ノンフィクションの時代は終わったといわれて久しい。たしかに立花隆や沢木耕太郎といったスターがジャンルを引っ張っていた時代は遠く彼方。
ところが、この1~2年、終わったはずのノンフィクションがらみの話題がやけに多くなっている。「ノンフィクション」と銘打たれたベストセラーもいくつか登場した。果たして、ノンフィクションの復活はあるのか。あるいはやっぱり死んでいるのか。年の瀬特別企画として2014年ノンフィクション事件簿をまとめてみた。
第1位 捏造発覚も出版タブーに守られた百田尚樹、終息宣言で逃げ切り?
やはり第1位は百田尚樹センセイの『殉愛』(幻冬舎)騒動、これをおいてないだろう。リテラでも何度も指摘されていることだが、その手法はノンフィクションとしてはありえないものだった。
さくら夫人の結婚歴を書かなかっただけでなく、独身エピソードを捏造し、一方的にたかじんの娘やKマネージャーの誹謗中傷を書き、夫人がたかじんの遺書にあった寄付先に寄付放棄を要求する交渉の場にまで同席......。これではノンフィクションどころか、遺産争いでさくら夫人を有利に導くための謀略本といわれてもしようがない。
ところが、このセンセイにそんな説教は通用しない。逆に週刊誌やネットを「ウソだらけ」と攻撃し、自分たちは被害者を気取る始末だ。
まあ、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)に出演した際、「わたしも、ノンフィクション書くとき、平気でいっぱいウソ入れてます。ほんまにそのまま書いたら、おもろない」とうそぶいたご仁である。きっと「この程度のツクリで何をごちゃごちゃぬかしとるんや」という感覚なのだろう。
だが、問題なのは、その百田センセイを止められない出版社とノンフィクション業界だ。出版社系週刊誌は批判どころか百田の求めに応じて擁護記事を掲載し、大御所ノンフィクション作家たちもなんら百田を諌めることなく沈黙を守っている。
これはようするに、ノンフィクションやジャーナリズムももはや倫理もくそったれもない「売れれば勝ち」な世界になってしまったことを意味している。
実際、百田センセイは「売る」ことに並々ならぬ執着をもっているらしく、新刊が出ると出版社の編集者数人を引き連れ、全国の書店を回ったり、書店に直接電話をすることもあるらしい。
しかし、売ることに熱心な作家は、本が売れない出版社にとってはとても貴重な存在なわけで、おそらくこれから先も出版社は百田に原稿を書かせ、その本を出版し続けるはずだ。しかも、百田センセイはここにきてツイッターで〈考えるところがあって、『殉愛』に関連したことは、このツイートを最後に、当分の間つぶやきません。〉と一方的に『殉愛』騒動終息宣言を発した。ノンフィクションの世界を荒らすだけ荒らしての逃げ切り。厚顔無恥ぶり恐るべし、というしかない。
第2位 差別と盗作事件で隠遁状態の佐野眞一が言い訳本出版も......
