脱ユビキチン化反応の新たな分子機構を明らかに

1.概要

 私たちの体をはじめ、全ての生命は膨大な数の分子で構成されており、これらの分子が適切な場所で正確に化学反応を起こすことによって、生命という精緻なシステムが維持されています。これらの反応を正確に制御しているのが「酵素」と呼ばれるタンパク質です。
酵素は、必要なタイミングで特定の分子を結びつけたり切断したりすることにより、細胞内外の様々な化学反応を調節しています。

 多くの酵素は、わずかミリ秒(1000分の1秒)単位の非常に短い時間スケールで立体構造を変化させながら、標的分子の認識・結合・反応・放出という一連のプロセスを遂行しています。しかし、酵素はナノメートル(10億分の1メートル)サイズであり、しかも構造変化のスピードも極めて速いため、これまでその詳細な動きを観測することは困難でした(図1)。本研究では、核磁気共鳴(NMR)分光法(注1)(以下、NMR分光法)を応用し、酵素の構造変化を原子レベルで捉える新しい計測・データ解析手法を開発しました。そしてこの技術を、酵母由来の脱ユビキチン化酵素「YUH1」に適用することで、酵素が標的分子であるユビキチン(注2)をどのように認識し、構造を変化させて反応を促進するのかを、新たに明らかにしました。東京都立大学大学院理学研究科の岡田真由と立石泰(当時大学院生)、池谷鉄兵准教授、伊藤隆教授、美川務客員准教授らは、この新技術により、酵素が“動きながら働く”というしくみを詳細に可視化することに成功しました。

 この成果により、酵素がいかにして分子を選び出し、精密に反応を制御しているのかといった、これまで“ブラックボックス”であった生命分子の働きの解明が大きく進展すると期待されます。また、脱ユビキチン化酵素のヒトにおける変異は、がんやパーキンソン病などの発症に関与することが知られており、今回明らかとなった新たな認識機構への理解は、創薬や疾患治療の新たな標的探索にもつながることも期待できます。

 この研究成果は、2025年8月7日付(日本時間)で国際学術誌『Journal of the American Chemical Society』に掲載されました。

 

【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202508063271-O1-1mzQm7Il

多くの酵素は反応部位の構造が変化することで、基質(反応物)を捉え、分子同士の結合や切断などの反応を起こす。この構造変化は多くの場合、非常に高速(ミリ秒)で大きな変化なので、この変化を正確にとらえることは難しい。

 

2.ポイント

・ 酵素が働くミリ秒レベルの構造変化を原子レベルで観察する、NMR分光法を応用した新しい計測・解析技術を開発。


・分子の“動く様子”を立体的に再現することで、これまで見えなかった酵素のしくみを解明。

・YUH1酵素が、自らの形をダイナミックに変えてユビキチンを認識し、切断・再利用するという生命の基本的なしくみの一端を解明。 

 

3.研究の背景

 私たちの体の中では、常に様々な化学反応が繰り返し行われており、これらの反応によって生命活動が維持されています。こうした反応の多くは「酵素」と呼ばれるタンパク質によって制御されています。酵素は、自らの立体構造を巧みに変化させることで、特定の分子を選び出して反応を促進し、反応後にはその生成物を放出するという一連の働きを担っています。酵素のこのような「自ら動く」という変化は、化学反応の精密な制御にとって不可欠です。

 ところが、酵素の構造変化はナノメートルのスケールで、しかもミリ秒以下という極めて短い時間のうちに起こるため、その動きを実験的に捉えるのは非常に困難でした。これまで、主にX線結晶構造解析やクライオ電子顕微鏡といった手法によって「静止した構造」を詳細に調べることはできましたが、酵素が反応中にどのように構造を変化させるのか、すなわち“動的な構造の変化”を可視化し、その時間スケールを見積もることは難しいとされてきました。

 このような背景の中で、私たちは「酵素が“動きながら働く”しくみ」を原子レベルで解明することを目指し、NMR分光法を応用した新たな計測・解析手法を開発しました。NMR分光法は、溶液中のタンパク質を生理的な状態に近い条件で解析できる技術であり、その動的なふるまいを高い精度で捉えることができます。本研究では、この新手法を酵母由来の脱ユビキチン化酵素YUH1の解析に応用しました。YUH1は、細胞内で不要になったタンパク質を分解・処理・リサイクルする過程において、ユビキチンと呼ばれる「不要タンパク質の目印となる分子」を再利用可能な形に再処理する重要な酵素の一つです。
しかし、YUH1がどのようにしてユビキチンを認識し、反応を進めているのかといった詳細な分子機構は、これまで十分に解明されていませんでした。

 今回の研究は、酵素YUH1が反応の過程でどのように構造を変化させているかを原子レベルで明らかにし、酵素機能の本質に迫る新たな知見を提供するものです。

 

4.研究の詳細

 この研究では、NMR分光法を応用した新たな解析手法を開発することで、酵素の構造がどのように変化しながら働いているのかを原子レベルで捉えることに成功しました。対象としたのは、酵母由来の脱ユビキチン化酵素YUH1であり、この酵素がユビキチンをどのように認識し、切断・放出するのかという過程を詳細に解析しました。

 YUH1は、細胞内で不要になったタンパク質を分解・処理する際に必要なユビキチンという分子を再利用する重要な酵素です。また、YUH1に類似したヒトのUCHLタンパク質では、この分子の変異ががんやパーキンソン病を引き起こすことも知られています。従来の研究では、YUH1とユビキチンが結合した「静止状態」の構造はX線結晶構造解析によって明らかになっていましたが、YUH1が自由な状態でどのように構造を変化させながら働くかについては、明らかになっていませんでした。

