来日したアドビのPriscilla Knoble(左)さんと、Nat McCully(右)さん今や印刷・出版業界に、無くてはならないアプリケーションとなったInDesign。この日本語組版専用のエンジンを持つInDesignの開発には、大きなハードルがあったそうだ。
どのような経緯でInDesignの開発が始まり、どのようなハードルを乗り越えてきたのか。今回、2026年1月31日(土)に開催された『InDesign 25周年記念オンラインイベント』に合わせて来日したアドビのPriscilla Knoble(プリシラ・ノーブル)さんと、Nat McCully(ナット・マッカリー)さんにインタビューできたので、その内容をレポートしたい。

目次

PageMakerからInDesignへ ~コードネームはK2、日本語版はHOTAKA~

── 当時、アドビにはPageMakerという製品がある中、新しくInDesign(英語版)を開発したのはなぜでしょうか?

Priscilla Knoble(以下 プリシラ):私は、1997年1月6日にアドビに入りましたが、当初はPageMaker 6.5のCJK(Chinese・Japanese・Korean)のQA(Quality Assurance:品質保証)職として仕事をスタートしました。当時、QuarkXPressという製品がありましたが、「今のPageMakerではQuarkXPressに勝つことはできない」と判断し、新しくInDesignの開発がスタートしました。これにより、PageMakerのチームのメンバーも、ほとんどがInDesignチームに移りました。それが、1997年の夏~秋ごろだったかと思います。

Nat McCully(以下 ナット):技術の面では、PageMakerの拡張性があまり良くなかったことも要因の1つです。InDesignのUIと中身のロジックは、すべてプラグインになっているため、柔軟性があり、他のビジネスにも移行できるようなコードベースになっているため、QuarkXPressとも競争できると判断しました。InDesignは、5年かけて作ったコードベースなんです。私がアドビに入ったのは1998年12月ですが、すでにInDesign 1.0のベータになる頃でした(当時はK2というコードネームで呼ばれていました)。

── InDesign英語版の開発時のコードネームはK2、日本語版はHOTAKAですが、この名前の由来は何でしょうか?

ナット:開発チームは無謀とも思える挑戦を象徴して、簡単には昇れない山である「K2」というネーミングにしました。日本語版に関しては、FUJIという名前も候補にあがりましたが、私たちが「富士じゃないよね」と反対して「HOTAKA」に決まりました。

日本語版に情熱を掛けたメンバーたち

── K2の開発がスタートした時に、すでに日本語版の開発も決まっていたのでしょうか?

プリシラ:最初から決まっていたわけではないです。当時、マネージャーから「InDesignの日本語機能に関するリクワイアメント(要件・必須条件)を書いて欲しい」と言われたんですが、「PageMakerと同じようなものを作ると、日本語市場ではうまくいかない」と伝えました。
そして、「日本語版が売れるためには、どうすれば良いか」を、幼なじみでもあるLynn Shade(1997年夏にアドビに入社)と一緒に訴えたんですが、当初はなかなか理解してもらえませんでした。

そこで、ブルース・チゼン(後のアドビ CEO)に直接、4ページぐらいのe-mailを送りました。「今のままでは日本では売れる製品にはならないので、こういった製品にしないといけない」というような資料も付けて送りました。私たちの熱意が通じたのか、ブルースから「日本語用に別のチームを作ってもよい」と許可と予算をもらうことができました。これにより、ラテンべースの英語版と日本語版の2つのチームが動き始めました。

日本の出版・デザイン業界を支えることになったInDesignの誕生秘話 〜開発舞台裏の物語り〜
とは言え、エンジニアに「こういう風にして欲しい」と伝えても、「これはできない。これはやりたくない。」など、当初は思うように進まず、なかなか大変でした。そこで、Lynnさんが大学の同級生でもあるナット(元Claris Worksのエンジニアで、当時はAppleに在籍)に声を掛け、ナットが1998年12月にアドビの日本語版のチームに入ることになりました。

ナット:日本語版のチームは、最初は私と2-3人だけでしたが、最終的には15人ぐらいになりました。 もちろん、アドビジャパンにもエンジニアが5-6人いました。

プリシラ:ナットたちが取り組んでくれたおかげで、かなり早いスピードでベータ版を出すことができました。

── Lynnさんから電話をもらった時、Natさんは日本語組版エンジンの仕事がしたくて、すぐにアドビに行こうと考えたのですか?

ナット:Lynnさんからは、2回電話をもらいました。
1回目の電話では「実現させたいことをエンジニアに理解してもらうには、どうすればいいのか?」と聞かれたので、いろいろとアドバイスをしました。2回目の電話は「社長がちゃんとしたチームを作ろうとしている。良いものが作れそうなので、ナットも来て欲しい」と誘われました。いろいろと悩みましたが、ちゃんとした日本語版の製品が作りたかったので、ここで決断しない後悔すると考え、(当時の開発拠点である)シアトルに行くことにしました。

── Priscillaさんは、幼少期を日本で過ごしたとお聞きしていますが、日本での経験がInDesign日本語版を作る原動力になったのでしょうか?

