茜結さん(46歳)は、2人の子どもを育てるシングルマザー。大阪で劇団員やタレントとして活動していた彼女は、2度の離婚を経て上京。
直後に3度目の離婚も経験し、37歳でグラビアデビュー。現在は一般企業の広報、婚活アドバイザー、そして結婚相談所『ダイアモンド・リリー』の所長として活躍しています。

“奇跡の46歳”シンママが明かす激動の過去。3度の離婚、2児...の画像はこちら >>
女子SPA!では彼女の波乱万丈な人生模様をインタビュー。紆余曲折あった離婚劇、出産にまつわるエピソードを語ってもらいました。

見た目への強いコンプレックスを抱えていた少女時代

――幼少期はどんな女の子だったのですか?

「大阪出身なのですが、人とのコミュニケーションが苦手な子でした。どちらかというと変わり者で孤立していたと思います。家族はみんな整った顔立ちだったのに、私だけなぜか明石家さんまさんもビックリの出っ歯だったんですよ。

美意識の高い母から『口元を変えたら美人になるんだけど』と言われ続けてたんです。実際、バスのバックミラーに変な奴が映ってるなと思ったら自分だったこともあって、かなりコンプレックスを感じていたんです」

――そのコンプレックスが解消されたのはいつ頃だったのでしょうか。

「歯列矯正をしてからですね。でも、治したら周囲の対応がぜんぜん違うことに驚きました。こんなにも人って見た目の違いだけで優しくなるのか……とショックを受けたのを覚えています。ただ、自分に自信を持てるようになったのも事実なので、矯正して良かったと思っています。


それでも中高生の頃は、大人数や初対面の人が苦手で、気心の知れた少人数としか話せませんでした。今とは真逆の性格だったと思いますよ」

人前が苦手だった私が、仕事を通じて変われた理由

“奇跡の46歳”シンママが明かす激動の過去。3度の離婚、2児を連れホテル転々…「お金が底をつき夜の仕事へ」
(提供写真)
――今や婚活アドバイザーを務めるほどの人なのに……。意外な過去ですね。

「変わったのは社会に出てから、というか広報の仕事を始めてからですね。わりと最近の話です(笑)。PRの仕事を通じて交流会などに参加するようになり、少しずつ人と話すことに、徐々に慣れてきた感じです」

――22歳で一度目の結婚をされたそうですが、お相手はどんな方だったのですか?

「役者の先輩とです。結婚に憧れがあったので、なんとなく流れで……という感じでした。ただ、実際に結婚してみると想像とは違いましたね。私は年上の彼に甘えたかったのに、思っていた以上に彼のほうが甘えん坊で。今ならそういうタイプも好きなんですけど(笑)」

――すべて“若気の至り”って感じがします(笑)。

「だと思いますね。結婚1年ほどで私の中では『もういいかな』となっていたのですが、揉めに揉めて、別れるのに2年かかっちゃいました」

22歳、勢いで結婚してわかった“理想と現実”

“奇跡の46歳”シンママが明かす激動の過去。3度の離婚、2児を連れホテル転々…「お金が底をつき夜の仕事へ」
1224_茜結さん③
――その後、26歳で2度目の結婚をされたそうですね。

「バイト先で知り合った人です。付き合ってすぐくらいに子どもができて、結婚することは決まっていたので私は『やったぁ!』って感じでした。
ですが、相手はまだ2人の時間を楽しみたかったみたいで産むことにあまり賛成してくれていませんでした。それでも初めての妊娠ということもあり、なんとか産むことに決め、結婚もしました。

ところが、彼と安産祈願をしに神社に行った時、いきなり彼が突然『水子供養もしたい』と。どうやら過去に別の女性を妊娠させ、中絶させた経験があったそうで……。あまりにもデリカシーがなくて、正直ドン引き。気持ちも冷めてしまい長女を出産後、すぐに離婚しました」

――1児を抱えて2度目の離婚。その3年後、29歳で次女を出産されそうですね。

「この時の相手は付き合って1ヶ月で別れた彼氏でした。どこで出会ったのか、なぜ付き合ったのかもほとんど覚えていません。ただ、“変わった人だった”という印象だけは残っています(笑)」

「不安は何もなかった」シングルで迎えた2人目の出産

――1人で出産や子育てをすることに、不安はなかったのですか?

