『デザインの守破離』は、「文字」「レイアウト」「色」という3つのテーマについて、第一線で活躍するデザイナーの仕事を通しながら、ルール・セオリーの実践法、応用法を解き明かしつつ、『守破離』という3つのフェーズで解説、分析した解説書です。

デザイン・レイアウトを学び、その力を高めるためには、ルール・セオリーを身につけ、実践を繰り返すことが重要であることは間違いありません。
しかし、そこから先に、一歩前に行くためにはどう考え、何をすればいいのでしょうか。カイシトモヤさんとともに、自分の殻を破り、自分だけのデザインを見つけ出すヒントを探ります。
※本稿は、小林功二 編著『デザインの守破離 自分だけのデザインでひとつ上へ行く』の一部を再編集したものです。

目次

[Introduction]
デザインの “守破離” ルールとセオリー、その先にあるデザイン

デザイナーなら誰しもが一度は学ぶ、デザインのルールとセオリー。しっかりと身につけ、実践を重ねていくことで、情報はより伝わりやすく、デザインはより魅力的なものに変わります。では、ルールとセオリーを学んだ、その次は? 一体、何をどのように学べばいいのでしょうか。基礎、基本を学んだひとが一歩先へ進むためのヒントを、カイシトモヤさんとともに探ります。(聞き手:小林功二)

【小林】 この本は「デザインのルール・セオリーと呼ばれるものはたくさんあるが、目にするデザイン、賞として評価されているデザインのなかにはそれだけでは説明がつかないものもたくさんある。その差はなんだろうか」というところからスタートしています。 

自分自身、工藤強勝先生の『デザイン解体新書』の編集・聞き書きや、カイシさんにも折に触れて特集等でご協力をいただいたデザイン 誌『+DESIGNING』を通して、デザインのルールやセオリーには触れてきましたが、実際のデザインにはそれだけでは解き明かせない “なにか” がある。その部分を “守破離” という3つのフェーズで追っていくことができないかと考えています。

“守” はルールとセオリーのなかで説明できる、理解できるもの。対して、“破” はそのルールやセオリーでは説明できないものや明確に理論化されていない現場のノウハウのようなもの、“離” はさらに各自のスタイル、独自のアプローチへと進化したものと捉えることができないかと。


そもそも分類が可能なのかも含めて、ルール・セオリーの先にあるデザインの学びかた、身につける方法を探れたらと思っています。 

▶︎ デザインはストレスコントロール
【小林】 まず、疑問としてあるのが、なぜ世の中のデザインがルール・セオリーに則ったものばかりというわけではないのかという点です。

【カイシ】 デザインを “守破離” というフェーズで捉える場合、いろいろな切り口で定義することができそうですね。  たとえば、「デザインとはストレスコントロールである」という前提で考えてみると、街を歩いていると見かける「スマホ・0円」と大きく書かれた看板がわかりやすいかもしれません。

「スマホ・0円」の下には小さい文字で2年縛りとかいろいろな注意書きのテキストがあるんですが、カンパコ(完全箱組み)になっていることが多いんです。

きれいな長方形で組まれているので、文字列なんだけど脳がかたちとして認識してしまって、何が書かれているかを読もうとしない。文字組みのセオリーとしては、「読みやすさ」と「かたちの美しさ」という2つの視点がありますが、カンパコはかたちの美しさに全振りすることで、視覚的なストレスを極端に減らした例と言えます。

【小林】  つくり手としては「スマホ・0円」に注目してもらいたい。だから文字を大きくしたり、装飾を加えたり、強い色を使ったり、ありとあらゆるしかけをする。一方でそれ以外の要素には目を留めるしかけをしないことで、見てほしいものだけに注目させる、ということですね。

【カイシ】 そうです。見せたいものと見せる必要のないもの、要素ごとにストレスのかけかたを変えることで、情報の伝わりかたをコントロールしているわけです。
 広告デザインでパッと見た瞬間の美しさやインパクトのために、文字組みを絵画的に扱うのも同じですね。読ませる文字ではなく、見せる文字として機能させている。