プリシラ:私もLynnさんも日本育ちですが、やはりその経験から日本語版のよい製品を作りたいという思いが強かったと思います。日本にきて、いろいろと調査しましたが「PageMakerも良くない。QuarkXpressもあまり良くない」。専用システムを使っている方が多かったんです。このままだと本当に良いものを作らないと「専用システムから移行しないんじゃないか」と思い、「一番良いものを作ろう」との思いを強くしました。

出版・デザイン業界を支えることになった日本語版開発秘話

── 実際に開発するにあたって、どのような苦労があったのか教えてください。

ナット:まず最初に苦労したのは仮想ボディです。これまでは、ベースラインを基準とした組版がなされていたため、フォント内に仮想ボディという概念がない。日本語組版では、仮想ボディという考え方が重要なので、InDesignには仮想ボディを基準とした組版ができるよう試行錯誤しました。
あと、ルビ機能を付けるのが大変でした。「当時、ルビ機能はムリ」と言われていたんですが、私が仮想ボディの改善をし、平松さんというエンジニアの発想によりルビ機能を付けることができました。これにより、InDesignの開発も加速していきました。

プリシラ:その後、HOTAKAを出荷した時に、アドビの株価は大きく上がりました。その日、一番頑固だったエンジニアが私のところに来て、「ごめんね。ぜんぜん信じなくって。おめでとう!」と言ってくれました。

── 私はInDesign 1.0Jの時から使っていましたが、当初は動作が重いと言われてまだあまり使われませんでした。しかし、2.0Jになって動作がかなり改善されました。この辺りのお話をお聞かせください。

プリシラ:動作に関してはアメリカでも同じでした。1999年8月末に1.0英語版を出したんですが、パフォーマンスをはじめ、まだまだ問題がありました。
日本語版は、同じソースコードを使ってブランチしたので、同様の問題がありました。

ナット:その当時は、皆、夜に家に帰れなかったですね。当時開発していた2.0日本語版のコードベースも書き直しました。2.0のコードベースは、1.0日本語版の上に新しいパフォーマンスの改善を追加して世界中のコードベースを作りました。ですから、1.0英語版と1.5英語版は、1.0日本語版と異なるコードベースになっています。新しいコードベースは日本語をベースとして、新しい組版エンジンに書き換えたので、ルビや縦組みの機能も書き直さなくてはならなくなりました。

プリシラ:でも、それによって2.0日本語版のパフォーマンスはかなり改善しました。

── 日本語版と英語版のテキストエンジンは、それぞれお互いに影響を与えるのでしょうか?

ナット:基本的なデザインは一緒です。文字コードやフォントデータ等、受け取る入口は1つです。ただ、それぞれの組版ロジックは別モジュールです。UI上、別のエンジンとなっていますが、ほとんどが一緒です。できないのが、欧文組版と日本語組版のそれぞれのロジックをシェアしていない点です。
例えば、文字組みアキ量設定を使って文字を追い込んだり、追い出したりという処理です。これらは英語版のエンジンには入れずに最適化しています。英語は英語、日本語は日本語といった考え方で作っています。

日本の出版・デザイン業界を支えることになったInDesignの誕生秘話 〜開発舞台裏の物語り〜
── InDesign日本語番を開発する際のモデルとなったものがあれば教えてください。

プリシラ:Lynnさんがいろいろなデザイン事務所や印刷会社等にリサーチしてUIを作りました。ベースは専用システムの考え方で、どのようなことをやりたいのかで(例えば、写植をデジタルで再現するにはどうすればいいか)、機能として取り入れていきました。

ナット:やはり、日本で生まれた技術を研究し、ニーズを聞き取りしました。例えば、専用機のグリッドシステムがあったとして、ただ真似るだけではなく、何のためにある機能なのかを理解したうえで開発していきました。

面白かったのは、まだ文字が入る前の段階で、文字が入りそうなところを箱として定義するための機能です。いわゆる先割りのレイアウトを作る作業ですが、これは日本にしかないものだと思いました。で、この考え方を取り入れるにはPageMakerからどこをどう変えればよいのかを考え、InDesignに取り入れました。

また、デザイナーのための機能はわりと最初から取り入れていたんですが、オペレーター向けの機能が足りないなと感じていたので、2.0日本語版にはオペレーター向けの機能をいくつか追加しました。


プリシラ:私たちはいつもユーザーさんのところに訪問し、どうやって仕事をするのか、ワークフローはどうなっているかをお聞きし、できるだけInDesignに取り入れるようにしました。やはり、ユーザー訪問が開発のための一番のポイントになりました。

これから取り組んでいきたい仕事と思い出話

── 最近、ナットさんはIllustrator日本語版のテキストエンジの修正もされましたよね。今後、どのような仕事をしていきたいのか教えてください。

ナット:一番レベルの高い組版を実現するのがInDesignだと思っています。それは非常に良かったのですが、ただ(プロではない)一般の人にはちょっと難しい。また、ぼくがやりたい多言語の文字組版は、まだフォントレベルではサポートしていません。今はまだ欧米組版の技術をむりやり使っているという感じなんです。さらに、昔の活版印刷や写植の頃の技術を研究してInDesignのグリッドを作ったんですが、最近の若いデザイナーはだんだん使わなくなってきている。Webの仕事だけをしている方にも文字組みを理解していない人が増えている。