その百田センセイに比べると、対照的にあまりにヘタレすぎるのがノンフィクション界の大御所・佐野眞一だ。佐野といえば、「週刊朝日」(朝日新聞出版)に掲載した橋下徹の評伝「ハシシタ 奴の本性」の出自に関する記述が橋下からの抗議を受けて中止になったことに加えて、佐野の過去の作品に多くの盗作疑惑がもちあがった。さらに「週刊ポスト」(小学館)で連載していた「化城の人 池田大作と創価学会の80年」に盗作があるとして、宗教学者・日隈威徳に訴えられたことで、佐野は一時、弱り果て、表舞台から姿を消してしまっていた。
ところが、今年7月、その日隈との裁判で和解が成立。すると、佐野は12月に、一連の騒動を総括する『ノンフィクションは死なない』(イーストプレス)という新書を刊行したのだが、これがまあ、なんとも情けない内容なのだ。
騒動の後、〈精神を平常心に保つのは想像以上に難しかった。橋下市長問題と創価学会問題がいつも心に重くのしかかり、みずからを責め苛む気持ちで精神がヘトヘトになった。(中略)誰からも電話は入らず、たったひとりぼっちで宇宙に投げ出されたように、孤独感は日々募っていった。突然、停年退職になったサラリーマンの気持ちがよくわかった。〉と、人間の心の内奥をさんざん描いてきたノンフィクション作家とは思えないような陳腐な泣き言を口にしたかと思うと、一転して〈私が危惧していた橋下に対するマスコミのタブー意識、支持率を背景にした独裁的手法が見事に露呈した瞬間だった。(略)書き手を問題にせず、メディア企業の弱みにつけ込む。抗議する側、すなわち橋下が親会社を攻めることでメディア媒体と書き手を分断させる手段に思えた〉と橋下批判を展開。
だったら、謝罪や和解なんてしないで徹底的に闘えよ、と思うのだが(実際、橋下の出自については「週刊文春」や「週刊新潮」もすでに報道していた事実であり、盗作とされたものも著作権法違反に当たらない客観的な事実関係の記述がかなりあった)、それができずに後で言い訳をするという中途半端なことになってしまうのが、佐野という作家のヘタレたるゆえんなのだろう。
しかし、こんな人が一時、大御所作家として大きな顔をしていたのだから、ノンフィクション業界というのは相当に甘いところだといわざるをえない。
第3位 都知事を辞任するも「妻の死」を利用した復活した猪瀬直樹
その佐野の盗作問題を誰よりも早く指摘していたのが実は猪瀬直樹だったというのは、一部では知られた話だ。猪瀬は20年近く前、佐野が大宅賞の受賞候補にあがったときも盗作疑惑を出版関係者に吹き込み、阻止に動いたということがあったが、今回もツイッターで、盗作問題に火をつけた。
ところが、佐野を追い落とし、自らは東京五輪誘致を成功させて絶頂だったその猪瀬が5000万円受領問題で、都知事辞任に追い込まれる。佐野と同様、「攻めには強いが守りに弱い」ところを露呈し、その弁明は「カバンコント」のようにほとんどギャグとなってしまう有様だった。
その後は、東京・西麻布の事務所に蟄居し、動向も不明だったが、今年11月になって、これまた佐野と同様、突然反転攻勢に出た。
『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』(マガジンハウス)を突然出版し、テレビや雑誌出演で「復活」を果たした。だが、出版業界では、もともと猪瀬の居丈高な性格に反発する向きも多く、いまだに評判はよろしくない。
「今年初めに、旧知の出版関係者に手紙を書き、営業していたようです。最近もあちこちに電話をかけては、売り込みをしているみたいですね。
肝心の復帰作を読んでみても、疑惑については何も説得力ある説明はなされず、ひたすら亡くなった妻とのセンチメンタルな回想が続くだけだ。この出版不況下に、なんと初版は2万部も刷られたというが、世間のイメージが悪く、売れ行きはあまりよくないという。
11月、東浩紀とのイベントに出演した際には、なかなか明かしてこなかった全共闘議長時代のエピソードも多数披露し、ファンサービスに努めていた猪瀬。作家に戻れる日はくるのだろうか。
第4位 朝日新聞の吉田調書叩きを仕掛けた門田隆将に安倍首相大喜び
今年、ジャーナリズム最大の話題といえば、やはり朝日新聞の誤報。その問題の中で慰安婦と並ぶ福島原発「吉田調書」問題を仕掛けたのは、最近、戦記ものや回顧ものノンフィクションを量産して、売れっ子になっている門田隆将だった。
門田はもともと『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所)で、吉田所長の単独インタビューを行っていた。ところが、朝日が吉田調書を報道すると、これにいち早く反応し、ブログや「週刊ポスト」で「誤報だ」と追及。さまざまなメディアにこの問題を持ち込み、キャンペーンを張った。その結果、朝日追及の機運は慰安婦報道からこの問題に飛び火。朝日は窮地に陥り、全面謝罪に追い込まれることになった。
