「初めて授かった子供だったので、妊娠がわかってからというのも、とにかく心配で……。SNSで情報を検索しては、赤ちゃんについて一喜一憂したり、不安で眠れない夜もありました」

 そう語るのは、都内の病院に勤務する看護師の小倉詩織さん(仮名・30代)。
3年前、夫婦は第一子の妊娠を機にある決断を下しました。出生前診断の受診である。小倉さんが選んだのは、母体の血液から胎児由来のDNAを分析し、ダウン症など染色体疾患のリスクを早期に調べる検査だ。

「出生前診断には、染色体の異常がほぼ100%わかる『羊水検査』という方法もあります。ただ、これはお腹に針を刺す検査で流産のリスクも伴うと聞き、どうしても抵抗がありました。それに羊水検査ができるのは妊娠16週前後。もしそこで異常が判明しておろす決断をしたとしても、法律上12週以降は死産扱いとなり、火葬や埋葬が必要になります。その点、妊娠10週目から採血だけで調べられる手法があると聞いて、どうしても調べたくなりました」

「日ごとにお腹の子供へ愛着が増し、悩んだ」

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 夫婦での話し合いの末、小倉さんはダウン症と微小欠失症候群がわかるプランを選択。費用は10万円と決して安くはなかったが、「これからの妊娠生活を穏やかに過ごすための投資」として受診を決めた。

「検査はNIPTと呼ばれるもので、採血当日に何を調べたいか、クリニックの方から説明を受けて決めました。夫も付き添ってくれました。ただ、夫から『検査を受ける以上、もし障害があるとわかったら……』と言われたときは、心がえぐられるような気持になったのも事実。ハッキリと『堕ろす』とは言わないまでも、それが決定事項かのように伝えられたときにはモヤモヤしてしまったんです。


提案したのは私ですし、万一のことも覚悟していたつもり。けれど、日を追うごとにお腹の子への愛着は増していくもの。『検査結果が良くないものだったとしても、産みたい、産んじゃいけないのか』なんて気持ちや葛藤が芽生えて……。結果が出るまで1週間ほどかかるのですが、毎日、動悸が止まりませんでした。アプリに届いた『陰性』の二文字を見た瞬間、全身の力が抜けるほどホッとしたのを今でもはっきりと覚えています」

「障害があれば中絶」がタブー視されすぎる日本

年間7万人が受検する出生前診断…「命の選別をするのか」と咎める学会への医師の憤り「年間12.7万件以上の中絶を許容しながら」
小倉さんが受け取った出生前診断の検査結果
 お腹の中の子供に障害がないか、出生前に調べるこのような検査は、日本の医療界ではいまだ「異端」と見なされる側面もある。「日本の出生前診断は、海外に比べてあまりに閉鎖的です」と語るのは、ヒロクリニック統括院長の岡博史医師だ。

「先日訪れたスウェーデンでは、染色体異常の疑いに対し、公費で無料の検査を受けられる体制が確立されていました。月の受検者は約1000人に及ぶそうです。その他の国々でも、宗教や文化の壁を越え、胎児に異常があれば95%以上が中絶を選ぶというのが現実です」

 対して日本は、日本産科婦人科学会による厳しい規制が普及の足かせとなってきた歴史がある。

「かつて学会の締め付けは異常なほど厳しく、指針に従わず検査を行った医師が専門医資格を剥奪される事件まで起きました。3年ほど前にようやく緩和され、認証施設こそ拡大されましたが、トラブルを恐れてか検査対象を特定の染色体に絞らせるような不自然な制限が現在も続いています」

 岡氏が特に憤りを感じているのは、学会が制限の建前に使う「命の選別」という言葉にある矛盾だ。

「現在、日本で出生前診断を受ける妊婦さんは年間約7万人。そのうち陽性判定を受けるのは約1~2%で、その90%以上が苦悩の末に『産まない』決断を下しています。
実数にすれば年間1000件前後です。一方、国内では年間12万7992件(2024年度)もの中絶が行われている現実がある。その膨大な数を許容しながら、出生前診断の結果に葛藤する人々に対してだけ『命の選別をするのか』と咎めるのは、あまりに酷ではないでしょうか」

 ライフスタイルの変化に伴う高齢出産の増加は、出生前診断の必要性にさらなる拍車をかけている。日本では1975年時点では25.7歳だった初産が、2023年の調査はでは31歳となった。その背景には晩婚化や共働きの状態など社会の変化が大きく影響しているが、それゆえ、出生前診断のニーズは拡大していると言えるのだ。

「疾患の約95%が母親の年齢に起因します。ダウン症を例に挙げれば、35歳で約400人に1人の確率ですが、45歳では約25人に1人にまで急増。また、父母のどちらか一方が『転座』という染色体の構造を持っていれば、親がどれほど若くても10人に1人の確率でダウン症の子が産まれる可能性があります」

「事前に知る」という選択肢の大切さ

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ヒロクリニック統括院長、岡博史医師
 NIPTが妊娠10週で結果を出せるのに対し、確定診断となる羊水検査は16週以降。この「6週間」という時間は、母体にとってあまりに重く、残酷だ。

「本来、NIPTは『陽性か陰性か』の二択でしかありません。しかし、陽性が出た際、『もしかしたら偽陽性かもしれない』と、羊水検査まで望みを捨てきれずに過ごされる方は大勢います。カウンセリングを通じ、この過酷な6週間を悲痛な面持ちで耐え忍ぶ姿を、私は何度も目にしてきました。


そこで当院では『陽性スコア』という独自の指標を導入し、確実性を数値化して提示しています。一刻も早く、納得感のある決断を下してほしいと願うからです。一方で、陽性判定のあとにパタリと連絡が途絶える方もいます。それは、ご夫婦で静かに決断を下されたのだと理解しています。非常にデリケートな問題ですから、こちらから深く踏み込むことはしません」

 岡氏は、何より大事なのは「事前に知るという選択肢を、家族が権利として持つことだ」と強調する。

「医療の進歩により、ダウン症の方でも60歳まで生きられる時代になりました。しかし、もし40歳で出産した母親が、わが子が還暦を迎えるまで面倒を見続けられるか。それは現実的に厳しいと言わざるを得ません。障害を持つきょうだいの世話のために自身の結婚やキャリアを断念する『きょうだい児』も、無視できない社会問題となっています。私は、決して障害を排除せよと言っているのではありません。

しかし産婦人科医は、産まれた瞬間に役目を終えます。その後の数十年間にわたる家族の苦労を、彼らが肩代わりしてくれるわけではありません。
にもかかわらず、きれいごとで障害児の出産を事実上強制するのは、あまりに無責任ではないかと思うのです」

「命の選別」という美しい言葉で議論を止めるのではなく、母親の人生、そして家族の未来に寄り添うための情報をどう提示するか。出生前診断という選択肢は、単なる検査以上の意味を、私たちに問いかけている。

<取材・文/桜井カズキ>
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