さらに、今は生成AIが文字組みをしてくれる時代になってきました。便利な面もありますが、文字組みが平均化してしまう。そうすると、その平均値はだんだんと下がっていってしまうのです。そんな中、アドビの立場としては「どういう機能が必要なのか?」「どうユーザーを支援すればよいのか?」を考えています。

全部、欧米仕様になっても良くない。そこで、多言語の文字組みをサポートするために、生成AIを使って異なる言語をうまくハーモニーさせることを考えています。誰でもキレイな文字組みができるようにしたいと思ってはいますが、なかなか難しいので新しい機能が必要だと考えています。

日本の出版・デザイン業界を支えることになったInDesignの誕生秘話 〜開発舞台裏の物語り〜
── The InDesign Conferenceを開催し、MdNの創業者である猪俣さんも亡くなられました。猪俣さんとの思い出話があればお願いします。

プリシラ:1.0日本語版のマニュアルはMdNさんにお願いしました。これまでは、USのサードパーティが作ったものをローカリゼーションするだけでしたが、日本語版には日本だけの機能も入れていたため、「やはり日本で作っていただいた方が良いだろう」ということで、猪俣さんに作っていただきました。当時、日本のマニュアルのコンテストのようなもので、InDesignのマニュアルが一番の賞を取ったことを覚えています。それも良い思い出です。

生成AI時代のInDesignはどうなる?

── これからのInDesignの未来について、言える範囲で教えてください。

プリシラ:私はアドビに入って29年になります。今は、私もナットもInDesignの直接のチームではなく、開発もインドでやっています。でも、インターナショナルのストラテジーとプロダクトマネージャーをしていますので、私のチームは日本と他の国の市場で何ができるかを常に模索しています。Illustratorであれば去年・今年と、いろいろなFIXをしました。また、Document CloudのAcrobatでは、日本語の担当と一緒にいろいろなことをやってきました。InDesignも、ユーザーからは「もっと簡単にして欲しい」という要望をいただいており、InDesignの下に簡単なUIでできるだけ美しい文字組みができるようなものもやっていきたいと思っています。

ナット:文字組みというのは「これが正解、これは不正解」といったものではなくて、人により、場合により、違うと思っています。今、世界中あるテキストエンジンのほとんどは、その辺りを分かっていないものも多い。これからのInDesignには、生成AIの時代になったとしても、昔の技術や美意識を保っていくためには特徴が必要だと思います。世の中には良いデザインがたくさんあります。ただ、だんだんとWebの世界が広がることで、よくないデザイン(組版)もたくさん出てきてしまいます。ですから、InDesignはオペレーターチックな変なUIではなく、すぐにやりたいことができるような機能をどう作っていくかを常に考えています。

日本の出版・デザイン業界を支えることになったInDesignの誕生秘話 〜開発舞台裏の物語り〜
── シンプルなUIで、文字組みも美しくできる未来を目指しているということでしょうか?

ナット:今、AIにやらせたいことは文章で指示できます。例えば「賑やかで、自然を思いおこすような文字組みで、エレガントなフォントを使った温泉の広告を作って」と命令すれば、それに合う文字組みの設定が作成されると理想的だと思います。

プリシラ:今は欧米向けのものを考えています。他の言語に関してはまだ考えていないので、これから考えていきたいと思っています。

── 将来的には、AIに指示することで自分が望むような未来が来るということでしょうか?

プリシラ:望まなくても、そういう時代が来てしまうと思うんですよね。本当は、InDesignのように自分が思うように組版をコントロールできるといいんですが...。今は欧文についてだけ考えていますが、将来は「どうすれば、ちゃんとしたAIを使って日本や他の言語に向けた組版の設定ができるか」を考えていきます。

ナット:いくら良いモデルがあっても、どうしても平均化してしまいます。個人的には、平均化された文字組みは見たくありません。先人たちが残してきた美しい組版のルールを忘れないようにしていかないといけないと思います。

── 最後に、25年の開発の中で一番の思い出やInDesignのお気に入りの機能を教えてください。

ナット:各フォントは仮想ボディのデータを持っていないため、まず仮想ボディを計算し、仮想ボディの中央に仮想ベースラインを作ることで、うまく文字を配置していくための仕組みを作ったことです。次は縦組みです。縦組みを再現するにはいろいろな問題があり、文字の回転だったり、縦中横だったり。この苦労は自分にとって勉強になりました。3番目は、先ほどもいいましたが、ムリだと言われていたルビ機能を実装できたことです。

プリシラ:今までこのような製品は、アドビの中でもInDesignだけです。自分で作りたいものを作れた。上司も日本の市場のことをよく分からない状態で、多くの日本の業界の方の助けを借りてここまでこられたことに感謝しています。そして、InDesignを開発していた最初の3-4年が、今までの中で一番楽しかったですね。
 

日本の出版・デザイン業界を支えることになったInDesignの誕生秘話 〜開発舞台裏の物語り〜
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