局、何が問題だったのか?

 以上を踏まえて、ビクターが言う「編曲に関する許諾手続きに不備」とはどういう状況なのかを推察してみましょう。

「人気バンドボーカルが突如不参加に…」ジブリ・トリビュート騒動の“裏側”と編曲許諾の“落とし穴”
久石譲さん画像:ネットマーブルジャパン株式会社 プレスリリースより
 まず、現場(岸田氏とアルバム制作陣)において何ら問題がある様子はうかがえません。それは、岸田氏の<私の作品を活かすための代替案まで提示してくれました>という、レコード会社とプロデューサーへの謝辞からも読み取れます。

 となると、「手続きの不備」とは、著作者人格権の同一性保持権に関わることであったと理解するのが自然です。それこそが、岸田氏の言う<極めて限定された権限のもとで下される最終判断>の正体だったのでしょう。

 当然のことながら、これは岸田氏も悪くないし、プロデューサーも悪くないし、なんなら「極めて限定された権限」を持つ人物が悪いわけでもありません。

 しかし、ジブリの音楽に関して最後に然るべきチェックを通過しなければならないシステムがあるのであれば、その最高決定機関も現場で共同作業をする形を取るより他になかったのではないでしょうか?

 もっとも、それが“トリビュート”と呼べるかどうかは別の問題なのですが。

<文/石黒隆之>

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。
『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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