【小林】  読みやすくしすぎるとスルーされてしまう。だからあえて読みやすくしないことで、目に留まらせる。結果、読んでしまうということも起こりそうですね。  文字組みという点で言えば、しっかりと組まれた書籍や本文組みが読みやすいと感じるのは、ストレスがないからとも言えますね。

【カイシ】 読みやすい文字組みにストレスを感じないのは、僕たちがなじんでいるルールやセオリーに則っているからでしょうね。途中でつまずいたり引っかかったりすることなく、スムーズに情報を受け取ることができる。そう考えると、このノーストレスな状態がデザインを学ぶ人が最初に目指すスタンダード、つまり “守” のデザインと言えるのではないでしょうか。

【小林】 言い換えれば、デザインのルール・セオリーとは、ストレスなく情報を伝えられる状態をつくるためのものとも考えられるわけですね。

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」の画像はこちら >>
「0 円スマホ」ポスター模式図。左は完全箱組み(カンパコ)の例▶︎ “守”があるからこそ機能する“破”
【小林】 この定義を広げていくと、“破” や “離” は、見る人にストレスがかかるデザインということになります。
デザイナーはデザインのプロセスのなかでどのようにストレスをコントロールしているのでしょうか。 

【カイシ】 ストレスというとマイナスなイメージに捉えられてしまうかもしれませんが、イライラするという意味ではなく、脳に刺激を与えるようなイメージです。

たとえば、イラストの上にきれいにまっすぐなコピーが入っているよりも、イラストにかぶっていたり曲がっていたりすると、脳にかすかな負荷がかかって、コピーの内容がより印象に残ります。“破” はそんなふうに、セオリーを外した変化球のようなものですよね。

人間の脳は、無意識のうちにすばやくいろいろなことを考え、判断しています。たとえば、セオリー通りに文字を追っていくなかで、途中で急に文字の位置がズレている状況に遭遇すると、「なんだ?」と驚き、「どこだ?」と探し、「なぜだ?」と疑問を残す。そうした情報伝達が、一瞬のうちに言語化されないまま脳内に起きる。そうした作用を意図的に発生させることで、伝えたいことを印象に残るようにするのが “破” のデザインと言えるのではないでしょうか。

【小林】 “守” というセオリーがあるからこそ、そこからズレたときに脳が刺激を受け、印象を強めることができるわけですね。

▶︎ “破”をどのように生み出すか
【小林】 “破” のデザインを生み出すためには “守” という前提が必要。つまり、デザインのルール・セオリーは、一歩先へ進むための前提として身につけておくべきものということもできます。では、“守” からから “破“ を生み出すにはどうすればいいのでしょうか。


【カイシ】 “破” のデザインは、“守” のデザインではできない課題を解決しようとしたときに、生まれてくるものだと思います。たとえば、セオリー通りにデザインしてみたものの、「ちょっと垢抜けないな」「おもしろみがないな」「メッセージが伝わらないな」と感じたとします。そこで、少し基本を崩して、どこかに遊びを入れてみるんです。

ただ、ここで大切なのは、基本である “守” のデザインができていること。歌舞伎役者の第十八代中村勘三郎さんの言葉に「型があるから型破りができる」「型がなければ単なる形なし」という歌舞伎における「型」(代々受け継がれてきた演目の解釈)の大切さを語ったものがありますが、デザインについても同じことがいえます。あくまで “守” があってこその “破”なんです。

ですから、具体的な “破” へのアプローチとしては、まず非常にシンプルなデザインベースをつくるところから始めるといいと思います。たとえば、書体は明朝体とゴシック体の2つのみ、文字のサイズ大中小の3段階、色は黒のみでつくってみるんです。その時点で情報が正確に、齟齬なく伝わるものができていれば、そこから書体や色や文字組みなどを試行錯誤し、さらに足りない部分に遊びを入れていく。いわば、基礎工事とも言える “守”をちゃんとやらないで、最初から “破” ありきで考えると不恰好なものができてしまいます。

