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筆者が銀行で営業担当をしていた頃の話だ。あるとき、無記名定期預金の満期があった。
満期の時には預金者は定期預金証書と届け出印鑑のみを持って銀行の窓口を訪れる。銀行にとっては預金者の素性がわからないだけに満期以降、その定期預金が再契約となるのか、現金出金となり、銀行から資金が流出するのか、事前に全く予測がつかない。やっかいである。
それでも、そういう商品(預金科目)が存在したと言うことは過去に於いてはそういう顧客(預金者)のニーズが存在したのだろう。
その時は満期を迎える無記名預金の金額は大きかったと記憶する。
当時の上司は営業担当課の中で嫌われ者で、筆者も決してこの上司の為に一所懸命働こうとは思わなかった。部下の手柄は自分の手柄。部下のミスは部下の責任という男だったからだ。
その上司は営業担当課の支店代理だった。早速、彼は予防線を張った。
「例の『無記名定期預金』が解約出金になったら、君のカウントで処理してくれ。」
これは解約されて銀行外に資金が流出したら、その分のマイナスは筆者の成績不振としてかぶれと言っているのだ。
「担当者でもないのに出金されたら、なぜ私が責任を取らなければならないのですか?」
と、筆者が尋ねると支店長代理はこう言った。
「こういう時は誰かが責任を取らないといけない。慣例だ。前回は私がマイナスをかぶっているし、その前は君の先輩にお願いした。悪いが引き受けてくれ。」
呆れた筆者は交換条件を出した。
「分かりました。もし、無記名定期預金が流出したらマイナスをかぶりましょう。そのかわりもし、お客様が継続したらその金額はプラス点としてもらいますからね。」
はなから、出金と思い込んでいる卑怯な支店長代理は鼻で笑ってOKした。
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さて、筆者には勝算があった。届け出印鑑の陰影に見覚えがあったのだ。それはその支店の大口預金先序列第1位の資産家の老人の印鑑だった。普通の預金印の三倍くらいの大きさでしかも資産家の名字がしっかり彫り込まれている。
翌日から資産家の邸に日参した。資産家の老人は3日目に継続を了解してくれた。満期日には100万円上乗せして継続してくれた。後日、資産家は支店長代理と同じ質問を筆者にした。
「名前も住所も分からないのによく預金者が誰か分かったものだな。」
筆者は答えた。
「お客様(資産家の老人のこと)からお預かりしている定期預金の金額も件数も当店でナンバーワンです。しかも、ご利用印鑑もすべて同じです。うちの支店の行員であなたの印鑑を知らないものがいたらよっぽどのうっかり者です。」
筆者はお世辞を言ったわけではない。ちょっと注意すれば分かることを見落とし、部下に責任を押し付けようとした上司を皮肉っただけである。
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