昨年、20周年を迎えた、トークライブハウス・新宿ロフトプラスワン。前編に続いて、この"サブカルの殿堂"が巻き起こしたトラブル史をご紹介しよう。
その5 赤軍派元議長がネトウヨから殺害予告受け公安出動事件
塩見孝也がネトウヨのイタズラ殺害予告にビビり警察に相談! やってきた公安が...
当局にマークされるような人物も頻繁にステージに上がるロフトプラスワン。当然、「殺害予告」などのイタズラは日常茶飯事。ただ、店の人は慣れていたとしても、登壇するほうとしてはいきなりそんな殺害予告を受けると驚いてしまうわけで......。
ある時、そんな「殺害予告」に慌てふためいた人物が警察に通報してしまい大騒動に発展した。そこまではよくある話なのだが、その人物がよりによって、強面中の強面な人物であった。このことから加藤梅造氏と平野悠氏の二人にとっては印象深い思い出となっていると言う。
加藤「塩見孝也さんがイベント出演の時に、ネトウヨみたいなのに殺害予告されまして。半分イタズラの殺害予告だったんですけど、「日本のレーニン」とも言われた人がマジでビビってしまって警察に相談しちゃうという......」
塩見孝也氏といえば、学生運動華やかりし時代、共産主義者同盟赤軍派を結成。その議長に就任した男である。その後、爆発物取締法、よど号ハイジャック事件に関する共謀共同正犯、破防法などで起訴され、20年近く獄中生活を送った人物だ。まさか、それほどの人物がネトウヨのイタズラに本気で驚いてしまうとは。
通報により、お店には警察が出動。
平野「その日にさ、店の入り口に警察がいるんだよ。それで、俺とか鈴木邦男が怒って、『帰れ、この野郎!』って言って。あれは傑作だったな(笑)」
加藤「お客さんも『帰れ』コールを浴びせて(笑)」
平野「警察も、『僕らは要請されたから来たんで、調べに来たんじゃありません!』なんて言って(笑)」
ただ、こうして警察がお店に来ることは、実はそう珍しいことではなかったらしい。かつて、ロフトプラスワンは公安にとって格好の情報収集の場として機能していた時代もあったのだと平野氏は言う。
平野「この時期は、塩見孝也みたいな人が出るようなイベントがたくさんあって、公安にとっては実においしい店なわけです。今までは地下に隠れていたような連中が、みんな平気な顔して喋りに来てるんだから。公安がお店に来たら『こいつはいま何してるんだ』っていう情報収集ができるわけじゃない? 今はインターネットがあるからそれなりに調べられるだろうけど、20年前はそんなものありませんでしたからね。事情聴取で何度か警察署に呼ばれて行ったこともありましたけど、そしたら部屋にウチの店のスケジュールが置いてありましたからね(笑)。それでウチも「公安も来る明るい居酒屋」なんて名乗ったりして(笑)。ステージが始まる前に『公安の人、手をあげてください』なんて煽ったこともありました(笑)」
その6 名物雑誌編集長がライター陣にタコ殴りされる事件
「BURST」の編集長がライターでもあるパンクロッカーたちに壇上でボコボコに...
