●珍質問の一方で、ふれられなかった金メダルへの思い
「トリプルアクセルに声をかけるとするなら?」「もし5歳の自分にタイムスリップしたら?」
こんな珍質問が飛び出したことがやたらクローズアップされている浅田真央の引退会見。ネットやワイドショーなどを見ていると、どんな質問にも誠実に答え続ける浅田真央の神対応を称賛する声があふれていたが、本当にそういうことなのだろうか。
むしろ、逆なような気がする。記者たちの間には、かつての皇室のような、腫れ物にさわらなければいけないような空気が流れ、核心をつくような質問ができなかった。その結果、ああいう遠回しの珍質問をせざるをえなくなったのではないか。
会見をふりかえってみるといい。たとえば、彼女がいま、このタイミングで引退を決意した本当の理由を問いただした記者がいただろうか。オリンピックで金メダルがとれなかったことへの思いを聞いた質問があっただろうか。
それこそこれはフィギュアファンなら誰でも知っていることだが、彼女は「オリンピックで金メダルをとること」を最大の目標として、フィギュアを続けてきた。しかし、バンクーバー五輪ではキム・ヨナに破れ銀メダルに終わり、ソチ五輪では、ショートプログラムでミスが相次ぎ、フリーで巻き返したが、メダルには遠く及ばなかった。
メディアは「メダル以上の感動」「伝説のフリー」などと持ち上げたが、本人は悔しさがあったのだろう。だから、ソチ五輪シーズン開幕前に「今シーズンで引退」宣言していたが、それを翻し、いったん休養した後、復帰したのだ。しかし、復帰後は思うような演技ができず、全日本選手権でも惨敗。オリンピックへの思いがかなわないまま、引退を決意した。
●キム・ヨナの質問はNG? 質問した赤旗記者は炎上
実際、最後の挨拶以外で、彼女が声を詰まらせ、感情をのぞかせたのは、「浅田さんにとってオリンピックの舞台はどういうものだったか?」と質問されたときだった。
「トリプルアクセルに声かけるんですよね、難しい」などとどう答えればいいのというような質問にも、決して沈黙や間をつくることなく朗らかに応えていた真央が、この問いに言葉を失った。沈黙がしばらく続き、目には涙を浮かべていた。
結局、「うーん、やはり4年に1度ですし、選手である以上、小さいころからやってきたので、メダルをとれたのは良かったですし、五輪に出ることができてよかったです」というあたりさわりのない回答しかしなかったが、こみ上げていたのは、明らかにオリンピックに対する悔しい気持ちではなかったか。
しかし、それ以上の質問は誰もしなかった。「オリンピックの金メダル」以外にやり残したことはない。それを諦めるに至ったその胸の内を誰も問わなかった。
もうひとつ、NGワードかなにかに指定でもされているのかなというくらいに不自然なまでに触れられなかったことがある。それは「キム・ヨナとのライバル関係」だ。彼女のスケート人生を語る時に、「キム・ヨナとのライバル関係」は避けられないテーマであり、実際、その軌跡を報じるワイドショーなどは、こぞってヨナとの関係を報じていた、にもかかわらず、この引退会見でそうした質問が出ることは、ほとんどなかった。
唯一「しんぶん赤旗」の記者が、キム・ヨナについての思いを問うていたが、ネット上では赤旗に対する非難が飛び交い、産経新聞は「赤旗記者がキム・ヨナさんについて質問」と書き立て「キム・ヨナ選手と並べないでほしいんだけど」「赤旗って最低」などというネットの声を紹介し攻撃した。
●タブーになっていた浅田真央 父親の逮捕も報道されず
いや、非難を受けたのはこの質問だけはない。会見でちょっとでも答えにくそうな質問が出ようものなら、会見を生中継していたワイドショーでは、ワイプのなかのコメンテーターたちは露骨に顔をしかめていた。
とにかく会見は万事がこの調子で、真央ちゃんにシビアな質問をしてはいけない、そういう空気に支配されていたのだ。
しかし、浅田真央に対するこうした扱いは、今回の引退をきっかけに起きたわけではない。彼女はずっと、マスコミ的には「批判が絶対タブー」の存在であり続けてきた。ネガティブな情報を報道したメディアは必ず激しい抗議にさらされ、すぐに謝罪・撤回するという事態が起き続けてきたのだ。
たとえば、08年12月15日、韓国で開催されたフィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルでライバルのキム・ヨナを制し真央が優勝した。これに対し、『とくダネ!』(フジテレビ系)では、「ミスがなければキム・ヨナが勝っていた」「実力はキム・ヨナが上」ととれるような解説があり、そのことで真央ファンや視聴者から抗議が殺到。3日後の18日には番組で司会の小倉智昭が謝罪と訂正を行う事態となった。しかも、同番組で浅田に厳しい評価をしたコメンテーターはその後しばらく、番組に出演できない状況が起きたともいわれる。
