東京都在住の40代女性・Mさんは毎年夏になると、新社会人になったばかりの頃のことを思い出すという。
就職氷河期世代で、短大卒業後も就職が決まらず、働き始めたのは8月。
そして名刺もまだできていないうちに、無茶な仕事を任されて......。
<Mさんからのおたより>
毎年この時期になると思い出す。
今ほどの猛暑ではないが、太陽が照り付ける29年前の夏の日、私は、杉並区の住宅街にある町工場を訪ねた。
就職氷河期、ようやく勤め先が決まり...
その頃は就職氷河期で短大を卒業しても就職先が決まっていなかった私は、夕食のときに父と顔を合わせるたびに「今日は職安に行ったのか? どこでもいいから働け」と言われ続けた挙げ句、新聞の求人広告に応募し、都内にある外資系企業の小さな日本事務所に8月から中途採用されていた。
地元で働くという選択肢もあったが、遠距離通勤することを選んだ。地味に地元に埋もれたくないという変な意地もあったかもしれない。
右も左もわからない私に試練として課せられた最初のミッションは、ボトルのキャップを調達することだった。米国から送られてきたはずが、キャップの数が足りないというのだ。
インターネットもまだ普及していない当時、会社の先輩方に教えられながら、電話帳で、プラスチック加工の会社をあ行から当たった。
幸い、あ行のうちに話を聞いてくれるという業者があり、電車とバスを乗り継いで、ここにやってきた。

工場の中では、「スポーン、スポーン」とプラスチックを加工する音が小気味よくリズムを刻んでいた。電話でも話した中年のおじさんが対応してくれた。発注個数、予算、納期を伝えた。
「採算が合わない」
「キャップだけでなく、パッキンだって必要だし、こんな短納期でこの金額じゃあとても採算が合わない。折角来てもらったのに悪いけど無理だね」
そう言われてしまい、交渉するとかそんなこと頭にもなかった私は、「そうですか」とあっさり帰ろうとした。するとおじさんが、こう言ったのだった。
「他を当たっても引き受けてくれるところはないと思うよ。お宅の上司も随分無茶なことをやらせるね。あなた名刺も持っていないって、入社したばかりなの?」

それに答えているうちに涙腺が緩みだし、「そんな会社辞めて早くお嫁にでも行ってしまいなさい」というようなことまで言われて、(そうしたくても彼氏だっていないのに)と辛さがこみ上げてきて、差し出されたティッシュで音を立てて鼻をかませてもらう始末だった。

結局、おじさんは、その不採算な依頼を引き受けてくれた。
一度緩んだ涙腺はなかなか元に戻らず、帰りのバスや電車の中、会社に戻ってからトイレの中でも......。
誓って言うが、厳しい父に育てられた私は、泣いたらわがままが通るなどとは決して思っていない。子供の頃から本当に泣き虫なだけなのだ。
おじさんの技術と懐の深さに敬意と感謝を
依頼した品物が完成した暁には、受け取りに行って丁重にお礼を伝えるつもりだった。しかし、受け取りの際に対応してくれたのは別の方だった。
品物のキャップのできは完璧だった。

後から考えると、当たり前のことではあるが、プラスチック製品を作るとき、最初に鋳型を作ってから材料を成形するわけで、受注量が少なかったら本当に採算が合わないし、短期間での鋳型の作製やら材料の調達は大変だったのではないかと思う。
この場を借りて、改めておじさんの技術に敬意を表し、懐の深さに感謝の気持ちを伝えたい。
あのときは本当にありがとうございました。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな誰かに伝えたい「ありがとう」や「ごめんなさい」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。
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