【小林】 “破” ありきで考えてしまうというのは、確かに陥りがちな落とし穴かもしれません。気になる表現や試してみたいアイデアがあると、ついその手法を使うことが目的になってしまったり。
デザイン初学者ほど、この “基礎をつくってから遊びを入れる” という手順を大事にしたいですね。

【カイシ】 初学者だけじゃなく、僕はいまでもこのやりかたですよ(笑)。仕事を進める際にも、イメージの共有のために情報の構造、おおよその構成がわかるワイヤーフレームをつくることもあります。

 特にエディトリアルやwebのような構造的に伝えるデザインにおいては、実際のデザインに入る前の段階で、一度、余計な情報、装飾のないフラットな状態をまずつくってみるというプロセスは非常に重要なんです。 

あと、クライアントワークという点では、自分のなかでデザインに “破” の要素を取り入れた意味付けをしておいたほうがいいですね。“守” のデザインで解決できない課題を、“破” でどのように解決したのか。その理由を言語化して伝えられるようにしておくと、クライアントにも安心してもらえると思います。

▶︎ “離”とはどのような状態か
【小林】 いよいよ “離” です。“守” と地続きにある “破” は課題解決の手法として、ある程度学びやすいというか、世の中にある “破” のノウハウを自分なりに取り入れて使うことは可能なのではないかと考えています。いわゆるデザインTips本や、先人の仕事・作品を見ながら、自分のデザインにうまく落とし込むことで、引き出しを増やしていけるでしょう。

 一方、“離” の部分はデザイナーによって千差万別の世界ではないかと思っています。その人の個性、スタイル、強みにも直結していて、真似してみよう、取り入れてみようと思ってもなかなか難しいかもしれません。


【カイシ】 ひとつの例として、問題解決のための試行錯誤のなかで、“破” が生まれるのだとすると、生み出した “破” のしくみというか構造を理解して、今度はその構造そのものに端を発した表現へ移行していったものが “離” のデザインになるのかもしれません。

【小林】 “破” を繰り返すなかで自分のなかで、その手法が持つ本質的な意味を理解し、自分なりの表現へと昇華していくということですね。

【カイシ】 僕の場合は、たとえば画面のなかに白い部分をつくりたいとき、オペークホワイトをしっかり乗せれば白く見えるけれど、予算や納期の問題などで難しいため、“白抜きにすることで、オペークホワイトをのせたように見える” テクニックを使うことがあります。これは “破” のデザインですよね。

こうしたアプローチを繰り返す過程で、“こうすればこう見える” という錯覚も含めた認知科学の部分を掘り下げ、実際に試してみる。すると、自分のなかに新たなデザイン理論のようなものが確立して、応用も効くようになる。“離” のデザインは、“破” の蓄積から生まれた、表現の結晶のようなもの、と言えるかもしれません。

▶︎ “離”が次の“守”を生み出す
【小林】 “守”から始まり “破”を経て “離”に至る……その流れはすごくわかりやすいと思います。“離” を各個人の “破” を拡張したものと捉えると、これをさらに一般化することで、新たなセオリー・ルールになり得る。つまり次の “守” へと変わっていく。

【カイシ】 実際に、過去の “離” が、現在の “守” になっているような例はたくさんあると思います。ひと昔前のグラフィックデザインを見ていると、当時は斬新で先進的だと感じられていたものが、いまでは当たり前の手法になっていることもめずらしくありません。それは、そのデザイナーが何十年も古びない表現を生み出したというだけではなく、後進がフォロワーとしてその表現に追随していった結果、現在のデザインのセオリーになったと言えますよね。

グラフィックデザインの歴史はまだそれほど長いものではありませんが、ファインアートの世界で考えれば、先の時代に生まれた技法や表現が、次の時代に受け継がれてそこからまた新たな技法や表現が生まれていくという循環は常に存在します。

先に歌舞伎の「型」の話をしましたが、芸能だけでなく、芸術もデザインもそうした “守破離” を繰り返しながら、発展してきた。そう考えることができるのではないでしょうか。