こうしたことが繰り返された結果、ある時期から、真央の批判やスキャンダルがメディアにのぼることは一切なくなった。
たとえば、その典型が父親の逮捕だろう。
もちろん父親と真央はまったく関係がないし、事件にしても真央に責任がないことは当然だ。しかしたとえば、タレントのローラの父親が国際手配のすえに逮捕された際、芸能メディアや週刊誌がこぞってこの事件を取り上げ、あたかもローラにも責任があるかのように報道。その結果、一時はローラのタレント活動が危ぶまれるほどだったことを考えると、今回のメディアの反応は雲泥の差がある。
●ソチ五輪"伝説のフリー"にもマスコミがふれなかったことが
しかも、タブー化は、私生活だけでなく、競技そのものに関する報道にも及んでいた。
そのひとつが、ソチ五輪での"伝説のフリー"だろう。ショートプログラムでトリプルアクセルに果敢に挑戦するも失敗するなどミスが重なり、真央はまさかの16位スタート。しかし、翌日のフリーでは、トリプルアクセルはもちろんそのほかのジャンプもすべて成功し大逆転で、6位まで巻き返す。その演技は女子ではまだ誰も成功したことのない「6種8トリプル」。当時の報道では「6種8トリプルの偉業を見事成功!」という見出しが踊り、 "伝説"の演技と大々的に讃えられた。
しかし、実際のソチでの真央のフリーでは、トリプルルッツに踏み切り違反(エラー)、トリプルフリップ+トリプルループの連続ジャンプの2つ目のトリプルループが回転不足、ダブルアクセル+トリプルトゥループの連続ジャンプの2つ目のトリプルトゥループも回転不足と判定されている。
ところが、マスコミは「成功」をさりげなく「着氷」と言い換えつつ、そのあとも「伝説のフリー」と言い続けた。今回の引退報道でも、いちばん心に残る演技として、この"伝説のフリー"が繰り返し流され、相変わらず「6種8トリプルの偉業」と謳っているメディアも少なくなかった。
しかも、こうした傾向はソチ五輪後の休養から復帰して以降、どんどんエスカレートしていった。結果の芳しくなかった真央に対して、メディアは「彼女が追い求めているのは結果ではない」「自分のスケートを追求している」などと先回りし、演技の良し悪しや結果については語ることが許されなくなった。
しかし、実際の真央はシンプルな勝ち負けにこだわる選手だ。ミスがあっても勝てば無邪気によろこび、負ければライバルの演技を讃えることなくただただ悔しがる。むしろ、自身でも語っているように、「気が強い」「負けず嫌い」というのも、真央の素顔のひとつだ。にもかかわらず、「本当にいい子」「みんなから愛される」以外のことを語ることが許されない空気になってしまった。
つまり、こうしたタブー化のきわめつきとして現れたのが、今回の引退会見だったのである。
●浅田真央がタブーになった理由、二つの本の出版中止事件
では、浅田真央はいったいなぜ、こんな強力なタブーになってしまったのか。母親、匡子さんの存命中は匡子さんがメディアを押さえ込んでいるといわれていた。
「匡子さんは真央を守るためなのでしょうが、少しでも気に入らない報道や記事があると強固にクレームをつけていましたからね。当時の真央は実力、話題ともに絶頂期であり、真央の活躍を取材し続けたいメディアは、その意向に逆えるはずもありませんでした」(出版関係者)
実際、真央に謝罪したことのある『とくダネ!』MCの小倉智昭は、匡子さんが危篤と報じられた11年12月9日の同番組で、それを示唆する発言をしている。
「大変熱心に、真央ちゃんに関する記事とかテレビとかをご覧になってね。それに対していろいろ意見をお持ちだったりとか、......ま、本当に真央ちゃんのために尽くしてこられたという方」
また、匡子さんの強硬姿勢のひとつとして語られているのが、評伝の出版中止事件だ。2010年ごろ、『もしドラ』こと『もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の作者・岩崎夏海氏による真央の評伝が企画され。取材が進んでいた。当の岩崎氏も自身のブログで「浅田真央さんの本を書くことになった」と表明。『もしドラ』を累計202万部というベストセラーにした作家と、国民的アスリートの組み合わせは当時大きな注目を浴びた。しかしそれは結局、実現することなく"お蔵入り"してしまったのだ。
「この本は版元も日経BPと決まっていたのですが、岩崎氏の取材のやり方に真央サイドが不快感を示し、出版は白紙撤回されたのです」(出版関係者)
