18歳まで、母から教育虐待を受けてきたあかりさん(仮名・21歳)。

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 現在は虐待の渦中から抜けたものの、バイト中に突然涙が出てきたり、対人関係で問題を起こしたりと、日常生活で支障が出る場面が増えた。


 意を決して精神科にかかると、双極性障害やASD(自閉スペクトラム症)の可能性を指摘され、通院とカウンセリングに励む日々を送っている。

 子ども時代の家庭環境や虐待の体験について語ってもらった前編に続き、後編ではあかりさんが直面した虐待の後遺症、そして現在も抱える葛藤を吐露する。

「ミスをしたらどうしよう」バイト中に涙が止まらなくなる

「バイト中にミスしたらどうしようと思うと、途端に緊張して涙が止まらなくなり、自分のメンタルが不安定な状態に悩まされていました。就活も控えていたので、自分と向き合わないとダメだな……と」

 大学3年生のあかりさんは現在、双極性障害の疑いがあると指摘され、通院とカウンセリングを受けながら、就職活動に勤しむ。都内の大学に通い、充実した学生生活を送っているように見える彼女だが、自身の精神的な不調を吐露する。

 背景、18歳まで受けていた親からの虐待があった。小学校高学年の頃から、テストの点数や成績がふるわないだけで母に罵倒され、LINEやSNSを監視されるなど、窮屈な思いを抱え続けてきた。

 大学に入ると一転、親からの束縛や過干渉からは開放されたものの、虐待による後遺症が今でも影響していると明かす。

「私の成績が思うように上がらないたびに、母はヒステリックに私を詰問してきました。ただ罵倒を受けるうち、母もまた祖母から医者になるよう厳しく育てられ、その影響で精神疾患を抱えていることを明かしてきました。

次第に、母はかつて祖母から受けた仕打ちを、そのまま私にぶつけているのだと思うようになりました。そこで母と言い争っているときに、『お母さんは祖母から受けた行為を、そのまま私にぶつけているだけでしょ。そんなの私から負の連鎖だからやめて欲しい』と問いただしたことがあるんです。


そうしたら母から『私がその負の連鎖を止めたところで何のメリットがあるの?』と言われました。真意はわかりませんが、私に気を遣って感情を抑えることは、母自身にとって癒えない苦痛を一人で抱えることになるからメリットがないと言ったのではないかと捉えています。

その時、母が自分に対して怒りをぶつけてくるのは『仕方のないこと』と思うようになりました。自分も傷つきたくないし、母にもこれ以上つらい思いをさせたくない。少なくとも私が反抗して、お互いの精神状態を悪化させるのはやめようと、次第に抵抗しなくなりました」

「自分はバカで無能だ」と思い込むように

「悪気なく友達を傷つけてしまう」母親から教育虐待を受けた21歳女性が、成人して自覚した“後遺症”とは
※イメージです(以下、同じ)
 しかし、頭では母が加害を向けてくる理由を咀嚼できても、暴言や罵倒を浴びる恐怖が薄れることはない。次第にあかりさんは、母からの罵倒や暴言をこう捉えるようになった。

「私がバカで無能だから、母は私を罵倒するのだと思い込むようになったんです。スマホの使用に制限があることも、成績が悪くて罵倒されることも、自分が至らないからと錯覚させていくんですね。

それは多感な思春期の頃に、自分を傷つけないようにしてきた処世術のようなものです。虐待の理由ができることで、理不尽な仕打ちもある程度は受け入れやすくなる。ある意味で自らを偽ることで、母からの虐待に耐える術が身についていったのだと思います」

悪気なく同級生を傷つけてしまったことも

 こうしたあかりさんの俯瞰した視点は、いま虐待の渦中から抜け、精神科やカウンセリングを受けたことで会得した部分も大きい。ただ、母から虐待を受けて蓄積されたダメージは、思わぬところで表面化した。

「思えば、高校生の頃から、虐待による影響を自覚していました。よく同級生に対して、悪気なく攻撃的な態度を取ってしまい、相手を傷つけてしまうことがあったんですね。
仲の良い友達にも『無能じゃん』などと口にしてしまう癖があったんです。