【小林】 文字組みひとつとってみても、たしかにそうですね。活版印刷の頃は、活字を並べる以上、ベタ組みが基本で、版面上に自由に文字を置くこと自体、難しい時代でした。

写植の登場でツメ組みがより簡単にできるようになったことで、広告の文字組みは一気に変わりましたよね。ここで、いくつもの “破”のデザイン、“離” のデザインが生まれていたはずです。でも、いまの時代、IllustratorやInDesignを使えば、ツメ組みは簡単にできますし、誌面のどの位置にも、自由なサイズで置くことができる。長体、平体、変形も思いのままです。その頃と同じことをやったとしても、現在の “守”の枠組みから抜け出すことはできないかもしれません。

【カイシ】 デジタルツールの登場、DTPへの移行によってグラフィックデザインの表現は大きく変わりましたよね。版下に写植を貼り、色指定を描き入れていた時代は、実験的な表現にチャレンジするには非常に複雑な処理が必要でした。いまは画面上ですべてを試すことができるんですから。

▶︎ “離”は次世代の表現を生む種
【小林】 話題は少し変わりますが、いま、ネットやSNSでデザインを検索していると、ベーシックなものから奇抜なものまでフラットな状況で出てきます。デザイン事務所や企業に属さず、個人でデザインに取り組むひとにとって、「いいデザインとは何か」が見えにくくなっている。そんなことはないでしょうか。

【カイシ】 それについては以前、SNSで「デザインの評価」について興味深い議論が沸き起こっていました。名のある賞、いわゆるデザインの専門家たちに選ばれるようなデザインは、一般社会で目にされていないものがほとんどだという話題です。

【小林】 たしかに興味深い話題です。実際、僕自身、各デザイン賞がどのような基準で評価しているのか、不思議に思うことはあります。グラフィックデザインの賞だからといって、大ヒットした商品や話題になったデザインに賞が与えられるわけではないですよね。

【カイシ】 かつては社会的認知の高いデザインが評価され、受賞によって仕事が増えるデザイナーも多かったと思います。ただ、いまや認知の手段が雑誌や広告、CMからSNSを中心としたネットに移っていて、仕事の依頼もSNSでの活動がきっかけになることも増えています。デザイン業界と一般社会との間で認知や評価に乖離が起きている側面は否めないと思います。

【小林】 これまでの話の流れでいえば、デザインの専門家が評価するデザインは、“離” のなかでもさらに先鋭的なものという印象があります。

【カイシ】 そうですね。でもそれは道理というか当然の流れだとは思うんです。たとえるなら、学会の論文発表のようなもので、“守” という現在の「常識」から、“離” という新たな発展の可能性を模索することがデザイン団体の役割でもあるからです。ですから、業界内で評価されているデザインについて、社会的なコンセンサスを得ようとするなら、専門家が選んだ “離” のデザインが持つ可能性を、きちんと語っていくということも必要だと感じています。

【小林】 いままさにデザインの世界でスタンダードになっている “守” のデザインも、ひと昔前には誰も違和感を持つような “離” のデザインとして生まれていたものだったかもしれない。  多くのデザイナーが同様のアプローチを試み、多くのひとの目に触れるうちに次第になじみ、“離” は “守” へと変化していった。つまり、いまの時代の “離”は、次の時代の “守” を生む種というわけですね。

【カイシ】 “離” への取り組みは、次の時代のためのデザインの知のアーカイヴなんですよね。デザイン賞で評価されるデザインは特に、その側面が強いと思っています。特にいまはは、あらゆるものの消費サイクルが早く、大量のコンテンツが急スピードで供給されては消費されていきます。

デザインも同様で、ある “破” の表現方法がトレンドになり、“離”のデザインがが生まれたとしても、すぐにその刺激にすぐに慣れて飽きてしまう。循環の速度がはやくなっているんです。こうした風潮の良し悪しは別として、だからこそ、単なる目新しさだけに終わらない、次世代のスタンダードになりうる “離” がもつ意味は重要だと考えています。

