寝台車での旅の途中で知り合った人々、多くは福島県から来ていた。

出会ったのちに、東日本大震災に襲われた福島。

「生きていて欲しい」。車内で語り合った時間が思い出される。

神奈川県在住の40代男性・Sさんからのおたよりを紹介する。

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<Sさんからのおたより>

神奈川・横須賀の実家を離れ、北海道の大学に在学していた頃。飛行機が嫌いな私は、よく寝台特急・北斗星号で実家と下宿を行き来していました。

その列車で出会い、いろいろお話しした相手の大半が福島の人でした。

北斗星での出会い

ある年、私と、長万部から乗車した見知らぬおばあちゃん。私はB寝台の下段で、そのおばあちゃんは上段でした。

上段では体が辛そうだったので、下段と変わってあげました。おばあちゃんは喜んでくれて、福島にいる家族や孫の話をしてくれました。

「福島から北海道に帰るときも、北斗星を使うんだ」

と笑っていました。

朝、目覚めたら枕元に置かれていたお金 その後に起きた東日本大震災......あの人は今(神奈川県・40代男性)
席を交換したおばあちゃんと(画像はphotoACより)

そのおばあちゃんが翌朝、福島で下車したあと。私の枕元に封筒が。

お礼の手紙と5000円が置いてあったのです。私が起きて気づいた時は、郡山の手前。福島を過ぎていました。

こちらがお礼も言えず、置かれていた封筒を上野まで握っていました。

いわきの漁師達と一緒にお酒を

またある時は、福島・いわきからの漁師の皆さんと出会いました。B寝台で仲良くなり、一緒にお酒を飲んだりしていました。

皆さん、「一生漁師として、地元のうまい魚を宣伝する」と話していました。

朝、目覚めたら枕元に置かれていたお金 その後に起きた東日本大震災......あの人は今(神奈川県・40代男性)
あの人たちは、今(画像はphotoACより)

あのおばあちゃんや出会った人達は、東日本大震災の後もお元気だろうか......。

あのおばあちゃん、孫と一緒に今も生きていて欲しい。あの時の漁師さん達、生きていらっしゃるだろうか......。

夜汽車で出会った人たちの多くとは、福島県内の駅で別れました。

一期一会という言葉がありますが、その言葉があの震災後、この夜汽車の思い出と共に私の胸に今でも色濃く残っています。


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