いま振り返れば、それは母から受けた虐待のせいで、自分の感性が鈍くなっていたのだと思います。母から罵倒され続けたことで、人より痛みや傷つきを感じるハードルが上がっていき、怒りや憎しみといった感情の調節が麻痺してしまった。

それに加えて、無意識に自分の感情に蓋をして虐待に耐えていたことで、余計に感情が鈍くなっていった。例えば、母から『無能』と罵倒されても、いちいち傷つかないように、本当に自分が無能だと思い込むようにする習性がついていました。

そうした思考回路が染み付いていたことに加え、たとえ意図的でないとはいえ両親からのストレス発散という側面もありました。『これくらいなら傷つかないだろう』と、いじりやからかいの範疇でやっていたことが、無自覚に周りを傷つけていました」

 筆者がこれまで取材現場で見聞きしてきたなかには、学校でいじめを働いたとされる加害生徒が、実は親から暴力やネグレクトを受けていたケースもある。親から受けた加害を子どもが受け止めきれず、無意識に同級生に向けてしまう。

 あかりさんが抱いていた苦悩も、どこかそれに近しいのかもしれない。いまだにあかりさんは虐待の後遺症を吐露する。

「母からの罵詈雑言に対し、『自分が~~だから悪いんだ』と納得できる理由を無理矢理探すことを繰り返してしてきたので、いまだに自己否定の癖が治らず、自己肯定感が低くて将来に希望が持てません。何を言われても傷つかないよう無意識的に感情にふたをしてきたので、感情が麻痺していて、他者への共感にも難しさを感じています」

「就活もまともにできない」焦りから精神科を受診

「悪気なく友達を傷つけてしまう」母親から教育虐待を受けた21歳女性が、成人して自覚した“後遺症”とは
就活生の女性
 このような後遺症からあかりさんは塞ぎ込みがちになる。

 自分が自覚していないところで加害者になり、人間関係でトラブルを起こしてしまうかもしれないーー。
そんな恐怖から、他人からの評価や言動を過度に気にしてしまう癖がついた。

「大学生の頃からは、逆に『相手から嫌われたくない』『自分が失望されるのが怖い』と過度に思うようになりました。

 あとは親が教育にスパルタで、テストや受験の結果で、自分への態度が変わったのも影響しています。結果主義で、自分があげた成果でしか評価してくれない。そうした家庭環境からも、周りの期待に応えなければいけないと思い込んでは、余計に自分で自分の首を絞めていたと思います。

バイト中にミスをしないよう意識すると、途端に緊張して泣いてしまうこともそうです。あるいは人からの頼みごとを断れなくなり、シフトを多めに頼まれたらそのまま引き受けて、学業と両立できずにパンクしてしまうこともよくありました」

 今のままでは、就活もまともにできないのではーー。そうした焦燥感から、あかりさんは精神科の受診を決める。とはいえ、受診には抵抗があったという。

「よく子どもが虐待死したり、ネグレクトされて保護された報道が流れるじゃないですか。ああいうのを見ると、親から受けていたことはあくまで“教育の一環”であり、これに傷ついたり納得していない自分が、わがままで甘えていると思っていました。

つまり、本当に精神科を受診していいのかわからなかったんです。
虐待を受けていたのも過去のことで、それが現在にも悪影響を及ぼしているのか判別つかなかったんですね。

それに自分なりに生きづらさを抱えているのに、もし治療の対象外だと知ったら、さらに傷つくだろうということも障壁にもなっていました。意を決して予約しては、何度かキャンセルもしましたが、このままではダメだと言い聞かせて通院につながりました」

通院につながった「ACE」という概念

 また、あかりさんが通院につながったのは、「ACE」という概念を知ったことも大きかった。「ACE」とは、「Adverse Childhood Experience(=逆境的小児期体験)」と呼称される学術用語だ。

 定義としては、18歳までに虐待やネグレクト、親の別居や離婚を経験したり、アルコールや薬物乱用、精神疾患や依存症を抱える家族がいる当事者を指す。ACEに該当する当事者は、いわゆる健全な家庭で育った子どもに比べて、精神疾患や貧困、社会的孤立などのリスクが高いというデータもある。