【小林】 そう考えると、デザイン賞の受賞作品のなかに、うまく判断ができないもの、言語化できないものがあるのも納得ができます。理論で紐解けるようなデザインだったら、それはすでに一般化しているとも言えてしまう。いままでにないものに挑戦し、その表現、姿勢を評価する……そこに意味があるということですね。

▶︎ 自分の強みをどうつくるか
【小林】 このパートで最後にお聞きしたいのは、こうしたデザインの試行錯誤をするなかで、自分の強みをどう見つけるのか。またはつくっていくのか、ということです。カイシさんの場合、グラフィックデザインについては言うまでもなく、製版・印刷に関する技術と知識はひとつの強みになっていると思います。

これは直接表現とは結びつかないかもしれませんが、プレゼンテーションやコミュニケーション能力の高さも、仕事をするうえでは非常に重要な素養になっているのではないでしょうか。今回の話も、総じてカイシさんの言語化能力の高さに助けられています(笑)。

【カイシ】 僕がもともと言語化するのが好きというのもありますし、逆に言えばできないことだらけなので、できることを強化していったんです。僕はいわゆる美大出ではないので、デッサンができない、造形力がないという弱みがあります。でも、自分にできないことに向き合い、できない部分が得意なほかの人とコラボすることで、思いがけないものをつくりだせたりもする。 

自分のなかでできること/できないことを自覚し、できることを強みに変えていくことが大切だと思います。仕事をしていくうえで、自分に何が必要か、何が求められているのかを把握して、課題を解決する。そういう方法論は、デザイナーに限らずどんな仕事をするうえでも変わりませんから。

【小林】 デザイン表現だけでなく、仕事のスタイルもまた、“守破離” の循環をしながら、総体として進化しているのかもしれませんね。

【カイシ】“守破離” の考えかたを、デザイン表現に限らず、強みを見つけるための、個人の修行のサイクルとして考えてみるのもいいかもしれません。

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
カイシさんの言語化スキルがいかんなく発揮された著書
『すべての仕事はデザインから始まる。』発行:クロスメディア・パブリッシング/インプレス(2023)
『たのしごとデザイン論 完全版』発行:エムディエヌコーポレーション(2021)* * * * * * * * * *

小林 功二 編著『デザインの守破離 自分だけのデザインでひとつ上へ行く』
→ Amazon.co.jpからのご購入はこちら
→ 楽天ブックスからのご購入はこちら

 

[Column]
カイシトモヤさんに聞く、印刷スキルを高めるコツ 紙+インキで失敗しないために“印刷の練習”をしよう

紙、インキ、製版処理等、さまざまなアプローチで色に変化を与えるカイシさん。学ぶ機会の少ない製版・印刷スキルをこれから身につけるにはどうしたらいいのでしょうか。カイシさんに聞きました。

▶︎ 自主制作で “印刷の練習” を
「どの紙にどう印刷したらどういう結果になるのか。その経験を積むには、自主制作をするのが一番いいと思います。  いまのネット印刷は用紙もたくさん選べるので、いろいろな紙で印刷をして、用紙ごとに印刷適性を試してみることです。あとは依頼できるところは限られてしまいますが、僕と同じように校正機を持っている印刷会社さんにお願いをする、UV インキやインクジェット印刷も機会があるならまず試してみる……機会を逃さず、そうした経験を積むことが大事だと思います」  自主制作とはつまり、クライアントは自分自身。自らテーマを決め、デザインし、印刷物として発注することになります。「自腹だとやはり重みが違うんですよね。

失敗も成功も、その経験は自分に返ってきます。仕事では当たり前のことですが、“この紙を使ってみたい”、“このインキを使ってみたい” と思っても、それがクライアントワークなら、印刷にかかるコストは相手のお金なんです。  いま思い返しても胸が痛いんですけど、印刷経験がない時代、“こういう印刷をしてみたい” という自分の欲望に負けた結果、思ったような印刷に仕上がらないことがあったんです。そのとき、被害を受けるのはクライアントなんですよね。それからは、印刷も事前に練習しておくことが大事だと考えるようになりました」