 そこで本研究では、YUH1に様々なNMR計測を施すことで、構造の変化やその時間スケールを高精度に測定しました。特に、原子間の距離や角度を様々な空間スケールで見積もることができる複数のNMRの計測手法を駆使し、それを統合する新しい解析手法の開発に成功したことで、従来では見えなかった酵素の大きな動きを捉えることができました。この結果、従来は静的にしか表現できなかった構造を、複数の状態を含む“構造のゆらぎ”として立体的に再構築することに成功しました。

 この手法により得られた構造を詳細に解析すると、YUH1のアミノ酸配列における末端の領域(N末端)と、活性部位付近の“クロスオーバーループ”と呼ばれる領域が大きく動的に変化することが明らかになりました(図2)。特にN末端は、酵素が基質であるユビキチンを捕らえる際に“ふた”のようにふるまい、ユビキチンの出入りに応じて自らの位置を大きく変えることが観測されました。
そこで私たちは、この領域を「入口のふた」を意味する「ゲーティングリッド」と名付けました。さらに、ゲーティングリッド(N末端)を部分的に削除した変異体や、その動きを抑える変異体を用いた酵素活性試験から、この領域の柔軟な動きがYUH1の酵素活性に不可欠であることが示されました。加えて、ユビキチンとYUH1のゲーティングリッドとの結合試験により、ゲーティングリッドがユビキチン本体にも一時的に接触していることが示唆され、これがユビキチンを投げ縄のようにして捉えるという、これまで知られていなかった認識機構の存在が浮かび上がりました。

 これらの成果は、YUH1が単なる“型にはまった”構造ではなく、複数の構造状態の間を動的に行き来することで、高効率かつ高精度な反応を実現していることを示すものです。本研究で開発された新しいNMR解析手法は、今後、他の酵素や柔軟なタンパク質にも応用可能であり、「構造と機能の関係」を新たな次元で解明する道を切り拓くと期待されます。

 

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図2.YUH1タンパク質の複数状態構造の可視化とユビキチン認識のモデル機構

(A)YUH1の活性部位周辺の構造遷移を構造分布として可視化。(B)複数の構造を異なる状態ごとに分割し可視化した。(C) YUH1のユビキチン認識機構のモデル。(1)単独状態のYUH1では、酵素反応部位周辺のクロスオーバーループとゲーティングリッドが、おおよそミリ秒の時間スケールで大きく動いている。(2,3)ユビキチンが近づくとゲーティングリッドがユビキチンを捉える。(4,5)ゲーティングリッドがユビキチンの切断部位を適切な反応位置に導く。(6)反応終了後、ユビキチンはYUH1から放出される。
(1)-(6)の数字は図2Cの各ステップに対応する.

 

5.研究の意義と波及効果

 本研究は、酵素が“動きながら働く”しくみを原子レベルで観察・解析する新たな技術を確立したものです。従来の手法では困難であった酵素の構造変化を構造の広がりとして捉え、そのおおよその時間スケールを見積もったことで、酵素反応の新たな理解につながりました。この成果は、生命現象の本質的な理解を深めると同時に、酵素などのタンパク質を標的とした創薬や疾患治療の分子設計にも応用が期待されます。また、他の多くの生体分子における“構造のゆらぎ”と機能の関係を明らかにするための、汎用性の高い基盤技術として、今後、様々な生命現象の解明への波及が見込まれます。

 

6.論文情報

(タイトル) Multi-state structure determination and dynamics analysis reveals a unique ubiquitin-recognition mechanism in ubiquitin C-terminal hydrolase

(著者名)Mayu Okada, Yutaka Tateishi, Eri Nojiri, Tsutomu Mikawa, Sundaresan Rajesh, Hiroki Ogasa, Takumi Ueda, Hiromasa Yagi, Toshiyuki Kohno, Takanori Kigawa, Ichio Shimada, Peter Güntert, Yutaka Ito*, Teppei Ikeya* 

*Corresponding authors

(雑誌名)Journal of the American Chemical Society

(DOI)10.1021/jacs.5c06502

 

7.研究助成

 本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 CREST「細胞内現象の時空間ダイナミクス」研究領域 研究課題名 「インセルNMR計測による細胞内蛋白質の構造・動態・機能解明」(課題番号:JPMJCR21E5、研究代表者:西田紀貴)、日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業(課題番号:JP15K06979、JP19H05645、JP15H01645、JP16H00847、JP17H05887、JP19H05773、JP26102538、JP25120003、JP16H00779、JP21K06114)、島津科学技術振興財団、精密測定技術振興財団による研究資金支援と、文部科学省「先端研究基盤共用促進事業 NMRプラットフォーム」(課題番号:JPMXS0450100021)理化学研究所 共同利用NMR装置の利用により実施されました。

 

8.補足説明

(注1)核磁気共鳴(NMR)分光法:

強力な磁場に物質を置いた状態で、物質にラジオ波を当てると、物質の磁気的な状態を反映した信号を得ることができる。この手法を生体分子(タンパク質やDNA)に応用することで、分子の立体構造や、溶液内での運動性、分子間の相互作用の情報などを得ることができる。

 

(注2)ユビキチン:

ユビキチンは、あらゆる真核生物の細胞内に存在し、細胞内で不要になったタンパク質に目印として付加されることで、それらを分解へと導くしくみが作動する。また、分解だけでなく、細胞内での局在制御やシグナル伝達など、多様な生理機能に関与している。ユビキチンがタンパク質に結合することを「ユビキチン化」、逆にこれを取り除くことは「脱ユビキチン化」と呼ぶ。ユビキチン化と脱ユビキチン化が正しく働かないと、がんやパーキンソン病などの疾患を引き起こすことが知られている。

 
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