50代男性のHさんは、高校生時代に家出をしたことがある。
しかし行く当てもなく、せめて雨風を防げるバス停で過ごそうしていたら......。
<Hさんからのおたより>
私は高校生時代のある夏休みのあと、家族に不満があり家出をしました。
アルバイトをしたことがあった志賀高原のほうへ行き着きましたが、懐かしんだのもつかの間のこと。私の所持品は、ボストンバック1つに入る程度の衣服と、数万円ほどの全財産。
私はちょっとした屋根つきの小部屋になっているバス停で、当時売っていたコカ・コーラの1.5L瓶を1日の栄養源として過ごすことにしました。
空腹感と少しずつ寒くっていくバス停内。不安になっているところに、小柄なおじいさんが入って来て......。
「ついてきなさい」と言われて
そのおじいさんは私を優しい目でじっと見つめ、こう言いました。
「ついてきなさい」
私は藁にもすがる思いで、おじいさんとバスに乗り込みました。
私が連れていかれたのは、農家風の母屋と離れのある民家でした。

おじいさんが離れの2階を指差し「荷物を置いて来なさい」と言います。
殺風景だが、布団がある。ご飯も持ってきてくれる。風呂も。
その家にはおじいさん夫婦、娘さん夫婦、その子供たちという大家族が暮らしていて、彼らは私に話しかけることもあったけれど、だれも「どこから来た?」「どうした?」といった質問は一切してきません。不思議でした。
とにかくその家族達は、暖かい家族をあまり知らない私にとって居心地のいいものでした。
「あのおじいさんは何者か知ってるか?」
月日がながれ父親が迎えに来ました。
私に帰るつもりはありませんでしたが、高校の担任から電話で言われた「待ってるからな」の一言で、ガタガタと意地っ張りが砕け散ったのです。
お世話になったおじいさん家族とはお別れをして、高校生生活に戻りました。

しばらくすると、お礼も兼ねておじいさんと文通のような事をしていたらしい父が「あのおじいさんは何者か知ってるか?」と尋ねてきました。
「知らん」と私。すると、父が言いました。「あの人は木島平村の村長ぞ」。「えっ」。私は驚きました。
なぜ見ず知らずの私に声をかけ、自宅に招き入れ、暖かい布団や食事を与えてくれたのか......。恐らく、おじいさんは私が訳ありだと察して声をかけてくれたんでしょう。
忘れられない、大きな不思議な出来事。あの時の木島平村の風景。木製の電柱。忘れられない。
何十年経っても「ありがとう」。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな誰かに伝えたい「ありがとう」や「ごめんなさい」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。
Jタウンネットでは読者の皆さんの「『ありがとう』と伝えたいエピソード」「『ごめんなさい』を伝えたいエピソード」を募集している。
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