セレブの社長や織田信長役であればふさわしい役作りという気がするが、『もしがく』こと『もしも世界が舞台なら、楽屋はどこにあるだろう』(フジテレビ系 水曜夜10時~)での蜷川幸雄役にはやや、カラダでかすぎという印象があった。
蜷川幸雄役を小栗旬がやる必然性
世の中を斜めに見ている屈折した眼差しやカラダの角度はさすが、二十代の頃、蜷川の演出を受けていただけあって、よく観察し再現している気がしたし、面長の顔が似ていないとも言えなくもない。だが、ちょっと大きかった。蜷川は、二十代の小栗にあんまりカラダを鍛えないほうがいいと言っていたのだが、まあもう彼も四十代だから、当時とは状況も違うだろう。それよりも、『もしがく』の主人公・久部(菅田将暉)が尊敬する蜷川が演劇を見に来て久部を舞い上がらせる。その蜷川を小栗が演じたことは教え子であるとか、三谷幸喜作品にも『鎌倉殿の13人』をはじめ出ているという必然性のほかに、もうひとつエピソードが浮かぶ。
幻になった蜷川×小栗主演の『ハムレット』
筆者が聞き手になった蜷川の『身体的物語論』(18年、徳間書店)に小栗と蜷川のことが記されている。<09年『ムサシ』以降、蜷川の舞台に出ていなかった小栗は、13年に蜷川と対談したことをきっかけにもう一度一緒に仕事をしたいと考えるようになっていた。
「一度、同じ事務所の高橋努(元ニナガワ・スタジオ)が出ている『海辺のカフカ』(14年)の稽古に見学に行って、タイミングを見計らって蜷川さんともう一度芝居をしたいとお願いしたんです。最初、僕は『マクベス』をやりたいと言ったんですよ。でも、すでに市村正親さんで『NINAGAWAマクベス』をやることが決まっていて、それはできないと蜷川さんに言われてしまいました。
その後、蜷川さんから電話がかかってきて『「ハムレット」をやろう』と言われました。でも『ハムレット』も(藤原)竜也がやることになっていたし……。さっそく竜也に電話して『蜷川さんにそう言われたけどいい?』と確認したら『おもしろいじゃないか』と快諾してもらいました。
蜷川さんは「2012年・蒼白の少年少女たちによる『ハムレット』」のときの地下があるセットが気に入っていたみたいで、次にやるときも、何もない素舞台で、地下のある美術を考えていたようです。キャストは僕と、オフィーリア、クローディアスは決まっていましたが、あとはわかりません。(後略)>
蜷川が亡くなったので小栗の『ハムレット』は幻になった。
「大切なのはノイズ。予定調和は罪悪」
『もしがく』では久部は『マクベス』や『ハムレット』について語っていて、いつか『ハムレット』をやりたいと考えている。久部の名前といい、ドラマのなかでは『マクベス』のストーリーのオマージュのような部分も随所にある。でも蜷川の演出で『マクベス』も『ハムレット』もやることができなかった小栗が蜷川をやることになんともいえないしんみりしたものを感じざるを得ない。いや、『ハムレット』には出ている。それが彼と蜷川の出会いであった。03年、ハムレットに代わる次世代の王子フォーティンブラスを演じたのをきっかけに、小栗旬は蜷川の演出作に多く出て、英国デビューも果たした。
「演劇はね猥雑であるべきなんだ。
「ノイズだ。ノイズ。大切なのはノイズ。予定調和は罪悪」
「唐突に始まった漫才をやっていたのは?」「よかったよ。あれがノイズだ」
「人間はそれぞれ培ってきた人生がある。それを土台にして演劇という新たな身体表現で新しい自分に出会う。その瞬間に僕たちは立ち会うんだ」
「自分は十円のコロッケだって思ってる人間は美しいぜ」
実際、蜷川はこういうことを言っていたのか。この言葉通りではないが、近いことを言っていた。諸先輩がたが記した蜷川語録を引用してみよう。