しかし、こうした出版中止事件は、匡子さんの死後も起きている。12年2月にはポプラ社から発売予定だった真央の初エッセー『大丈夫、きっと明日はできる』が突然、発売中止になっている。その原因は出版直前、母親の匡子さんが逝去したため、出版社側が本の告知ポスターに「ママ、ほんとうにありがとう」というコピーを無断で使用したことだった。
ポスター回収だけでなく、入稿もすんでいた本が出版中止になってしまう。いかにメディアが真央に気を使い、恐れているかがよくわかるが、匡子さん亡き後、誰がこういうクレームをつけていたのか。これらの強い姿勢はどうも、真央本人の意向が強く働いているようだ。
●キムヨナ八百長論を否定して「反日」攻撃を受けた荒川静香
「真央は大好きだった母・匡子さんのメディアに対する姿勢を踏襲しているのです。表向き対応しているのは、マネジメント会社や関係者ですが、実際は、真央の希望によるものです。メディア側にすれば今後真央が引退するにしても現役を続行するにしても真央の話題性は抜群です。もしへそを曲げられて取材拒否ともなれば一大事だし、また引退後はキャスターやバラエティに引っぱり出そうと虎視眈々と狙ってもいる。そのため、真央の意向に反した報道などあり得ないんです」(前出・出版関係者)
おそらく真央のこと、メディア対策も自立してしっかりやっていたのだろう。しかし、もうひとつ、真央をタブー化させた大きな要因があった。それは熱狂的ファンの存在だ。これに関しあるテレビ局関係者がこう証言する。
「真央や事務所の力もありますが、それ以上に大きいのが熱狂的ファンの抗議、クレームです。少しでも真央に関するネガティブな評価などをコメントすると、抗議が殺到する。またライバル選手、特にキム・ヨナと一緒に取り上げる時は神経を使います。少しでもキム選手を利するようなコメントをするだけで、まさに抗議殺到ですからね。こういう抗議を恐れて、過剰に神経質になっているという側面もある」
しかも、その熱狂的なファンの抗議はある種のナショナリズムやヘイトスピーチと一体化して、ネット上の炎上を引き起こし、メディア関係者を震え上がらせていた。
その最たるものが、キム・ヨナ八百長疑惑を否定した荒川静香の炎上だろう。ヨナが浅田の大きな壁として立ちはだかっていた頃、ネット上では、試合が行われるたびにキム・ヨナの高評価に疑問の声が寄せられ、浅田がヨナに負けたときには「八百長」「買収」という言葉が飛び交う。週刊誌やスポーツ紙、テレビでも、たびたび疑問が呈された。
これに反論したのが、トリノ五輪金メダリストの荒川静香だった。荒川は『誰も語らなかった 知って感じるフィギュアスケート観戦術』(朝日新書)で、現在の採点システムについて「技術と芸術が融合したフィギュアスケート本来の戦いに戻ってきた」「(よく「公平か」と質問されるが)ほとんどの場合、納得できるもの」と肯定。その上で、「スケートをあまり知らない方からは、ヨナは3アクセルがないのに、なぜあんな高い点数が出るのか、とよく聞かれます。3アクセルという大きな技を持っているがゆえに、一般的には浅田選手はジャンプ技術が持ち味で、ヨナは表現力で勝負をしていると思われがちですが、私から見るとむしろ逆」「一つ一つのジャンプを見て、どちらが加点のつくジャンプを跳んでいるかというと、ヨナはやはりすごく強いジャンパー」とネット上で叫ばれる"キム・ヨナ八百長説"に真っ向から反論した。すると、「真央に嫉妬している」「不仲」と炎上し、「反日」「国賊」などという攻撃を受けることになった。
●タブー化が生みだしたトリプルアクセル依存
実は、真央ファンからこうした攻撃を受けていたのは真っ当なフィギュア解説をつらぬこうとした荒川だけでなく、国内のライバル選手も「在日」「帰化した朝鮮人」などと、明らかなヘイト攻撃も受けていた。
そういう意味では、真央のタブー化は当時、ネトウヨがつくりだした嫌韓ムードとリンクして広がっていった部分もある。キム・ヨナとのライバル関係が嫌韓感情に火をつけ、ネトウヨが過激な抗議や炎上攻撃を行うことで、マスコミがその動きに敏感になっていった部分があったのかもしれない。
もちろんこうしたファナティックな批判封じ込めは真央自身が望んでいたことではないだろうし、批判のタブー化は、むしろ、彼女の競技人生にとって、必ずしもいいことばかりではなかった。マスコミや解説者がトリプルアクセルを必殺技扱いして、欠点をほとんど指摘しなかったために、早い段階で矯正に取り組むことができず、肝心なところで金メダルに届かなかったという見方はいまも専門家の間で根強くささやかれている。
しかし、彼女はもう、現役のフィギュア選手ではなくなった。だとしたら、引退を機に、こうした歪なタブー的扱われ方からも自由になれるのだろうか。引退会見を見る限り、その日はまだしばらく遠そうな気がするのだが......。
(本田コッペ)