 あかりさんは就活で、家庭環境など自身の過去と向き合い、ネットで検索をかけるうちにACEの概念にたどり着いた。

 その瞬間に初めて、あかりさんは自身の体験が長期的に悪影響を及ぼし得るものだと確信したという。前述したように、これまでは虐待死などのセンセーショナルな報道を目の当たりにすることで、相対的に自身の境遇はまともであるという錯覚を抱いていた。

 しかし、ACEの概念を知り、虐待にもさまざまな背景や程度があると知ることで、自身も被虐待者である認識を持つ。「自分も虐待されたと定義されることで救われた気がした」とあかりさんは振り返る。

カウンセリングと精神科通院で傷と向き合う

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カウンセリングを受ける女性
 こうしてあかりさんは精神科の門を叩く。結果的に、過去の家庭環境の影響が疑われると指摘され、カウンセリングと通院を併用する形で治療を受ける。バイト代から月1万円ほどを捻出し、自身の根本にある傷と向き合う。


「精神科につながれたのは良かったですが、治癒には時間がかかると痛感させられます。

いまは薬を処方してもらっていますが、病名が確定したわけではない。私が抱えている問題が、虐待が原因なのか、それとも先天的な発達障害や気質によるものなのか、カウンセリングや投薬を通じて見極めている段階なんです。

カウンセラーからは、『感情が出る前に無意識に蓋をしてしまっているので、自分の本音に気付けない。いまは、その蓋を開けていく段階です』と説明されました。虐待を受けていた当時は、感情を押し殺すことが生きる術になっていたが、いまでは生きるうえでの弊害になっているのだと捉えています」

親からの呪縛から逃れられると感じた瞬間

 これから社会と折り合っていくことへの不安も付きまとう。幸い症状は軽度だというが、それだけに周りから理解を得るのが難しく、気づかないうちに感情を爆発させては人間関係でトラブルを起こしているかもしれない。

 あるいは結婚して、子どもが生まれたら、幼少期のことがフラッシュバックしてしまう懸念もある。「それこそ母が私にぶつけたように、私も娘が生まれたら同じことをしてしまうのでは」と一抹の不安を吐露する。

 とはいえ、もちろん治療につながれた決断は大きい。治癒までの道のりは長いだろうが、自分を俯瞰できたことで前向きになれる瞬間もあった。

「最近、韓流アイドルにハマっているのですが、ライブを楽しんでいる時など回復傾向にあると実感するんです。

これまでは母からあらゆる選択に介入され、勉強や受験を強制され、スマホや娯楽も制限され続けてきました。
それによって、心置きなく自分の好きなことを見つける機会がなかったんですね。だから『自分にも夢中になれるものがあった』と自覚した時は嬉しかったです。

一見、自分の好きなことに没頭するのは当たり前のように思えますが、私からすれば大きな一歩です。母の束縛から離れ、主体性を獲得しつつあるのだと。これからも自分が好きになれたことを、ひとつずつ再認識していくことが、前に進むきっかけになると考えています」

現在は就活中「自分の進みたい道を大事にしたい」

「悪気なく友達を傷つけてしまう」母親から教育虐待を受けた21歳女性が、成人して自覚した“後遺症”とは
就活生の女性
 現在は就活中のあかりさん。大学で学んだ社会学や、ゼミの実習で被災地のボランティアを経験したことを機に、インフラや建設系の職を志すようになる。

「それこそ就活っぽい言葉ですが、他人軸から自分軸になろうと意識しています。他人の視線を過度に気にせず、自分の進みたい道を大事にして、嫌なことは嫌と言う。そうした価値観を大事にしていきたいですね。

就活を始めた当初は、正直、親の顔がチラついていたんです。母は別の道に行ったほうが喜ぶのではないか、果たして母はこの選択を認めてくれるのか……と。大学以降、母からの干渉は収まっていたものの、どこかで意識してしまう自分がいました。

でも最近は、そうした強迫観念も薄れてきました。自分が選んだ選択の先に、私らしさが生まれて、結果的に虐待の後遺症も薄れていくのではないかと思っています」

 取材を進めれば進めるほど、あかりさんは21歳ながら達観した印象が際立つ。

 ただ、それでも虐待に起因する精神疾患が付きまとうと考えれば、それだけ虐待の影響は根深い。それでもあかりさんは、自身の歩幅で、過去の呪縛から離れようと前進する。

<取材・文/佐藤隼秀>
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