最大震度6強の地震発生後、青森県を中心に、鉄道や観光への影響が広がっている。今後さらに強い地震、津波が心配だ。

東北地方は2011年3月11日、東日本大震災で甚大な被害に見舞われた。あの日、首都圏でも交通の面で大きな混乱が起きた。

帰宅困難者となったKさん。一時避難所で心細い時間を過ごすなか、不安を和らげてくれる出会いがあった。

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<Kさんからのおたより>

東日本大震災の日、大学生の私はみなとみらいで就活セミナーを受けていました。帰宅困難者となり、慣れないスーツと靴で足が痛い中ひたすらさまよい、避難先を必死に調べ、たどり着いたのは横浜ランドマークタワーで開放されていた一時避難所でした。

携帯電話も繋がらず、行列のできていた公衆電話で自宅に電話しても誰も出ず、家族が無事か不安でたまりませんでした。

そんなとき、同じ避難所にいた二人組のOLのお姉さん方が話しかけてくれました。記憶もおぼろげですが、30代だったかなと思います。就活の話などをして気分が和らぎました。

夜中になっても寝れないので、ランドマークタワーの中を散歩などして時間を潰して避難所に戻ると、お姉さん方が「どこ行ったのかと思って心配したよ」と気にかけてくださいました。

わざわざ自宅のすぐ近くまで

翌朝、どうやって帰ろうか悩んでいたところ、お二人のうち一人のお父様が車で迎えに来るとのことで、なんと私も同乗させていただいたのです。

私の家は彼女たちと同じ方角とはいえ、わざわざ自宅のすぐ近くまで送ってくだいました。

電車やタクシーで帰ろうとしたら何時間もかかっていたはず。

家族の安否が心配だったので、早く帰れて本当にありがたかったです。

地震で帰れない!不安だらけだった私を救った避難所での出会い 二人のお姉さんへの感謝と後悔
車に乗せてもらって...(画像はphotoAC)

あの日は頭が混乱していて、連絡先を聞きそびれたのをいまだに後悔しています。

就活生だった私も30代半ばになりましたが、お姉さん方の職場があると言っていた駅を通り過ぎる度に思い出します。


誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!

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