かつて「BURST」(コアマガジン)という雑誌があったのをご存知だろうか? 違法ドラッグ、死体写真、タトゥーなどの人体改造、アブノーマルセックス、レイブカルチャー、パンクロック、暴走族など、ありとあらゆるアングラカルチャーを扱い一部に熱狂的な信者を生んだ雑誌である。その「BURST」執筆陣が一堂に会したトークイベントが行われた際、事件は起きた。
加藤「『BURST』編集長のピスケン(曽根賢)さんが、その当時のライターや、PANTAさん、見沢知廉さん、LAUGHIN' NOSEのPONさんとかを呼んで話してたんですけど、だんだんピスケンが酔っ払ってきてウザくなってきたのか、最後には『お前、いい加減にしろ』って言って壇上の人全員がピスケンさんをボコボコにするって事件がありましたね。原稿料払ってなかったとか、そういう不満がたまっていたらしく、お酒飲んで盛り上がってきたらそういうことに......。それでみんな帰っちゃって、編集長ひとりだけ床に伸びてるっていう。まあ、酒飲むとどうしてもそうなりますもんね」
破天荒・無頼なキャラクターで知られていた名物編集者をライターたちが集団リンチ。ロフトプラスワンは、古き良きゴールデン街で起こっていたような珍騒動がステージ上で巻き起こる場でもあったのである。
その7 小倉智昭の一言に怒ってフジテレビにデモ事件
高円寺の反原発デモ、フジテレビ株主総会へのデモ、論争空間はどんどん広がっていった
20年間にわたり議論の場を提供し続けてきたロフトプラスワンだが、彼らがつくる「論争空間」は自分たちの経営するライブハウスだけにとどまらない。時には小屋を飛び出し、「街」に論争の空間をつくりだすこともある。ロフトプラスワンはデモの協力も行なっているのだ。彼らが「デモ」に関わりだしたきっかけについてこう振り返る。
平野「高円寺での一番初めの反原発デモというのは、素人の乱の松本哉から僕のもとに電話がかかってきて『反原発デモやるから協力してくれ』って話から始まったんですよ。
ミュージシャンの飛び入りライブがあったりと、旧来の堅苦しいデモから一般の人にも参加しやすいデモづくりを行った素人の乱。いまで言うところのSEALDsの先駆とも言える彼らだが、そんな反原発デモが盛り上がりを見せた陰には、ライブハウス運営のノウハウをもち、音響設備に関してはプロ中のプロであるロフト陣営のサポートがあったのだった。
彼らがこういった直接行動に関わるようになったのは、厳密には実はこれが始めではない。2001年、新宿ロフトで行なわれた野村沙知代氏のライブに関するひと騒動でデモ行動を起こしたことがある。
事の発端は、そのライブを取り上げた『とくダネ!』(フジテレビ系)のなかで、VTRを見た小倉智昭が「この(客の)若者たちはいくらもらってんの?」と「サクラ」を匂わせる発言をしたことから始まる。
平野「サッチーに頼まれたんですよ。『自分もロックのライブをやってみたい。歌ってみたい』って。
この後も、個人情報保護法に反対する反小泉デモに協力したり、反レイシズムの運動に参加したり、下北沢の大型道路建設反対運動に関わり保坂展人・世田谷区長の当選に協力したりと、直接行動への関与は続いていく。
こういった活動を先陣切って行ってきた加藤氏は、昨年、安保法制をめぐって盛り上がった国会前デモに関して、こんな言葉を語ってくれた。
加藤「なんでみんな行かないのかなと思います。単純に、行ったほうが絶対に面白いじゃないですか? 『なんか盛り上がってるから行ってみよう』とか、そういう動機でいいと思うんです。賛成か反対かはそのあと考えればいいわけで、行ってもないのにああだこうだ言うのはつまんないですよね。こういうお店もそうだし、雑誌もネットもそうだけど、好奇心が一番大事」
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さて、ロフトプラスワン20年の間に起きたトラブルを一気に紹介したが、いかがだっただろうか。
そもそも、ロフトプラスワンが始まったコンセプトは「居酒屋の中で一番面白い話をしているテーブルにマイクを置いて、それでまわりの人たちを巻き込もう」というものだった。主義主張も、会話の内容もなんでもいい。ただとにかく嘘はつかず思っていることを議論し合おう、というのが原則だった。
ご存知の通り、ここ数年この国では、テレビ・新聞・出版、どのメディアも自由な発言や表現を規制されるような動きが顕著になりつつある。そんななか、ロフトプラスワンのように「タブーなし」で話ができる空間は大変に貴重なものとなりつつある。まるで奇跡のようなこの空間がさらに10年、20年と続いていくことを願ってやまない。
(インタビュー・構成/新田 樹)
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Profile
新宿ロフトプラスワンは95年新宿区富久町にオープン。98年から歌舞伎町の今の場所に移転した。現在は新宿区百人町にNaked Loft、阿佐ヶ谷にAsagaya/Loft A、また、大阪にはLoft PlusOne Westと、続々と姉妹店となるトークライブハウスをオープンさせている。スケジュールなどの詳細はホームページを確認。また、最近ではトークライブハウスを飛び出し、「ロフトラジオ」というインターネットラジオ曲も立ち上げている。こちらも詳細はホームページをチェック。