たしかに、門田の『死の淵を見た男』はかなり多方面にわたって緻密に取材しており、労作といえる。
門田は、『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実』(PHP研究所)の中で「自分のイデオロギーや主張に沿った都合のいい事実だけをピックアップ」「悪質で、無慈悲で、血も涙もない」と書いているが、そもそも門田がかつて次長をつとめていた「週刊新潮」もそれこそ血も涙もない決め打ち記事で悪名をはせていたのではなかったか。
しかも、門田は途中で、原発再稼働と民主党叩きのために吉田調書問題を利用したい官邸や右派メディアと完全に共同歩調をとるようになっていた。門田は再三にわたって「イデオロギーは関係ない」「特定の政治的立場に立っていない」というが、明らかに歴史修正主義の立場に立って、慰安婦問題と吉田調書問題を一緒くたにして朝日バッシングの一翼を担ってきた。たとえば、こんな調子だ。
〈事実と異なる報道によって日本人をおとしめるという点において、先に撤回された慰安婦報道と図式がまったく同じではないか、と思う。〉(産経新聞8月18日)
この間、門田が官邸と直接、連動していたかどうかは不明だが、少なくとも宿敵の朝日追い落としを仕掛けてくれたことに安倍首相は大喜びしているようだ。11月2日、安倍はFacebook上で門田の著書『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』(小学館)に触れて、こう絶賛した。
〈左翼暴力集団が猛威をふるい、平然と人の命を奪った時代、敢然と立ち向かった人たちがいた。その執念の物語でもあります。
ちなみに、この『狼の牙を折れ』は三菱重工爆破事件の犯人逮捕をめぐる警視庁公安部の奮闘を40年後の今頃になって描いた公安PR本。門田はこのまま御用ジャーナリストとしての地歩を固めていくのだろうか。
第5位 創作疑惑をスルーしてノンフィクション界の星になった石井光太
石井光太といえば、東日本大震災を扱った『遺体―震災、津波の果てに―』(新潮社)が10万部を超えるベストセラーとなり、映画化もされたほか、NHKの「NEWS Web」でもレギュラー出演するなど、ノンフィクション界のスター的存在になりつつある。
今年も久々の大作『浮浪児1945‐戦争が生んだ子供たち』(新潮社)を出版し、朝日・読売ほかほぼすべての新聞書評で好意的に評された。大手出版社の編集者は語る。
「これまではイスラム圏の娼婦やインドの物乞いなど、海外ものが多かったが、今回は国内もの。来年の大宅賞を受賞する可能性はあるのではないでしょうか。筆力は十分だし、そろそろ賞をあげていい時期ではないでしょうか」
これまでも石井は大宅賞や講談社ノンフィクション賞に何度もノミネートされてきた。が、毎回問題になるのが、彼の剽窃疑惑である。
講談社が出す雑誌『G2』Vol.11に、第34回講談社ノンフィクション賞の選考会の模様が採録されている。選考委員の野村進は、『遺体』でノミネートされた石井の作品について、作り話ではないかと批判した。
〈彼のテーマと手法は一貫していますね。特に海外ものが作り話めいています。(中略)海外ものなら、どんなに作り話を入れてもバレっこないとでも思っているのかなあ。この手法を認めてしまうと、誰もしんどい海外取材はしなくていいという結論になってしまいますよ。取材困難な箇所は、全部創作で埋めればいいわけだから。(中略)このようなテーマでのノンフィクションの量産は事実上不可能なのに、なぜ次から次へと出せるのか。〉
石井の作品を10冊読んだという野村は、石井に公開対談を申し込んだが、石井は拒否したそうだ。野村はもし会えたら、石井の渡航履歴や語学力、取材内容を聞き取るつもりだったという。
石井の作品がご都合主義だというのは、選考委員の立花隆も同選考会でこう語っている。
〈中身の評価以前に、『遺体』の書き方はいくらなんでもおかしいでしょう。これはノンフィクションではなく、ほとんど小説のように思えます。〉
実際、石井は新潮社から『蛍の森』という小説集を出版するなど、ノンフィクションの世界から遠ざかっているようにも見える。いったい「新星」が批判を乗り越えてどう進んでいくのか、注目である。
ということで、2014年を振り返ると暗い話ばかりの事件簿になってしまった。石井光太を措いて考えれば、二人の大御所が醜態をさらし、二人の"安倍のお気に入り"にかきまわされた1年ということになるだろうか。来年は事件簿ではなく、ぜひベスト5をやりたいものである。
(本間究)