当たり前に続くと思っていた我が子の人生が突如、絶たれることは、親にとって究極の苦しみだろう。

「ただの風邪」のはずが…3歳目前の息子が突如“脳死”に。自分...の画像はこちら >>
 我が子が3歳の誕生日を迎える目前のタイミングで、ある日突然、永遠の別れを強いられたのが、飲食店を経営する河原由美子さんだ。


「熱痙攣」で救急搬送された三男

 2018年5月のある土曜日の夜。河原さんが仕事を終えて帰宅すると、数日前から風邪をひき、熱を出していた三男と夫はともにベッドで眠っていた。

 その後風邪薬を飲ませようとしたが、三男がそれを拒んだため、飲ませられる時に飲ませようと、河原さんが部屋を後にした30分後、夫が慌てた様子で「三男の様子がおかしい」と言い出したのだ。

 慌てて三男のところへ向かうと痙攣しており、救急車を呼び、病院に搬送されることとなった。処置を受け、医師の診断は「熱痙攣」ということで、熱と痙攣を抑える点滴をすると説明を受け、朝方、河原さん夫妻は一旦帰宅することになった。

 だがその日のうちに、血液検査をした結果が悪いため、より大きな病院である子ども医療センターに搬送したという連絡を受けた。さっそく、子ども医療センターに向い、三男と対面した時には、輸血をされ、人工呼吸器をつけられるという非現実的な光景が河原さんの目に飛び込んできたという。

 状況がまったく飲み込めない河原さんに告げられたのは、「急性脳症」という三男の現状だった。風邪のウイルスが入って脳が炎症を起こしてしまい、腫れ上がっている状態。このままでは脳の重要な部分を圧迫してしまうため、頭を重点的に冷やし、薬で寝かせていると医師から説明を受けても、どこか実感が湧かないまま、その日は帰ることになった。

わずか3日後、脳死を告げられる

「ただの風邪」のはずが…3歳目前の息子が突如“脳死”に。自分を責め続ける女性を救った「意外な言葉」
河原さんの子どもたち。中央が三男。
 しかしその3日後、さらに残酷な事実を河原さんは突きつけられることになる。脳の炎症は治ったが、目をさまさない状態が続いていた三男の脳を検査すると、脳が膨張した時に脳幹を圧迫し、損傷してしまったことによる“脳死”だと告げられたのだ。

「人としては死と言える状態です」という医者の言葉により、その時初めて河原さんは血の気が引いたという。

「脳死になると、ホルモンが分泌されなくなるので、早かったら1週間ぐらいで心臓が止まってしまうだろうと宣告されました。
その上で、延命治療をするかしないかの選択を迫られました。私と夫は、薬を使って生かすのは人として生きていると言えないのではないか? と思いつつも、あっという間に亡くなってしまうというのが受け入れられなかった。

今の医学では治せないけど、もしかしたらそういう奇跡と言われているものが起こるんじゃないかと信じたい。信じなきゃいけないんだと当時は思っていました」(以下、河原さん)

 脳死だが、心臓は動いている。もしかしたら目を覚ますかもしれない。そんな期待と絶望を行き来する日々だったという。

現実を受け入れられず、会いに行けない期間も

「ただの風邪」のはずが…3歳目前の息子が突如“脳死”に。自分を責め続ける女性を救った「意外な言葉」
河原さん家族
 結果的に三男は3か月半、脳死状態のまま生き続けていたが、その期間、河原さんの絶望は日に日に大きくなり、前向きでないといけないというのを自分に強いるのもつらかったと語ってくれた。

「最初は目をさますと信じていました。夫は絶対助からないと思っていたそうですが、私は何か方法があると思って、3か月半、脳に効くとされるサプリを使ってみたり、マッサージをしてみたり、いろいろと試してみました。でも心のどこかではやっぱり死んでしまうんだろうなとは思っていたのだと思います。

他の人からはよくそんなことするねって言われるかもしれませんが、現実を受け入れられなかったからか、シーズンがいっぱいある海外のドラマを見て、疲れたら寝るとか、最初は子どもの病室に行ってたけど、だんだん逆に会いにいけなくなったり……心の準備をする期間があったからこそ、よかったと言える部分もありましたが、最悪な状況がこれから起こるかもという覚悟をしていくことを無意識的に拒否していたのかもしれません」

