農水省元事務次官の「子ども殺害」正当化は橋下徹だけじゃない! 竹田恒泰、坂上忍、ヒロミも…「子は親の所有物」の価値観

農水省元事務次官の「子ども殺害」正当化は橋下徹だけじゃない! 竹田恒泰、坂上忍、ヒロミも…「子は親の所有物」の価値観
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橋下徹Twitterより

 恐れていたことが起こってしまった。農林水産省の元事務次官である熊沢英昭容疑者が長男を自宅で殺害した事件で、熊沢容疑者が「川崎市の児童殺傷事件が頭に浮かんだ。他人に危害を加えてはいけないと思った」という趣旨の供述をしていると報じられたことだ。

 川崎市で小学生ら19人が殺傷された事件をめぐっては、ネット上で「自殺に他人を巻き込むな」「死にたいなら一人で死ね」という感情論が横行し、ワイドショーも容疑者をモンスター扱いして憎悪を煽ったが、そうしたなかで熊沢容疑者は「他人に危害を加えてはいけない」などという動機で息子を死にいたらしめてしまったというのだ。

 ところが、一部のメディアやコメンテーターは反省するどころか、さらに、信じがたい暴論をエスカレートさせている。今回の事件について「親が子どもを殺すのはあり」といわんばかりの主張が飛び出しているのだ。

 その代表が橋下徹氏だ。橋下氏は6月3日、Twitterに〈何の罪もない子供の命を奪い身勝手に自殺した川崎殺傷事件の犯人に、生きるための支援が必要だったと主張する者が多いが、それよりももっと支援が必要なのはこの親御さんのような人だ。自分の子供を殺めるのにどれだけ苦悩しただろうか〉〈自殺で悩む人へのサポート体制はたくさんあるが、このような親へのサポート体制は皆無〉などと投稿。さらに、こうつづけた。

〈他人様の子供を犠牲にすることは絶対にあってはならない。何の支援体制もないまま、僕が熊沢氏と同じ立場だったら、同じ選択をしたかもしれない。本当に熊沢氏の息子に他人様の子供を殺める危険性があったのであれば、刑に服するのは当然としても、僕は熊沢氏を責められない。〉

 いま広く訴えるべきは、孤立を招く家庭内での責任論でなく、行政や支援団体といった第三者機関の支援の重要性と拡充、そして、その支援の周知だ。しかし、橋下氏は〈親へのサポート体制は皆無〉と断言し、その上、“自分の子どもが他人に危害を与える可能性があれば、親は子どもを殺すしかないのでは”などと親の子殺しを肯定するかのような主張を繰り広げたのだ。これは、いま現在、同じような問題を抱えながら孤立している多くの親をさらに追い込む、非常に危険な言葉だ。橋下氏は、自身のこうした勇ましさを誇示するだけの暴論体質が丸山穂高氏のような議員を生み出してきたことを、まだ自覚していないのだろうか。

 しかし、こうした発言を口にしたのは、橋下氏だけではない。エセ皇族芸人の竹田恒泰氏も、6月4日の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)での玉川徹氏の「絶対に容認しちゃダメ。どんな理由があろうと殺人はダメ」という冷静な意見を報じるニュースをリツイートし、こう批判した。

〈玉川徹は法律を分かっていない。もし本件が、息子の無差別殺人を阻止するために已む無く刃物を使ったのであれば正当防衛が成立する余地がある。言い切るのはまだ早い。〉

 法律をわかっていないのは、どっちだ。正当防衛というのは、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為」のこと。熊沢容疑者は「川崎の事件が頭に浮かんだ」と言っているだけで、殺された息子が現実に近所の小学校の無差別殺人をおこなっていたわけでもなく、無差別殺人を具体的に示唆したという供述もしていない。もし仮に示唆していたとしても、それだけでは警察に通報するなど殺す以外の手段や猶予がないほど急迫した状況だったとは言えないだろう。元事務次官自身が息子に殺されそうだったという供述も、いまのところ一切報道されていない。

 竹田と同じようなヘイトスピーチをTwitterで撒き散らしていた被害者の思想や言動などは、本サイトはまったく相容れないが、だからと言って殺されていいはずがない。殺された元事務次官の息子は現実には無差別殺人をおこなったわけでもなく、誰ひとり殺していないのだ。それを正当防衛って……いったいこの男の頭のなかはどうなっているのか。

●坂上忍「橋下さんのご意見にもあるとおり、お父さんの気持ちがわかる」

 さらに、ワイドショーでも、同様の“殺人肯定”とも受け取れるような主張をした番組があった。6月4日放送の『バイキング』(フジテレビ)だ。

 この日の『バイキング』はくだんの橋下氏のコメントをクローズアップ、MCの坂上忍が「僕は非常に、共感と言っていいかわからないですが、気持ちはよくわかります」と言い、甲斐よしひろも「この事件がだんだんこういうことだったんだって、いちばん最初の感触のときがあるじゃないですか。まったく僕、(橋下氏の意見と)同じ。共感とまでは言いませんけど、同じ感触でしたね」、ヒロミも「これを書く気にはならないけど、ただの思いとしては、もし同じ立場だったら、わかる」と同意。そして、坂上はこのように畳みかけたのだ。

「どんなことがあったって、他人様はもちろん自分の息子だって手をかけちゃいけないなんてわかっていることであって、ただ思いとしては、じゃあ自分の大切な人が何か危険な目に遭ったときに、許せないことがあったときに、そのときはもう全部取っ払って、『いや、もう自分、この先どうなったっていいですから。徹底的にやってやりますよ』って思いはね」
「橋下さんのご意見もあるとおり、風潮としては、お父さんの気持ちがわかるっていうふうに、気持ちが傾く方って結構いらっしゃると思うんですが」

