73回目の終戦の日。マスコミはこの日にあわせて特集を組んでいるが、なかでもNHKががんばっている。
NHKはホームページで〈この夏、"戦争と平和"を考える番組をお届けします〉と銘打ち、11~13日の三夜連続で日本の戦争をテーマにしたドキュメンタリーを放送した。さらに、きょう15日放送の『ノモンハン 責任なき戦い』では1939年のノモンハン事件を扱い、19日の『届かなかった手紙 時をこえた郵便配達』では戦場の兵士と故郷の人々の間で交わされた「軍事郵便」にスポットを当てる。
とりわけ、11日に初回放送だった『祖父が見た戦場 ~ルソン島の戦い 20万人の最期~』は太平洋戦争末期の激戦地であるフィリピン・ルソン島の戦いを題材にしたものだが、『鶴瓶の家族に乾杯』や『ガッテン!』でお茶の間の人気を博している小野文恵・チーフアナウンサーが、取材を通じ、ルソン島で戦死したとされる「会ったことのない祖父」の悲惨な戦争体験や最期に迫るという迫真の内容だった。
小野アナウンサーの祖父・景一郎さんは、1944年、32歳で出征し、衛生兵としてルソン島へ送られて戦死したという。しかし、国が発行した記録と出身地・広島県の死亡者名簿とでは景一郎さんの没日が異なっており、遺骨も帰ってこなかった。
小野アナは母とともに現地へ向かう。景一郎さんは、衛生一等兵としてアジア各地の港をまわった後、日本占領下のマニラで陸上での任務にあたった。小野アナは同じ部隊の下士官がつけていた日誌や日米の元兵士の証言などを手掛かりに、祖父の足取りを辿りながら、ルソン島の戦いの実情を知っていく──。
たとえば大本営は、本土上陸までの時間稼ぎを現地の日本軍に求めていた。補給もなくなった兵士たちは、降伏せずに戦い続ける「永久抗戦」を強いられた。番組ではルソン島から帰還した日米の元兵士のインタビューも放送された。
「死んでも守っとけということですよ、死守というのは。だから絶対に後方へ下がるわけにはいかないっていうんだから」「軍の上層部とするとですね、(兵隊が)死ぬかなんとかってことは、もう兵隊なんて消耗品と一緒ですからね」(花岡四郎さん/95歳)
「飢えが一番ひどいですね。つらいのはね」「(日本兵の)死体から靴をとってさ、いい靴なら自分が履くし、悪い靴ならあれ豚皮だから、それを飯ごうでふやかしといて、煮て食べるんですよね」(河村俊朗さん/94歳)
「日本軍は戦場で非常に重要な兵器の補給が全くできない状況に陥っていました」「日本兵が足の指で銃の引き金を引き、自殺する姿をこの目で見ました」(エドガー・モアマンさん/99歳)
本土決戦の時間稼ぎのために捨て駒とされ、敗走を重ねた日本兵。負傷した兵士には自決命令がくだり、自決できない者は銃剣で突き刺されたという。番組は、アメリカで発見した米軍の極秘資料をもとに、これまで日本側の記録では不明だった地域ごとの戦死者の数を地図に投射し、CGで可視化するなど、Nスペらしい手法をとりながら、証言と現地調査で戦争の筆舌に尽くしがたい残酷さを伝えていった。
だが、本サイトとして特筆したいのは、『祖父が見た戦場』が、単に激戦地で日本兵が置かれた悲惨な状況だけを見せるドキュメンタリーではなく、しっかりと、日本の加害事実についても掘り下げたことだ。
●住民虐殺、暴行...小野アナがフィリピンで取材した祖父の部隊の加害行為
そもそも、日本軍は1941年12月8日の真珠湾攻撃と同日にフィリピンへの侵攻を開始。翌年1月にはマニラを掌握し、5月にはほぼ全土を占領、おおよそ3年間にわたって統治下に置き、軍の統帥権を日本が握るなど傀儡的な親日政権を敷いた。
太平洋戦争末期、1945年1月からのルソン島の戦いは、フィリピン奪還を狙う米軍を中心とした連合国軍と日本軍の陸上戦を指す。2月、マニラでは日米両軍の大規模な市街戦が行われ、多数の民間人が犠牲となった。都市は完全に壊滅、犠牲者となったフリピン市民は10万人とされる。フィリピンで親日傀儡政権に反発する多くのゲリラ兵が米軍に協力し、そのなかで、ゲリラと非戦闘員を区別しない日本軍による住民殺害などの残虐行為が行われた。
番組では、小野アナが祖父の所属した部隊の手がかりとして、マニラの要塞の街・イントラムロスの地下牢を訪れた。大勢のマニラ市民が日本軍によって地下に閉じ込められ、焼殺、銃殺されたという。小野アナは、その地下でしゃがみこみながら、神妙な面持ちでこうつぶやいていた。
「ここに生きている人がいて、その人たちにガソリンをかけて焼くなんて」
「酷なことに駆り立てられた人が、結局のところ私たちの誰かのおじいさんだったわけですもんね」
さらに、小野アナは祖父の足取りを辿った旅の最後に、「どうしても知りたいことがあった」と言い、もう一度マニラに向かう。10万人の民間人が殺害されたことについて「フィリピンの人たちに、祖父たち日本兵の姿はどう映っていたのか。旅の間中、ずっと気になっていました」という小野アナは、当時13歳で、日本兵による性暴力の現場に居合わせた女性に会いに行ったのだ。