 ー人の命を人はどうしようもできない。その無力感を痛いほど実感した河原さん。そしていよいよ、別れの時がやってくる。
尿が出なくなり、多臓器不全に陥り、ここから1、2日で亡くなるという宣告を受け、心臓はまだ動いているが、人工呼吸器をいつ外すかという決断をすることになった。

「医療ドラマでは、人が亡くなる瞬間ってとても騒がしくてドラマチックな描き方が多いですが、私たちの場合はただ静かに、我が子の心臓が止まるのを見守るという感じで、人が死ぬ時ってこんなに静かなんだと思いました」

救われた“知人の一言”

 亡くなった三男は、他の兄弟と歳が離れていたこともあり、家族みんなに愛されていた存在だった。それから夫は、三男の写真や動画だけでなく、話題にあげることすら避けるようになり、次男は精神的に荒れ、人に迷惑をかける行いをしてしまう時期もあったという。

「悪気なく『あと二人も子どもがいるんだからいいじゃない』と言われたこともありますが、三男を失った痛みは今もまだ乗り越えたとはとても言えません。同じ家族でも、三男の死の受け止め方がまったく違うからこそ、ぶつかる部分もあります。

風邪が原因で亡くなっているので、もし私がお店やってなかったらとか、もしこの人に会わせてなかったら風邪を引かなかったんじゃないか? とか、三男の死を納得してるはずなのに、何かの拍子で、後悔の念が浮かび上がってくる瞬間はまだあるし、これは一生続くのだと思います」

 母親という立場だからこそ、自分を責め続けなければならないのでは? という罪悪感に、しばらくの間、苛まれたそうだ。そんな時、救われたのが何気ない他者の一言だったという。

「亡くした直後は、自分でも驚くほど何もできない時期がありました。我が子が死んで、命の重みを知ったからこそ、自分もちゃんと生きないといけない、時間を無駄にしてはいけないという想いとは裏腹になって、ずっと自分を責めていました。そんな時に『“何もしていないこと”をしているんだよ』と言われて救われたんです。自分を責めなくていいなと初めて思えました」

「子どもの死」を経験した親として、はじめたこと

「ただの風邪」のはずが…3歳目前の息子が突如“脳死”に。自分を責め続ける女性を救った「意外な言葉」
『ママ、ぼくがきめたことだから』(文/河原由美子・絵/レイナ)
 罪悪感から解き放たれた河原さんは、そこから新たな境地に辿りつく。三男の死を絵本にして伝えるという活動だ。2020年9月に『ママ、ぼくがきめたことだから』という絵本を出版したが、どのような想いがあったのか?

「私もそうでしたが、お子さんを亡くした母って、やっぱり自分のせいで亡くなったと思うんですよね。
後悔のポイントが多いというか、流産だったらもっと動かなければよかったとか、病気だったら自分が健康に産んでいたらよかったとか。

でもある日、人って自分の人生でやりたいこと、やらなきゃいけないことがあって産まれてきたと仮定したら、息子が3歳で亡くなったことや、私が子を亡くすという経験も何か意味があったんじゃないか? と思ったんです。私にも三男にも何かの使命があるとしたら、3歳で亡くなるということも、その子が生まれる前に決めてきたことなんじゃないか? そしてその経験を多くの方に伝えることが、私の使命なんじゃないかって」

 三男が3歳という短い人生を生き、終えるということ。そして母として、その経験をすること。それは生きている人間のせいではなく、そういう人生を自分たちそれぞれで決めてきた。そう思うことで、河原さんは「子どもの死」を初めて受け入れることができたという。

 そして悲しみに囚われ、そこから身動きが取れなくなっている誰かにも伝えたい。その真摯な想いが身を結び、絵本出版へと漕ぎ着けた。現在は、河原さん同様に子どもを亡くしたママの自助グループを立ち上げ、活動を継続しているという。

 三男が教えてくれた命の尊さは、河原さんの活動によって、今日も誰かの心に生き続けている。

<取材・文/SALLiA>

【SALLiA】
歌手・音楽家・仏像オタクニスト・ライター。「イデア」でUSEN1位を獲得。
初著『生きるのが苦しいなら』(キラジェンヌ株式)は紀伊國屋総合ランキング3位を獲得。日刊ゲンダイ、日刊SPA!などで執筆も行い、自身もタレントとして幅広く活動している
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