台湾の文化や教育を重視し、台湾原住民(先住民)族にも関心を寄せていた上山。陳澄波文化基金会や文化部(文化省)のデータベース「国家文化記憶庫」によれば、上山は台湾を離れる際、東京に持ち帰って自宅に飾ろうと、陳に台湾原住民の生活をテーマにした絵画を依頼した。こうして生まれたのが「東台湾臨海道路」だ。
上山は日本に戻った後、故郷・防府の図書館建設に尽力。38年に逝去すると、「東台湾臨海道路」などの遺品が図書館に寄贈された。
図書館は41年に正式開館。絵画も館内に飾られたが、2006年の移転時に地下倉庫にしまわれた。その後15年に、学者の児玉識さんが市史の執筆中に絵画を発見。20年には絵画が90年ぶりに台湾に“里帰り”し、台北市内の美術館で展示された。現在は山口県立美術館に収蔵されている。
レプリカは新庁舎の8階、エレベーターを降りるとすぐ目につく所に展示されている。
▽ 陳澄波
清朝時代の1895年、南部・嘉義生まれ。1924(大正13)年に東京美術学校(現在の東京芸術大)図画師範科に入学。26(大正15)年には油絵「嘉義の町はづれ」で台湾人画家として初めて帝国美術展覧会に入選した。日本統治時代は台湾と日本の他、上海にも教員として赴任した経験を持つ。33(昭和8)年、台陽美術協会を設立。戦後の46年には嘉義市議に当選したが、47年、国民党政権が市民を弾圧した「2・28事件」に巻き込まれ公開射殺された。
(高華謙/編集:田中宏樹)