<渋谷の公園通りで、大野外劇を演りたいと思っている。ビルからビルへ綱を渡して、猿之助の宙吊りを観せるとか、オートバイが通りぬけたり、長唄が聞こえてきたりというイベントをね。僕は、山の中でフェスティバルをしても仕様がないんじゃないかと思う。演劇って都市のものだよ。都市の吹き溜まりの中で演るべきだと思う。ガスのような、矛盾の渦巻く中で成立させてこそ、悪の華というか、人を連れ去る力というものがあるんじゃないか。
僕の芝居は、日常を忘れさせて異次元へ連れ去るもので、カタルシスの演劇なわけだ。だけど、そのカタルシスというのは泣くとかじゃなくて、一種の浄化なんだと僕は思っている。>(『Note 蜷川幸雄 1969~2001』より『ユリイカ』84.7に掲載されたインタビュー 聞き手:渡辺弘)
<「自分は十円のコロッケだって思ってる人間は美しいぜ」>(『蜷川幸雄の稽古場から』松岡和子の寄稿より)
これらの発言記録は蜷川幸雄が人間をどう見つめていたかを知る手がかりになるだろう。
小栗主演作で、本番4日前に大幅変更した蜷川
蜷川の考えていた演劇世界を小栗は思い切り浴びた俳優である。06年、小栗が主演した『間違いの喜劇』では初日1週間前、舞台稽古初日に演出プランが変更になった。蜷川は客席に集まった役者たちに向かって、
「このまま行くと完璧な演劇になりそうな気がしてきたんです。
ですが本来、この作品、そしてシェイクスピアは猥雑で下卑ていてアングラの匂いがするものです。そのいかがわしさをつくりたいんです」
この言葉は、パンフレットに差し込みで入れたレポートから引用した。小栗の芝居にも変更が加えられ、あたふたしながら「大幅な変更ですからねえ。そりゃあ段取りを忘れますよ~」と深刻にならないように明るく振る舞っていた。
本番4日前になってこの演出プランの急変を書いてプログラムに差し込みで入れたら?と蜷川が提案した。「インターネットじゃライブ感がない。おれならやるね」と蜷川に言われて、筆者が慌てて書いてデザイナーが慌ててレイアウトして印刷屋さんが慌てて印刷して初日に間に合わせた(コピーでも良かったのに)。
『もしがく』は見る人それぞれの、それなりに情熱を注いだ日々の記憶を呼び覚ます物語である。三谷幸喜に感謝したいのは、蜷川生誕90年の25年にこうやって改めて蜷川演劇について考えられたことだ。
ちなみに、84年9月、蜷川は無名の若者を集めた演劇集団GEKISHA NINAGAWA STUDIO(何度か名称変更している)を作って活動をはじめている。やがてそこに勝村政信や松重豊が参加するのだ。
第10話にしてタイトルの意味がわかる
さて、『もしがく』第10話は、それこそ、『マクベス』のようになっていく。トニ―(市原隼人)の捨て身(?)の活躍で、オーナー(シルビア・グラブ)の悪事がカセットテープに録音されていた。それを使ってオーナーと取引する久部。週120万円の重いノルマがなくなって1日2万円で済むことになりぐっと身軽になる。
久部は「やがて小屋主になる」と、おばば(菊地凛子)は予言する。久部はリカ(二階堂ふみ)にたきつけられて支配人夫婦(野添義弘、長野里美)を追い出し、WS劇場を我が物とする。
最終回は、ついに菅田と神木が対決か
久部は前から他人の言葉の受け売りばかりと言われていた。「この世はすべて舞台。僕らはみんな役者にすぎない」の意味も、蜷川の語る「ノイズ」もおそらくちゃんと理解していないだろう。主人公がこのまま尊敬できない小物ぽい悪役でいいのか、リカもいまのところただのいやな女なのだが、このままでいいのかいけないのか。
<※敬称略 文/木俣冬>
【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami
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