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日本経済新聞6月28日夕刊が「車いす客、階段はって搭乗 バニラ・エアが謝罪 」と、見出しを取って次のようなニュースを報じている。
「鹿児島県奄美大島の奄美空港で5日、格安航空会社(LCC)のバニラ・エアを利用した車いすの障害者の男性が階段式タラップを1段ずつ、腕を使ってはって上っていたことが、28日分かった。
「設備を揃えろ」ということに、議論を持って行くことは出来る。しかし、筆者はそれよりも過度のコンプライアンスのことを思う。言うまでもなく、コンプライアンスとは企業の「法令遵守」のことだ。いま、このコンプライアンスなる言葉は一種の流行である。
メディア企業に限らず製造物責任が問われるメーカーなどもこのコンプライアンス遵守を口を酸っぱくして中間管理職が、下の者に言い渡す。「これさえ守っていれば、私は責任ないものね」という、責任のがれが透けて見える。
【参考】<テレビ業界の不思議なコンプライアンス>看護婦とスチュワーデスはダメで「女性キャスター」ならOK?(http://mediagong.jp/?p=11834)
バニラ・エアの対応も、コンプライアンスをバカのひとつ覚えのように遵守したことに発すると思う。臨機応変にすることが出来ない。ちょっと頭を使えば、なんの問題もないことだ。
かつての国鉄で1970年代に繰り返し行なわれた「遵法闘争」(争議権が認められていない公務員などの労働組合で合法的にストライキと同様の効果をねらう闘争戦術)というのがあった。なぜ法を守っていてストライキと同じ効果を生んだのか。法律を厳密に守ると正常な業務が不可能荷なり、能率の低下を招くからである。法律を過剰に守る戦法である。
* 定時退社などの合法的な仕事怠慢戦術
* 安全運転の名のもとに超低速運転を実施
* 乗客の安全の名目で、ラッシュ時の詰め込みを無くす
* 駆け込み乗車がいたらいちいち扉を開いて待つ
鉄道営業法では、乗客は座席に座って乗車する旨や、定員以上の乗客を乗せて列車を走らせてはならない旨が定められているのである。
これとコンプライアンスは同じである。コンプライスを唱えれば自分の責任は免れる。
しかし、こういう考え方は、人間のを矮小化していくもものだ。コンプライアンスが人間の考える力を阻害している。