ほぼ毎話のレビューをしてきたドラマ・演劇批評家の木俣冬さんが、振り返ります。(以下、木俣さんの寄稿。ネタバレを含みます)。
三谷幸喜が、まさかの井上ひさし役で登場
三谷幸喜は形態模写が巧い。それも文豪の。少年時代、歴史上の人物に扮装してなりきって写真を撮るのが趣味だったらしい三谷。三つ子の魂百まで。2022年、菊池寛賞を受賞したとき、贈呈式に菊池寛の扮装で出席した。12年、チェーホフの『桜の園』を脚色・演出したとき(『三谷版・桜の園』)はチェーホフの顔真似をしていた。文豪ではないが『ワルイコあつまれ』(24年 NHK)ではアインシュタインになっていた。そして、『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(もしがく)最終回で三谷が演じたのは、井上ひさしだった。
井上ひさしとは直木賞作家でもある劇作家。『ムーミン』や『ひみつのアッコちゃん』の作詞でも有名。
三谷演じる井上は劇団クベシアターの『ハムレット』を観て「ハムレットの真髄がある」みたいなことを語る。
ちょっと歯が出た口元と黒い丸い眼鏡の伏し目がちな表情。徹底して顔を作って、喋り方も再現した。おもしろい方向にぐっと拡大しているから当人(故人だが)が見たらいやかもしれないが、傍から見たら特徴を掴んでいて親しみを感じる。
史実の井上は74年にシェイクスピア全作を盛り込んで時代を天保時代に置き換えた『天保十二年のシェイクスピア』を書いている。いわば『もしがく』の先行作である。
ここで井上が久部(菅田将暉)と語らず蓬莱(神木隆之介)と語るのは、井上が若き頃、浅草のフランス座というストリップ小屋の座付き作家をやっていたこともあり、三谷を投影したとされる蓬莱の先輩的な存在だからであろうか。
自作を批判する人の「顔」を突き止める
三谷幸喜は観察力とか記憶力が抜群にいいのだろうと思う。それを生かして、好きな映画やドラマをすてきにアレンジして自作のなかに溶け込ませたりするのも得手なのだろう。最近のネットニュースでも取り上げられていた、三谷が菅田将暉と神木隆之介と出演した『僕らの時代』(フジテレビ)で、自作の批判をする人をエゴサして、「顔」を突き止めるという執念深さ(?)。批判する人の「顔」は?という探究心と、文豪や天才の顔マネはどこか通底している気がする。美醜ではなく面構えがいいとか悪いとか言うように、その人の考えや体験が顔に出る。三谷幸喜の他者の顔真似は深い洞察力に基づいている、ような気がする。
崩壊や転落を予言する、不吉な占いが…
1984年、風営法が改正され街が変わりはじめた時代の渋谷を舞台にした『もしがく』。当人は朝日新聞の連載コラムで『もしこのぶたがく』と書いていた。第7話では『もしこぶ がくどこ』と、おばば(菊地凛子)が冒頭でそう語っていたが、『もしこのぶたがく』が正解なのか。ややこしいのでとりあえず『もしがく』としておく。最終回。おばばの予言「一国一城の主となる」が当たり、WS劇場を手に入れた久部(菅田将暉)だったが、おばばは次第に久部の運気が下がってきていることに気づく。タロット占いでは塔という不吉な崩壊や転落を意味するカードが出た。
念願の『ハムレット』を自身の主演で上演している久部。観客は入っているが、それは大瀬(戸塚純貴)のアイドル的人気によるもので。のちに指摘される「芝居のできないオフィーリア(リカ)と人望のないハムレット(久部)」がメインで根本的に演劇としての価値がズレはじめていた。劇団員も惰性でやっているような雰囲気で、蓬莱(神木隆之介)や樹里(浜辺美波)は旗揚げの頃が良かったと思っている。
(*以下最後までネタバレします)
自分で作った劇団を崩壊させていく
自分で作った劇団を久部はその手で崩壊させていく。下手くそなリカを演出家の特権で贔屓し、自分の失態を大瀬になすりつける。大瀬のエピソードは『オセロー』のハンカチのエピソードをうまくアレンジしている。さらに劇団の売り上げをこっそり使い込む。支配人の大門(野添義弘)と妻・フレ(長野里美)を追い出した横領をそっくりそのまま自分も行いながら悪びれない。結局、どうにもならなくなって、リカにも見切られてしまう。リカは裕福な家に生まれたが没落してストリッパーに身を堕としており、電車で帰れるところ(小田急線・千歳船橋という絶妙)に実家がある久部とは相容れないと突き放す。しょせんは、八分坂は久部にとって外から来て野次馬的にちょっと覗き込んでいる者にすぎないということだ。