現在86歳になったその女性、イザベル・ウィルソンさんは、多くの女性たちが日本軍によってホテルに連行され、性暴力の被害にあい、そのショックから自殺した友人もいたと語る。インタビューする小野アナに対し、このように話していた。
「私たちはまさに戦争の犠牲者でした。多くの友人がレイプされました。あの当時、日本人は敵だったのです」
「私は過去を乗り越え、いま別の人生を生きています。
「会ったことがない祖父」の亡くなったであろう場所を訪ね、戦争へと駆り出された日本の兵士たちの実情に触れながら、同時に、その祖父たち日本軍が行った加害の歴史を受け止める。片や、安倍首相とその応援団による歴史修正の波が押し寄せ、百田尚樹の『永遠の0』が代表するように、戦争をヒロイックな"悲劇の物語"に回収するフィクションが流行してしまう状況だ。日々の報道姿勢は安倍政権を忖度して萎縮する一方のNHKだが、こうした骨太で良質なドキュメンタリーを終戦記念日の前後に放送することは、まさに現場の良心と言えるのではないか。
●Nスペ731部隊特集にも「NHKは捏造反日協会」と攻撃していた和田政宗
しかし、やはりと言うべきか、このNHKスペシャルを攻撃する国会議員があらわれた。元NHKアナウンサーで自民党広報副本部長の和田政宗議員だ。和田議員といえば言わずとしれた"議員バッジをつけたネトウヨ"だが、『祖父が見た戦場』の初回放送中の11日21時38分にTwitterを更新。おそらく、リアルタイムで視聴しながら書き込んだのだと思われるが、こんなバッシングを展開してみせたのだ。
〈もうNHKはメディアとして死んでいるというのが、昨年からの第二次大戦に関するNHKスペシャルの流れ。独自の検証もせずソ連側の主張や米軍の「戦犯」裁判の資料を一方的に肯定。もう私もNHKは擁護しない。
念のため言っておくと、同番組は戦後の軍事裁判の資料にのみ依拠しているわけではないのだが、それにしても、日本の加害事実に触れただけで「受信料徴収の根拠を失っている」などと恫喝するそのクレイジーさには心底呆れざるをえない。
ちなみに、和田議員が攻撃している「昨年からの第二次大戦に関するNHKスペシャルの流れ」というのは、昨年8月13日に放送されたNHKスペシャル『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』などのことを指しているのは明らかだろう。同番組は、新資料や記録・証言を集め、細菌兵器の開発や人体実験を行っていた陸軍の秘密組織「731部隊」に迫った力作だが、放送後にはネット右翼を中心に「捏造だ」「偏向番組」などのいちゃもんが相次いだ。だが、731部隊の残虐な人体実験が歴史的事実であることは、本サイトの当時のレビュー記事(http://lite-ra.com/2017/08/post-3392.html)でも伝えたとおりだ。
にもかかわらず、和田議員はネトウヨ的妄想をフル回転させてNスペを攻撃。たとえば最近出した著書『「嘘の新聞」と「煽るテレビ」』(育鵬社)でも「NHKは「捏造反日協会」?」なるどうかしているとしか思えない章立てのもと、『731部隊の真実』に対して"証言の信憑性に甚だ疑問"などとイチャモンをつけたうえで、〈NHK内部の人間に聞くと、左派系のディレクターやプロデューサーが力を持つようになってきたということです。今後も『731部隊の真実』のような番組が放送される恐れがあります〉などと記している。
●日本の加害事実を取り上げたテレビはすべて「捏造反日」と決めつける和田
同じくNスペで昨年9月10日に放送された『スクープドキュメント 沖縄と核』への和田議員のバッシングも噴飯ものだ。こちらも当時、本サイトで内容を紹介しているので詳しくは過去記事をご覧いただきたい(http://lite-ra.com/2017/09/post-3453.html)が、和田氏は番組ディレクターが沖縄問題を考える団体や9条護憲団体の主催集会に参加していたとあげつらい、〈彼の行動はコンプライアンス上は問題ないのでしょうか〉なる難癖でディレクター個人に圧力をかけているのだ。
ようするに、和田議員のような歴史修正主義者の安倍シンパからすれば、日本の加害事実を取り上げたテレビドキュメンタリーはすべて「捏造反日」とレッテルを貼り付けるということらしい。いずれにしても、この輩が政権与党の国会議員であることを考えれば、明らかに放送局やディレクターに対する恫喝的圧力行為としか言いようがない。
あまりにも馬鹿げた妄想の開陳だが、政治権力に弱いNHKだからこそ心配になってくる。
(編集部)