「実をいうと、1人目を出産した後にお付き合いをしていた女性がいたんです。その方とは10年くらいお付き合いしたのですが、そのうち1ヶ月だけ別れていて、2人目はその期間に授かった子なんです。男性と別れた後、すぐにその女性とよりを戻し、出産にも立ち会ってもらいました。

不安は何もなかったですね。
1人目の時もほぼ1人で育てたわけだし、2人目も大丈夫だろうと楽観的に考えていました。パートナーも育児に協力的だったので、シングルマザーであることに大きな不便は感じませんでした」

“奇跡の46歳”シンママが明かす激動の過去。3度の離婚、2児を連れホテル転々…「お金が底をつき夜の仕事へ」
(提供写真)
――2人目の出産から1週間後には、大阪の吉本総合芸能学院・女性タレントコースに入学しています。その理由は?

「私生活でいろいろあった数年間も、モデル事務所に所属して芸能活動は継続していたんですよ。ただ、もっと大きな事務所で幅広い仕事に挑戦したい気持ちがあって。妊娠中に調べていく中で、大阪の大きな事務所といえば吉本だな、と安易な発想で(笑)。

ただ、入学したからといって全員が所属できるわけではないんです。私はなんとかオーディションで合格し所属できましたけど、やっぱり吉本なんでお笑いをさせられるんですよ。恥ずかしいとかはなかったんですけど、ネタを考えるのが私にはどうしても向いていなくて2年で辞めちゃいました」

ホテル暮らし、夜の仕事、子育て―壮絶な再出発

――そして35歳で、3度目の結婚をされていますね。

「この時の相手はバイト先の年下の男性社員でした。ただ、付き合い始めた当初から、私は東京に行くことを心に決めていたんです。そしたら彼が、結婚したら東京に異動できる、と。それならと思い結婚した後で、私と子どもたちだけ先に上京していろんな手続きをしていたんですけど……暮らし始めて秒で別れました(笑)」

“奇跡の46歳”シンママが明かす激動の過去。3度の離婚、2児を連れホテル転々…「お金が底をつき夜の仕事へ」
1224_茜結さん④
――何度目かもはやわからない急展開(笑)!理由は何だったのですか?

「なんというか……すごく不運な人だったんですよ。
電化製品買えば確実に不良品になる、みたいな。他には少し体調が悪いだけで大げさにダルイアピールしたり、えらそうにする横柄な態度が出てきて、嫌になって子供を連れて家を出ていきました」

――親子3人、引っ越したばかりの見知らぬ都会で、どのような暮らしをしていたのですか?

「まだ貯めてきた貯金があったので、色んなホテルを転々としていました。朝チェックアウトをしたら、車にランドセルを積んで子どもたちを学校の近くまで送って、下校の時間になったらピックアップして別のホテルにチェックイン。

でも、さすがに1ヶ月もしないうちにお金がヤバくなってきたので、つなぎとして夜の仕事で働いて、なんとか家も探して普通の生活に戻りました。この日々は今でも子どもたちの中では(いろんなホテル宿泊が楽しかった)と良い思い出になっているそうです(笑)」

<取材・文&撮影/もちづき千代子>

【もちづき千代子】
フリーライター。日大芸術学部放送学科卒業後、映像エディター・メーカー広報・WEBサイト編集長を経て、2015年よりフリーライターとして活動を開始。インコと白子と酎ハイをこよなく愛している。Twitter:@kyan__tama
編集部おすすめ