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
「TAIKO&ASSOCIATES “JOURNEY”」TAIKO&ASSOCIATES(2022)
カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
竹尾・新局紙に特色2 色のオフセット印刷。和紙のような質感を持つ新局紙は、ベタ(100%)で印刷した際にほどよいムラが出る。製版時に線数30 ~40 線程度にまで落とすことで、アミ部分が粗いドットとして表現されている
カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
 ▶︎ 本番で失敗しないために
「プロ野球にたとえると、練習せずに“公式戦で経験積めばいい“なんて誰も言いませんよね。デザイナーに置き換えると、試し たこともない印刷をクライアントワークの本番でやるのは、“公式戦で練習しよう”って言っているようなものなんです。  製版も印刷もそうそう練習できるものではありませんが、自主制作を通して、練習をしておくことは、デザイナーとしてすごく重要だと思います」

▶︎ 印刷会社はものづくりの仲間
印刷会社と印刷物をつくりあげるなかで、カイシさんが大事にしていることがもうひとつあります。  「印刷会社に敬意を持つことです。自分たちの設計したものを、かたちにしてくれるのは印刷会社の方たちです。まず、その方々に敬意を持たないといけない。クライアントの声を聞いてコミュニケーションとして反映させるように、印刷会社に対しても丁寧にディレクションをすることが大切です。印刷会社は一緒にものづくりをする仲間ですから。  入稿するときも“これでデザイナーの仕事は終わり” と考えるのではなく、“バトンを渡した” と捉えることができれば、バトンを受け取る側が不満を感じないようにデータのつくりかた、受け渡しかたも変わってくる。そう思っています」

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
カイシさんがポスター印刷の際によく依頼するのが、いまでは数が少なくなったオフセット印刷の平台校正機を持つ日研美術株式会社(東京・江戸川橋)。校正専業の印刷会社だけに、特色を使った少部数印刷にも対応しやすいが、同時に相応の製版・データ制作スキルも求められる

  おしえてカイシ先生!
デザイン賞の受賞作を見ているとアートのような作品も見かけます。
アートとデザインの違いはどこにあるのでしょう?

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
デザイン賞は新しい表現を開拓する、いわば基礎研究。
その積み重ねが、次世代のあたらしい表現へとつながっていく。

デザイン賞の年鑑には街中で見慣れないような、奇抜で情報が伝わりにくいものを見かけることがあります。こういった一見難解な作品がなぜ評価を受けているのか、不思議に思う人もいるはずです。

賞で強く評価される基準に「新しいかどうか(新規性)」が挙げられます。デザインの活動も科学分野のように、基礎研究と応用研究に分けられます。基礎研究は新しく理論を探求していくこと、応用研究は基礎研究で得られた知見を、社会に活用していくことを指します。

グラフィックデザインでは新しい表現を開拓していくことが、基礎研究の大きな題目となっています。基礎研究で開拓された表現様式(賞で見かけた表現)は、時間を置いていずれわかりやすく翻訳され、応用研究=実用的な広告・パッケージなどに反映されていきます。そのうちいくつかは“ 街でよく見るトレンド表現” に変わるかもしれません。

絵画はもともと宗教の道具として発達し、富裕層の肖像画など実用を経て、純粋に表現の開拓を目指すファインアートへ発展していきました。写真も記録が主目的でしたが、いまは芸術表現としても成熟しています。プロダクトデザインの名作椅子は美術館の収蔵作品になり、グラフィックデザインも著名なポスターが美術品としてコレクションされるようになりました。

デザインもアートもその成果物ではなく、私たちの受け止めかた、またそれを受容する社会のありかたによって、解釈される姿が大きく変わっていきます。

アートやデザインがどのように社会で機能するのか、どのような体験を人々にもたらすのか。それぞれの役割をていねいに考えていけば、そこに大きな定義の差を求めなくてもよいのではと考えています。

小林 功二 編著『デザインの守破離 自分だけのデザインでひとつ上へ行く』
→ Amazon.co.jpからのご購入はこちら
→ 楽天ブックスからのご購入はこちら

 

