6月にAKB48を卒業、今後は「女でいく」と宣言している大島優子。そんな大島が、卒業後初となる写真集を出したのだが、世間ではその中身に賛否両論が巻き起こっている。

『脱ぎやがれ!』(幻冬舎)とタイトルから挑発的なこの写真集を撮影したのは、大島が初めてセンターを務めた「ヘビーローテーション」のミュージックビデオも担当した蜷川実花。気心が知れていることと撮影者が女性ということもあってか、今回の写真集にはかなり大胆なショットも収録されているのだ。

 まず、表紙からしてすごい。腰まで海に浸かった状態で上半身は裸に手ブラ。水着も淡いピンク色なので、波の屈折や反射によっては全裸にも見える。一見かなり過激でエロい構図に思えるが、そんな姿と大島の無邪気な笑顔のギャップによって、エロすぎず、元気で健康的な彼女のイメージにピッタリな作品に仕上がっている。

 ほかにも、自分を抱きしめるようにクロスした腕で胸を隠したり、手で胸を押さえながら、自ら水着を脱ぎ捨てる過程を収めたものや、片手で両乳首を隠す手ブラ写真などもあり、胸の谷間や横乳、下乳までも存分に拝める。巨乳としても知られる大島だけに、赤いマニキュアを塗った指が柔らかそうな胸にめり込む様子も、かなりそそられるのではないか。

 また、下着姿の写真では、背中側のブラの紐がねじれているという抜けた部分がリアルでつい視線も惹きつけられてしまう。おまけに、その下着というのが肌色に近い淡いピンクで、シースルーになっているのだ。だから、乳首が透けているようにも見えて、陰影のせいでそう見えるのか、それとも本当に乳首なのか、気になってますますまじまじと凝視してしまう。それ以外に、チューブトップ姿も多く収められており、とくにハンカチのような布をブラのように胸元で結んだだけの衣装では、乳首が見えるか見えないかのギリギリまで露出している。


 さらに、胸だけでなく、お尻もなかなか大胆に見せている。

 たとえば、エメラルドグリーンとヒョウ柄のピタッとしたスポーティーな下着姿では、お尻の形がくっきりと浮かび上がり、そこからはみ出た下尻のムチムチ感も堪能できる。Tバックのようなレースの白い下着姿でのバックショットは、お尻の丸みまでほぼすべて見えているのだ。そのうえ、水着のゴムの部分に両手の親指をかけ、横に引っ張った状態の写真もある。しかも、少し下にずらしているため、お尻の割れ目も見えてしまう半ケツ状態。

 ほとんど脱いでるのと変わらないくらいの露出具合。確かに、がんばっている。なかなかに、エロい。しかし──。ここまで煽って煽って書いてきたが、この『脱ぎやがれ!』、根本的なところで全然ダメ。大失敗だ。なぜなら、"脱いでいないから"である。


 こう言うと、「落ちぶれたわけでもない、トップアイドルが脱ぐワケないでしょ」と思われるかもしれない。たしかに、最近はアイドルも女優もみんな脱がない。セクシー写真とか過激シーンとか言いながら、だいたいこれくらいでお茶を濁しているパターンばかりだ。

 しかし、70年代終わりから90年代までは第一線の芸能人たちが、けっこう脱いでいた。秋吉久美子松坂慶子大竹しのぶ、原田美枝子、桃井かおり樋口可南子黒木瞳今井美樹......。彼女たちは決して落ちぶれて脱いだのではない。鮮烈にヌードでデビューを飾る女優も少なくなかった。最近ではせいぜい『蛇にピアス』の吉高由里子くらいのものだろう。その吉高だって売れっ子となった今はもう脱がない。

 女優が作品のなかで必然性があって脱ぐのと、アイドルが写真集で脱ぐのとはちがうというかもしれないが、アイドルだって脱いでいる。

 大島が11月に公開される映画『紙の月』で共演する宮沢りえは、かつて全盛期だった1991年に何の前触れもなく、突然ヘアヌード写真集『Santa Fe』を出した。清純派だった17歳の少女のヘアヌード写真集は当然大きな話題となり、150万部を超える売り上げを叩き出し、未だにその記録は破られていない。
また、菅野美穂も20歳の時に『NUDITY』でヌードを披露。どちらも、落ち目になって脱いだわけではない。その後も仕事の幅を広げ、現在まで人気女優としての活躍を続けている。

 こういうことができなくなってしまったのは、時代のせいもある。芸能界が保守的になり、空気を読める優等生的なタレントばかりが重宝され、冒険は許されない。CM契約の縛りなどもどんどん厳しくなっている。その背景には、世間の保守的な風潮もあるだろう。脱ぐこととかエロに対して10年前、20年前よりはるかに風当たりが強くなっている。"処女厨"といわれるファンも増えてきた。彼らは清純派イメージに固執し、少しでもそのイメージを外れると「ビッチ!」「裏切られた!」と叩く。

 実際、大島が脱ぐことに対して、ファンから批判的な意見があった。この中途半端な『脱ぎやがれ!』ですら、表紙の手ぶら写真が公開されただけで、ネット上では「下品」「アイドルの仕事じゃない」「さすがに引くわ」「服着やがれ!」といった声も多くあがっていた。


 でも、だからこそ、大島優子は脱ぐべきだった。そうすれば、芸能界やファン、世間、芸能界の価値観を一気に転倒できた。AKB時代に敵うことのなかった前田敦子を一発大逆転することだってできただろう。ファンや世間の期待を大きく裏切ってこそ、新しい大島優子が再生されたはずだったのだ。AKBを卒業し、女優として新しい一歩を踏み出そうとしていたのだから。

 しかし、もう遅い。もし、今後脱ぐことになっても、「売れなくなって追い込まれたから脱いだ」という印象にしかならないだろうし、中途半端に手ブラや半ケツ姿を披露してしまった彼女にとって、もはやフルヌードもインパクトはないだろう。今後、大島は女優として成功していけるのだろうか。この中途半端さが彼女の女優人生の行く末を暗示しているような気がしてならない。
(島原らん)

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