水曜ドラマ『冬のなんかさ、春のなんかね』(日本テレビ系)がSNSなどで評価を上げています。放映開始当初は、主人公のキャラや展開に賛否両論あったものの、話数を重ねるにつれその世界観に魅せられた視聴者も増えてきたもよう。


世帯視聴率は3%前後というものの、放送後の評価は好印象のものも多く、ドラマにハマった視聴者からの熱い思いが伝わってきます。当初は否定的だった筆者も今やそのひとりです。

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ドラマ作りのセオリーと反する大胆な構成

『冬のなんかさ、春のなんかね』の放映が開始された当初は、その映画や小説のような構成や世界観から、視聴者の多くが戸惑っていたように思えます。

第1話冒頭の24分間は、主人公である文菜(杉咲花)と、のちに恋人となるゆきお(成田凌)との出会いとなる会話劇が繰り広げられました。ドラマ業界では、より多くの視聴者の心をつかむためのセオリーとして「冒頭5分から10分で事件を起こす」「どんな内容のドラマか、キャラかを提示する」といわれていますが、その法則と反する大胆なシーンの使い方でした。

昨今多く制作されているドロドロ、インモラル、考察やバズリ狙いのドラマに慣れている視聴者にとって、出会いという展開はあるものの、動きのない24分間は苦痛に感じる人もいたでしょう。「つまらない」「会話がダラダラして何を言いたいのかわからない」「主人公の人間性が理解できない」などバッサリと斬るSNSのつぶやきも散見されました。

「なんか好き」の理由を言語化しにくい内容

一方で、これから恋愛に発展しそうな手探りの空気感と、刺さる人には刺さるセンスを感じさせるワードひとつひとつに胸をグッとつかまれた視聴者も少なくはありませんでした。SNSでは「杉咲花のかわいさを存分に味わうための作品」「空気感や雰囲気がオシャレで好き」「今泉監督の世界を堪能するドラマ」「見た後の余韻がいい」との声も聞こえました。

しかしながら、それはどこかつかみどころがなく、褒めるところを探した末にたどり着いたような感想だったようにも思えます。それは好意的に見た人さえ言語化に難しいドラマだということ。

映画『からかい上手の高木さん』などで知られ映画界で評価が高い今泉力哉氏が手掛けるドラマとだけあって、下手なことを述べたら「わかっていない奴」認定されそうという、腫れ物的な扱いを受けているように見えました。

ある意味、令和の『源氏物語』ではないか

筆者も正直言えば、当初は意味がわからずこのドラマを観ていたところがありました。

しかし、話が進むにつれ、ゆっくりとではありますが主人公・文菜や登場人物のキャラが自分の中に浸透してきたことで、恋愛経験の回想を通して主人公の思想や痛みを味わうドラマーーいにしえの『源氏物語』的な作品と捉えながら鑑賞できるようになりました。

一見恋多きモテ女のように見られますが、構成を分析すると1話は現在進行形の恋の始まり、2話は主人公周辺の恋愛事情、3話は高校生時代の恋、4話は大学4年時の恋、5話は大学3年時の同級生との恋、6話は2年前の恋、7話は浮気相手との話……と、それぞれの恋愛が語られています。
その中には片思いや恋愛未満のものもあり、恋愛をある程度している男女なら経験しうる範囲ではないでしょうか。

実際に、内閣府が実施した「令和3年度 人生100年時代における結婚・仕事・収入に関する調査」では、既婚者の「結婚までの恋人の人数」において、20~39歳の女性は6人以上と回答した人が最も多く、16.1%となっていました。

40代が「懐かしい」と感じる90~00年代の匂い

ただ、40代の筆者が物語に没頭できたのは、現代の20代若者のリアルがそこにないからなのかもしれません。LINEなどのSNSを通じた通信手段は最低限で、女性が当然のようにタバコを吸い、洗練された高そうな飲食店でデートをし、サラリーマン的な職業の登場人物はほぼいない……。

職業が小説家という浮世離れした設定だからかもしれませんが、だとしても主人公やその周辺の人々のライフスタイルは、現代のリアルとはかけ離れています。ただ、30代後半から40~50代が青年期を過ごしていた90年代から00年代には、そんな空気感がありました。

『冬のさ、春のね』否定派がやっとわかった主人公の意味。40代が感じた“懐かしさ”の正体とは
「冬のなんかさ、春のなんかね」オリジナル・サウンドトラック(バップ)
20代の頃は自身も女友達もタバコも吸っていましたし、氷河期だったので有名大卒でも夢追いフリーターが周りにかなりいて、クラブやカフェ巡りをしたり、厳しい時代だった一方、美しい時間でした。

このドラマは現代設定なのに、そんな懐かしい描写が多いのです。事実、脚本の今泉力哉氏は45歳。今の若者にかつての若者のライフスタイルや内面をインストールしているようにも見えます。

かつての若者にも現代の若者にも刺さるはず

以前、三谷幸喜氏は『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(フジテレビ系)を執筆の際に、あるYouTubeチャンネルで「今の時代の人々は自分は書けない(だから、80年代を舞台にした若者を描いた)」と語っていました。

それとは逆に、今泉氏は自身の時代のリアルを現代劇で貫き通したように思えます。結果、多くの人の心は掴まないけれど、刺さる人には強烈に刺さるドラマになったのではないでしょうか。


とはいえ、20代という年代は今も昔も不安定で自由な世代です。たとえ時代や環境が違っても、通じる想いはあるはず。実際、高評価のレビューの中には若い人の声も多数存在します。このキラキラした1時間を、現代の若者が「共感できない」「退屈」というだけで離脱するのはもったいない。

残り話数は少ないですが、物語の終わりの見えた今だからこそ、見やすくなっている部分もあるはず。各配信サイトなどで今からでも見て欲しい作品です。

<文/小政りょう>

【小政りょう】
映画・テレビの制作会社等に出入りもするライター。趣味は陸上競技観戦
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