そんな久部に樹里は、シェイクスピアの戯曲に不要に思えるような役も出てくるのは、彼が劇団の座付き作家で、劇団員全員に役を与えなければいけなかったからで、「だからシェイクスピアの作品はあたたかい。どんなに悲しい話でもあたたかい」と彼女なりの論を語る。
最後に幻のように踊る二階堂ふみ
シェイクスピアと違い、自分のことしか考えていなかった久部は、劇団を解散することを決意する。『マクベス』にかけた「おとこから生まれた者」――「乙子から生まれた」蓬莱に劇場を託して。マクベスやオセローやハムレットのように陰惨な展開にはならなかった。八分坂を去っていく久部。
別れ、諦め――涙なくしては見られない
演劇だとこれで終わりでもおかしくないけれど、テレビドラマだからか、後日談がついてくる。2年後、久部は偶然、かつての劇団員たちが、『夏の夜の夢』を稽古している現場を目撃する。みんなとても楽しそうに笑っている。この稽古はどこにも発表する予定はなく、ただ、稽古を楽しんでいるだけ。なんだかそこに筆者は胸を突かれた。
久部はもう一度夢見て生きていくのか。それとも――という余韻のある終わりには、別れや諦め、集団の崩壊を経験した者ならば、涙なくしては見られない。
“選ばれてない人たち”の物語
「僕は自分が”選ばれた人間”だとはまったく思ってない。たまたま運がよかったことと、いい出会いをしたこと。その恵まれたチャンスを生かす力はあったとは思うけど、とてもじゃないけど何万人にひとりの才能の持ち主だとかは思わない。でも、そういう僕でも出来ることはあると思う。選ばれてない人たちが、『この物語は自分たちのことだ』と思ってくれて、励みになるものを書く。それは選ばれた側の人間には出来ないと思うんです。選ばれてない側だからこそ描くことが出来る気がして」
『もしがく』は三谷の構成作家時代の体験も取り入れて、蓬莱に自身を投影して書いている物語であり、蜷川幸雄や井上ひさしという実名も出てきたものの、ジャンルとしては史実ものではないだろう。でも三谷の語ったことに近いものがあるような気がした。
すべての出演者に見せ場が作られていた
当人、朝日新聞のコラムで「マニアックな作品になることは分かっていたから、爆発的な人気を呼ぶとは思っていなかったけど、正直、もう少し多くの人に観(み)て貰(もら)いたかった気はする。」と書いているが、悪いドラマではなかった。いや、丁寧に工夫を凝らして紡がれた一品だった。主人公なのにいじましい役を演じた菅田将暉、こういうふうに生き延びていく人いそうだなあという汚れをとことん演じきった二階堂ふみ、絶対現実には存在しなさそうな清らかさを堂々と演じきった浜辺美波と神木隆之介たちに拍手を贈りたい。彼らだけでなく出演者全員に見せ場があった。
史実とそれっぽいこととフィクションを巧みに組み合わせたおもしろいドラマだった。三谷幸喜はたぶんシェイクスピアのような人だと締めたら、ちょっとよく書きすぎだろうか。
三谷幸喜にとっての1984年は……
なお、史実では西武劇場は85年にPARCO劇場になる。三谷幸喜は83年、大学在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げしている。劇団名のサンシャインボイーズは三谷の好きなニール・サイモンの芝居『サンシャイン・ボーイズ』からとったもので、三谷がニール・サイモンの芝居を観たのが西武劇場の『おかしな二人』(初演79年、再演80年)だった。『サンシャイン・ボーイズ』がテアトル・エコーによって日本で初演されたのは84年とされている。
<文/木俣冬>
【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami
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