NHK朝ドラ『花子とアン』がいよいよ最終回を迎えようとしている。この連ドラの好評ぶりは社会現象の様相まで呈し、多くのメディアがこぞってあやかり企画を連発した。
美智子皇后にとっては、思いもよらぬ出来事だったかもしれないが、もうひとつ美智子皇后に関する仰天"秘話"が存在したことをご存知だろうか。
それが「週刊新潮」の連載企画記事「ご成婚55年『皇后美智子さま』秘録」に掲載された"ある"エピソードだ。これはジャーナリストの工藤美代子による読み物で、これまでの美智子皇后の様々なエピソードを基調に、当時の関係者などから丹念に取材し、検証した企画。その第9回と10回(7月17日号・24日号)に美智子皇后が現在の天皇と結婚する直前、天皇とは"別の人物"と見合いをしていたとの記述があるのだ。
そして、そのお見合い相手はなんと作家の三島由紀夫──。
三島といえば、唯美的作風で戦後を代表する作家だが、晩年には民族主義的傾向を強め、1970年に市ヶ谷陸上自衛隊で決起を促した演説の末に自決したことで知られる。そんな三島が生前、美智子皇后とお見合いをしていた。
記事によれば昭和42年、三島は友人でもあるジャーナリスト徳岡孝夫にこんなことを語ったという。
「僕は××子さんとお見合いをしたことがあるんです」
これは徳岡の著書『五衰の人 三島由紀夫私記』(文藝春秋)に記された一節で、名前は伏せ字になっているが、「三島さんが口にした女性の名は、きわめてやんごとなきあたりに嫁がれた方」といった内容から推測するに、それが美智子さまのことを指すのは明らかだ。三島はこの際、「芝居を見て、食堂で一緒に食事をした」と快活に語っている。
さらに工藤によると、三島の自決後、三島の母・倭文重も2人の見合いについて語っていたというのだ。
「あの子には、ふたつだけかなわなかったことがある」と倭文重。
そのひとつが、ノーベル賞を受賞できなかったことなのだが、もうひとつが三島の結婚に関してだった。
「本命の人と結婚できなかったんです。お見合いをして、不成立の縁談で、唯一、心残りの方がありました」
「どなたですか?」と長岡が聞くと、倭文重はこう答えたのだ。
「正田美智子さんです」
これだけでも驚くが、さらに倭文重はこんな衝撃的発言をしたという。
「もし、美智子さんと出逢っていなければ、『豊穣の海』は書かなかったでしょうし、自決することもなかったでしょう」
また、音楽評論家・高橋英郎も著書『三島あるいは優雅なる復讐』(飛鳥新社)で、三島と美智子皇后の見合いについて書いている。工藤はそこから、こんなくだりを記事内で紹介している。昭和33年2月、三島は美智子皇后の「釣り書」を見て、美智子皇后を歌舞伎座に誘うことにした。
「隣席を用意して待っていると、間もなく淡い水色に花柄を添えた春らしい和服姿の美智子さんが現れた。目利きの三島が目を奪われたことは確かだ」
「歌舞伎座でふたりが出会って、束の間の逢瀬を許され、すぐ別れねばならない人を惜しむかのように、三島は彼女を品川区東五反田の自宅までタクシーで送り届けた」
実はこの見合いエピソード、多くの文献があり知る人ぞ知る話として流布されているものだ。しかし今回、2人の見合いを検証し、関係者に取材を重ねた工藤が辿りついたその後の結末は、さらに驚くべきものだった。
「結論から先に述べてしまうと、美智子さんは歌舞伎座へ行ってはいなかった。歌舞伎を見たあと、さらに食事に席を移したというお見合いの事実もない」
ある関係者によれば、三島が美智子さまとお見合いをしたという昭和33年2月には、すでに皇太子(現天皇)自身は美智子さまを意中の人と真剣に考えていた時期で、三島の誘いなど絶対に受けるはずはない、と。
一体どういうことか。工藤はこう記す。
「三島は『なぜだかは分からぬが』、一方的に美智子さんの面影を追いかけ、終いには『見合いした』という妄想を抱くにいたったのではないか」
その理由はいくつかある。三島という作家につきまとう「伝説」がそのひとつで、三島自身が「伝説」を巧みに物語化した。それが流布され拡散していったというもの。そしてもうひとつが三島の聖心女子学院への思い入れだ。
「彼の抱いていた、聖心女子学院へのことのほか深い思い入れである。いくつかの事実を重ね合わせていくと、その執心が浮かび上がってくる」
三島には17歳で急逝した3歳年下の妹がいた。三島は愛おしく思い、また最期も健気に看病したことが知られている。その妹が通っていたのは聖心女子学院だった。
そして工藤はこう結論づける。
「聖心女子学院や皇室への独自の思い入れから「釣り書き」を見ただけで『見合いをした』ように想像が膨れ上がり、母・倭文重もまた同じ夢を見ていた。いかにも三島由紀夫とその母らしい想念といえよう」
皇太子妃に密かに恋いこがれ、壮大な妄想を膨らませていった三島。それにしても、「歌舞伎座で束の間の逢瀬」「淡い水色に花柄の和服」「東五反田の自宅までタクシーで」と単なる妄想とは思えないディテールだ。妄想にも三島らしいさすがの緻密な構築力が発揮されている。それゆえ、「美智子さまとの見合い」という荒唐無稽な妄想を周囲の人も信じ込んでしまったのかもしれない。
(林グンマ)