殺人、強盗、放火、強姦......凶悪犯罪は年々減少しているといわれるが、それでも警察庁の犯罪情勢によれば、2013年には1年間で6766件の凶悪犯罪が認知されている。昨年末から今年にかけても、前橋高齢者連続殺傷事件、和歌山男児刺殺事件など、多くの凶悪事件が発生した。
こうした凶悪犯たちが検挙後に行くことになる刑務所のひとつがLBと呼ばれるものだ。LはLongの略で刑期が10年以上を意味し、Bは何度も犯罪を重ねて犯罪傾向が進んでいることを示す。いわば「更生不可能」とも見なされている者たちが収容される。徳島刑務所や岐阜刑務所、熊本刑務所などがこれにあたる。
『凶悪犯罪者こそ更生します』(新潮新書)は、そんなLB刑務所で「篤志面接委員」(民間のボランティアで受刑者の支援をする者)という肩書きで、外部の支援者として受刑者の個人面接をしたり、更生のためのプログラムをつくって授業を行っている岡本茂樹氏による書籍である。著者によれば、タイトルの通り、なんと凶悪犯罪者こそ更生するのだという。犯罪傾向の進んだ者が収容されるLB刑務所でのボランティア活動を通して、そう言い切るのである。ただ、それには条件がある。"反省"の仕方だ。
「受刑者は誰かに自分のことをしっかりと聴いてもらった体験がありません。彼らも自分のことを誰かに話しません。誰にも話さないので、自分のどこに問題があったのか、事件にかかわる自分の内面の問題について掘り下げて考えることはありません。
著者いわく、刑務所では"反省"を求められるが、受刑者はその方法が分からないのだという。言ってみれば刑務所は「反省しろ」とはいうが、迷う受刑者にその方法を教えてはくれず、やみくもに「反省しろ」と促すのである。そのため、次のようなパターンに陥る受刑者は少なくないという。
「反省の仕方が分からない→宗教を学ぶ→否定的感情に蓋をする→いつまでももやもやとした気持ちがなくならない→さらに宗教を学ぶ→ますます自分の本音を抑圧する→出所するときには爆発寸前」
せっかく長い刑期を終えてもこれでは、いわば多額の税金を投じて犯罪者に衣食住を提供しているだけの状態ともいえる。
「こうした現実があるだけに、刑務所側も何もしないわけにはいきません。『受刑者を更生させないといけない』と考えて、『反省させる教育』を行います。しかしLB指標の刑務所には数百人もの受刑者がいて、しかも彼らは全員10年以上もの刑期を抱えています。無期懲役囚も収容されていて、彼らの中には最長で実に50年以上、収容されている者もいます。10年から50年という幅のある刑期の受刑者に対して、矯正教育にかかる刑務官は数人です。人的資源と更生のためのノウハウがないだけに、『反省させる教育』といっても、カタチだけのものになります」
カタチだけのもの、とは「被害者遺族の生の声を録音したテープを聴かせたり被害者遺族の手記を読んで感想を書かせたりすること」だという。
「自分の本当の気持ちを話すことです。そして『本当の気持ち』とは、実は『負の感情』なのです。私は、すべての受刑者は心の奥底に何らかの『負の感情』を秘めていると考えています。この感情が解放されない限り、被害者のことを考えるには至りません」
著者が面接をした、ある50代の受刑者は、犯行のときに使われた出刃包丁のことを訴えてきた。「出刃包丁は向こう(被害者)が用意したんです」「あいつが持ってきたんだ。悪いのは向こうの方だ」と一貫して主張してきた。
「実際のところは分かりません。ウソを本当のことと思い込むなかで、いつのまにか『事実』に変えてしまう受刑者がいるのです。彼の心の中では、『出刃包丁は被害者が用意したもの』との『確信』に代わり、その結果いつまでも被害者を恨み続けるのです」
このようなこだわりが残るなかで、被害者の気持ちに寄り添うことは不可能であろう。
「頑固な人は、他者の意見に耳を傾けようとしません。そして、他者の意見に耳を傾けようとしない人は、他者に頼ったり甘えたりすることもしません。そうなると、社会に復帰しても、人とつながることができません」
これでは社会復帰後、人間関係がうまくいかず仕事も長続きしない。経済的に破綻し、自暴自棄になるのは時間の問題なのだ。
09年に施行された裁判員制度に先立ち、被害者が公判に参加できる「被害者参加制度」が08年から導入された。公判では被害者参加人が証人尋問、被告人質問、そして論告を行えるようになっている。被害者の存在が大きくなった昨今の裁判制度では、自身の内面に踏み込むことなど容易ではないだろう。社会が被害者に寄り添うあまり、加害者である凶悪犯罪者の"本当の"反省が置き去りにされているのである。
(寺西京子)