[守破離+α]特殊加工の実験印刷
カイシトモヤさんに聞くオリジナルポスター制作の裏話

ここまでデザインの「守破離」のルールやセオリーを紹介してきましたが、ここからは実践編です。「守破離」をモチーフに、特殊なシルバーやゴールドインキを掛け合わせたり、特別な構図を組み込んだり、カイシさんがB1サイズの2種類の特大ポスターを自主制作しました。そこで「守破離」オリジナルポスターを制作するに至った経緯やデザインの意図・狙いについて話を伺いました。(聞き手:編集部) 

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
design-A
カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
design-BQ. まず、この「守破離」のポスターを制作したきっかけを教えてください
A.もともと何かのインスピレーションやきっかけがあれば、習作を作りたい欲求やその習慣があります。あとは普段の仕事ではたくさんの与件(条件)の中で仕事をするので、ときおりそのリミッターを外したくなるのも理由の1つです。今回、自分のデザインの方法論を著者の小林さんに言語的に引き出していただいたので、再び回帰的に表現として落とし込みたかったのです。

そして、なぜポスターをよく作るのかというと、自分にとってデザインの憧れの故郷は2つあって1つは音楽(CDジャケット)のデザイン、もう1つがポスターなのだと思います。前者は信藤三雄さん、後者は福田繁雄さんや亀倉雄策さんが自分にとって「デザインのめざめ」となっていて、僕に限らず多くの人が影響を受けている、みなさんデザイン史に殿堂入りしているクリエイターです。

Q. このポスターのコンセプトを教えてもらえますでしょうか
A. 拙著「たのしごとデザイン論 完全版」(エムディエヌコーポレーション)などで、グラフィックデザインは要素の関係性を定義する仕事だと伝えてきました。とりわけレイアウトはデザインという行為が象徴的に反映された仕事だと思います。決められた版面に「写真」「造形」「文字」「色」など、さまざまな要素を配置して関係性をつくりあげていくこと。今回はシンプルな文字や造形、写真などを組み合わせて、自分のデザインでどうしても滲み出てしまう「好き」の要素を追いかけてみようと思いました。これは自分を知るための習作とも言えますね。

Q. 実物のポスターでは、特殊なシルバーやゴールドを掛け合わせるなど、各所に趣向を凝らしていますが、その中でもこだわりのポイントを教えてください
A. まず「しゅ・は・り」という3要素の文字を主体に構成を考えました(図1)。画面の中に三角形を作る方法は「三角構図」と呼ばれ、絵画や写真でも広く応用されている基本の型です。「しゅ」「は」「り」それぞれの要素でも個性的なまとまりをつくりつつ、それらが画面の中で三角形の関係性をつくっていく。このまとまりのことを「ゲシュタルト(形態質)」と呼んだりします。

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
図1「しゅ」「は」「り」という文字を1つの固まり(要素)と捉えて構成(design-A)グラフィックデザインは平面の表現ですが、人の目の錯覚を利用して前後関係をつくることができます(図2)。複雑に入り組んだ線を脳内で簡潔に整理した結果、前後関係をつくることでシンプルな線の集まりとしてとらえるのです。これを「プレグナンツの法則」といいます。大きな面と小さな面(=細い線)の関係では協力な前後関係が生まれます(図3)。当たり前だろうと思われるかもしれませんが、これが錯覚であることにも気づかないレベルで、都合よくものを見るのが人の視覚の面白いところです。

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
図2 平面上に前後関係を定義して見てしまう(design-A)
カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
図3 不安定な形は上の層に見られやすい(design-B)写真では少し面白い試みをしています。印刷するときに「線数」という版の解像度を指定することができるのですが、牛の写真ではゴールドを47線、ブラックを175線と極端に異なる線数で指定しています(図4)。逆に木の写真ではシルバーを175線、ブラックを47線にしています。ダブルトーンと呼ばれる2版を使った写真表現でふつうは各色の線数を変えることはないのですが、実験として面白い効果が生まれています(図5)。

