韓国人DJのNight Tempoをめぐる問題で謝罪した『5時に夢中!』(TOKYO MX)。番組内の「わくわく!無職イズ」というコーナーで、Night Tempoをもじった卑わいなペンネームのハガキをそのまま放送したことから、Night TempoがMXが関わるイベントへの出演をキャンセルする事態に発展しました。


 Night Tempoは自身のXで、〈人の名前を下品にしてテレビに貼ることが日本では大丈夫ですか?〉と呆れ気味にポストし、番組の制作姿勢に疑問を呈していました。

三者間の信頼で成り立つ「ギリギリ」のユーモア

韓国人DJが絶望した「日本のテレビ」。『5時に夢中!』の卑わ...の画像はこちら >>
 出演者の歯に衣着せぬ発言と際どいジョークが飛び交う『5時に夢中!』は、一部で熱狂的な支持を集める番組です。

 制作、出演者、視聴者による強固な“内輪”の関係性と、そこから派生する信頼感やお互いを理解し合うことで育まれる面白さが、他の番組とは一線を画しているのです。

 たとえば、マツコ・デラックスが若林史江に面と向かって「ブス!!」と言うとき。そこに2人の間で成立するコードがあり、そのギリギリのところを狙ったトークだから面白い。同時に、その「ギリギリ」は、『5時に夢中!』の視聴者も共有しているものです。そうした三方向からの共通認識があって、はじめてどぎついユーモアや下ネタが成り立っている。

「内輪」の外側に向けられた無遠慮な刃

『5時に夢中!』が醸し出す良い意味での内輪感は、こうした空気によって保たれているのです。

 そう考えると、今回ネタにされたNight Tempoはどうでしょうか。彼はこの「内輪」には属していません。全くの部外者であるにもかかわらず、自らの関与しないところで、このどぎついユーモアや下ネタのフィールドに引きずり込まれてしまいました。だからこそ、自らの名前をおもちゃにされたことに異を唱えたのです。

 一部ネットユーザーからは、「この番組はこれがいいんだよ。これからも応援します」とか、「この程度で怒るとは、ネタにマジレスみたいでカッコ悪い」と、Night Tempoのリアクションに冷ややかな意見もありました。
「名前をネタにされるのはそれだけ認知されているということ。有名税みたいなもの」という理屈です。

「言論の自由」というスローガンへの呪縛

 確かに、『5時に夢中!』はこうした鷹揚さに支えられてきた側面もあります。番組の最大のテーマである「言論の自由」を象徴する要素としての下ネタであるという認識ですね。

 しかしながら、この数年番組を観ていると、自らが課した「言論の自由」というスローガンに縛られているように見える場面が見受けられます。そこまで必要のない場面でも下ネタや毒舌をぶっ込んでくる。この無理やりに演出された自由に、かえって息苦しさを覚えてしまうのです。

 Night Tempoを卑わいにもじったペンネームも、「言論の自由」による呪縛だと言えるのではないでしょうか。

時代に取り残された「治外法権」の空き地

 番組開始から20年が経過し、時代は大きく変わっています。大人の悪ノリに裏返しの教養を見ていた時代とは異なり、いまではそのような偽悪を“イタい”と見る向きが大半でしょう。

 こうした変化に、『5時に夢中!』はついていけているのだろうか。名前で遊ばれたことへの怒り以上に、Night Tempoは冷ややかな嘆きを投げ掛けているのです。

 アナクロニズム上等。
どぎついユーモアと下ネタが許される治外法権は、角度を変えれば時代から取り残された空き地に見えるのかもしれません。

<文/石黒隆之>

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
編集部おすすめ