 親として許せないことがあったときは、子どもを「徹底的にやってやる」という思いをもつことはある。……これは橋下氏の主張とまったく同じで、親は他人に迷惑をかける可能性のある子どもを止めるためには何をやったっていいと感情論で煽る、とてつもなく危険なものだ。

 しかも『バイキング』では、熊沢容疑者の殺人を擁護するだけでなく、親が連帯責任を負うことを強要するような主張までもが繰り広げられた。

 熊沢容疑者の供述をもとにして息子から受けてきた暴力や暴言などを取り上げた際、ヒロミは「うちの子どもが犯罪を犯すとかっていうのって、結局、親もそれに加担したようなっていう、『どういう育て方したんだ』とか」と発言。坂上も「共同責任みたいな」と、ひたすら“親の責任”を強調し始めたのだ。

●坂上忍は児童虐待防止法改正案の体罰防止に「ほんとめんどくせえなって」

 こうした発言に対して、ミッツ・マングローブが、ある程度の年齢に達した子と親の距離感について「妙な情やしがらみ」をなくすべきではと提起しても、ヒロミと坂上は「なんかしたときには返ってくる」「日本の風潮として共同責任」「その風潮が悪いものでもない」と、日本の歪んだ家族観を無批判に正当化。

 さらに、犯罪心理学者の出口保行氏が「家庭内で解決することは無理」「保健所のDV相談や精神科の専門医など第三者に助けを求めるべき」と解説しても、坂上は「自分で解決できないってなったとき、相談できます?」「人目に触れちゃってる仕事しているから、じゃあすぐ行けますか?ってなったら、やっぱ逡巡するっていうか考えますよ」と発言。その上、熊沢容疑者が送検時に顔を隠さなかった態度については「生きてらっしゃるんだけども切腹同然というか」と語ったのだ。

 普段『バイキング』で坂上は被害者のいない薬物事案を重大犯罪のように扱うのに、この殺人事件では容疑者を“覚悟が感じられる”などとヒーロー扱い──。

 その上、坂上は「ひきこもりにさせないために家庭内教育とか幼児教育の大切さを子どももいないのに感じているんだけど」と、やはり家庭の問題に押し付けた挙げ句、「こないだ、なんだっけ? 親が子どもを体罰しちゃいけない法案みたいなのが」と、先日衆院を通過した児童虐待防止法改正案に言及。子どもへの虐待は「許せない」としつつも、「親がね、僕が親だったとしたら、たとえば自分が中学生のころ思ってもね、母親に『うるせえクソババア』とか言ってたんだよね。じゃあ僕いま52になって、僕の奥さんにね、ガキが『うるせえクソババア』って言ったら、そこでシメちゃうよ、やっぱり」と述べ、こう発言したのだった。

「それも思いなのかもしれないけど、それもなかなかやりづらくなってくるってなると、ほんとめんどくせえなって。めんどくせえって言っちゃいけないかもしれないけどね」

 これだけ親の虐待が明らかになっているのに、「児童虐待防止法」を「めんどくせえ」って、坂上はいったいどういう神経をしているのか。

 ようするに、彼らの頭のなかにあるのは、子どもの人格を無視した「親は子どもの所有物」という極めて前時代的な価値観なのである。

●前川喜平が指摘した「子育ては家庭、社会のケアは不要」という考え方の危険性

 彼らは、こうした価値観にもとづいた親子の連帯責任論が何を引き起こしているのかわかっているのだろうか。「子育ては親の責任」という圧力が、社会の子育て協力を妨害し、逆に虐待やネグレクトの放置を招いていることはもちろん、親と子を同一視する考え方じたいが、両者の距離感を喪失させ、過保護や過干渉、さらには家族間殺人などの原因にもなっている。

 橋下、竹田、坂上らは感情論で、この日本を支配する家族観の最大の問題点を煽っているのだ。

 しかも、彼らは一方で、事件の背景にある社会の問題にはまったく言及しない。そもそも、引きこもりの急増は、就職氷河期や不安定雇用が背景にあり、政治や行政の責任が大きい。しかし、そうした背景には一切触れず、すべてを家庭教育に還元するのだ。

 そういう意味では、『バイキング』はともかく、橋下徹氏や竹田恒泰氏が元農水事務次官の子殺しを正当化したというのは、偶然ではない。

 この家庭への責任押し付けこそ、新自由主義と国家主義的なものが補完しあっている安倍政権とその応援団の教育方針だからだ。

 文科省の元事務次官・前川喜平氏は、以前、本サイトで安倍政権の「子育ては家庭がするもの」という考え方が非常に危険であることをこう指摘していた。

「日本の復古的な家庭教育、そして『親学』がある。親学というのは、子どもに問題があるのは『親がしっかりしてないからいけない』という考え方です。しかし、いくら『しっかりしたい』『がんばりたい』と思っていても、余裕のない親はたくさんいる。そういう問題を解決しないで『親がいけないんだ』と親の責任にして押し付ける。結局、それでは貧困や母子家庭であえぐ子どもたちを救うことにならない。“親がしっかりすればいい”なんて論理は、つまり“社会的なケアなど必要ない”と言うのと同じです」
「子育ては家庭がするもので、社会的なケアは必要ないという考え方は、弱い家庭は崩壊していい、崩壊した家庭から子どもが放り出されるのは仕方がないと言っているのと同じです。弱肉強食の競争で負けたのは自己責任だという新自由主義的な考え方です」

 まさに前川氏の言う通りだろう。しかし、現実には、こんな深刻な状況が起きてなお、“親の責任”を声高に説教することしかできない人間が、政治やメディアで大きな顔をしている──。これでは、親子間の不幸な事件が頻発する状況を食い止めることなんてできるはずもない。
(編集部)

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