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
図4 牛の写真の線数(design-A)
カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
図5 木の写真の線数(design- B)ポスターはマクロでダイナミックな構図をつくるのも楽しいですが、ミクロに視点を変えることができるのも魅力です。亀倉雄策がデザインした1964年のオリンピックエンブレムは赤い大円の下に5輪マークが配置されていますが、これは大円の直径のおよそ100分の1、ギリギリまで近接した構成になっています。この近接による緊張感の演出は、昔も今も変わらず印刷物のビジュアルにおける大きな武器だと感じています。このポスターでの円と「り」の近接もそんな緊張感を意識しています(図6)。

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
図6 「り」と円の接写(design-B)最後におまけですが、MdNロゴの配置について。なんとなく企業ロゴは4隅のどこかに置くものという先入観がありませんでしょうか。企業ロゴの配置をうまく使うと画面を効果的に見せることができます。今回はMdNロゴにもポスターの大切な構成要因として一役担ってもらいました。

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
ロゴの位置に注目。左側の中央上付近に設定(design-A)
カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
通常の4隅とは別の位置に配置(design-B)Q. このポスターを制作していて、悩んだところや迷った部分がありましたら教えてください
A. 余白が多くシンプルなデザインなので、「これで良い」と自分の目を信じることが難しかったです。あれこれやりすぎず手を止める勇気が必要だと思いました。

Q. 製版の仕組みがどうなっているか、このポスターの分版データを教えてもらえますでしょうか
A. 写真以外は基本的にベタ(インク100%)で印刷していて、3色が互いに重ならないように(ノックアウト)しています。写真だけ少し変わった分版をしていて、ゴールド版とシルバー版をネガポジ反転させて重ねています。それが違和感や幻想的な雰囲気を生まれています。

Q. 今回のポスター制作で、失敗から得た学びや新たな発見を教えてもらえますか
A. ゴールド、シルバー、ブラックと自分の中で安定して使える色を選択したのですが、色的な新しさの探索ができませんでした。もっと意外性のある色を組み合わせてもよかったかもしれません。

かなりいつも勉強になるのは、用紙とインクとの関係性です。最終的には印刷物として仕上げるのがグラフィックデザイナーの仕事なので、画面表示ではわからないことも多いので、これも知見としての学びがありました。

Q. デザイナーを目指す、もしくは続けていく上で「これはやっておいた方がいい」「経験しておいた方がいい」ということはなんでしょうか
A. とくにこれからは専門以外の経験値が大切だと思います。デザイナーだとデザインを軸足にして、他の興味や学びをどこに置いておくか。それらの掛け算によって自分のレアリティや個性を確保することが大切です。特にデザインはいろんな世界を横断して、関係性を紡いでいくことが大切だと考えています。

▶︎ 最後に、これからデザイナーを目指す人や若手のデザイナーに対して、何かアドバイスをお願いします

「好きだけじゃやっていけない」という人には「好きじゃないとやってられない」と返してあげましょう。「つくることが好き」が一生、あなたの駆動力になりますから。

小林 功二 編著『デザインの守破離 自分だけのデザインでひとつ上へ行く』
→ Amazon.co.jpからのご購入はこちら
→ 楽天ブックスからのご購入はこちら

* * * * * * * * * *

デザインの守破離 自分だけのデザインでひとつ上へ行く
 小林 功二 編著

カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」


●著者について小林 功二 編著編集者/合同会社ランプライターズレーベル共同代表。2000年からワークスコーポレーション発行のDTP専門誌『DTPWORLD』編集に関わり、同誌編集長を務めたほか、工藤強勝『デザイン解体新書』の編集・聞き書きを担当。2006年、毎日コミュニケーションズ(マイナビ出版)発行のデザイン・DTP専門誌『+DESIGNING』に創刊より参加し、現在も企画、編集、執筆を担当する。共著本にグラフィック社発行『書体のよこがお』がある。2014年、合同会社ランプライターズレーベルを設立。雑誌、書籍、写真集、カタログ、パンフレット等エディトリアル全般の企画・編集・制作および企業のプロモーションツールの企画・制作、プランニングを行う。
カイシトモヤさんに聞く、デザインと色の「守破離」
編集部おすすめ