吉川圭三[ドワンゴ 会長室・エグゼクティブ・プロデューサー]
* * *
かつてスタジオジブリの宮崎駿はこう語ったと言われる。
「ウォルト・ディズニーの最高傑作はディズニーランドである」
宮崎駿がディズニーのアニメーションを研究し尽くしていたのは想像に難くないが、筆者はアニメの専門家ではないので、宮崎アニメにディズニーアニメがどういう影響を与えていたのかは、分析できない。
むしろ、筆者としては、宮崎さんのことだからはウォルト・ディズニーが第二次大戦中に反ナチスや反日の戦意高揚映画を作っていたことに嫌悪感を抱いているかも?と推論している。
それは、ディズニー社とは強調してはいるが「アニメーターとしてのウォルト・ディズニー」に疑問符を持つ宮崎さんの諧謔を込めた一言だったのかも知れない。
だとしても、宮崎駿の言うとおり遊園地「ディズニーランド」はよくできている。筆者はかつてジブリの鈴木敏夫さんと「ディズニーランド」について話をしていたをしていたとき、ウォルト・ディズニーの発想の何が飛びぬけているのかの議論になった。そのとき鈴木さんがこう言った様な記憶がある。
「おそらく視覚・聴覚・触覚、そして3D的効果、360度がディズニーの世界になっているからですかね~。」
確かにディズニーランドは一つの世界を作り上げてしまった。頭をいくら回してみてもディズニーの世界だ。劇場映画はほとんど二次元だがディズニーはどこをどう見回しても脳の中がディズニーになる世界を作り出してしまった。
その世界を崩さないために完璧な掃除員や物資を運ぶための地下道まで作ってしまった。植物は完璧に手入れされ、まるで巨大飛行機を操作するためのアメリカ的な完璧なアニュアルも作られた。
「ディズニーランドを作ろう」と言う発想も神がかりだが「完璧なディズニーランドを作り・運用する」のも難しい。アメリカ人はこういうシステマティックな創造物を作るのが大得意である。
数年前、ディズニーランドに行った時のことだ。ミッキーマウスと写真が取れるという部屋に娘と入った。筆者もテレビ屋だからこういうことには慣れているが、不覚にも「ミッキーにはオーラ」があったと感じてしまった。
考えてみれば「人間がはいったただのネズミのぬいぐるみ」である。でも何故かスターのオーラを感じてしまったのだ。訓練された微妙な動き、大人にも子供にも受けが良い絶妙な大きさ、そして慎重に厳格に守られたイメージ。無から有を作るというが、ミッキーにはそういうディズニー社の積み重ねがある。
浦安のディズニーランド、フロリダのディズニーワールド、ユニバーサルスタジオ、アナハイムのディズニーランド、大阪のユニバーサルスタジオ、オーストラリアのワーナーブラザーズスタジオ・・・筆者もエンターテイメントの原点の様な遊園地に行くのが大好きだが、何度も行ってしまうのは「浦安」である。
やはり、国内にあり手軽に親子で行けるのが良いし、創業時からある「パイレーツオブカリビアン」とか「ジャングル・クルーズ」は考え抜いてあるので3年に一回ぐらい乗っても不思議と飽きない。恐ろしい長寿アトラクションである。また、出し物に刺激があり過ぎないのも良い。
ただし、ディズニーランドの唯一の欠点は「ランド」を出て少し経つと、ファンタジーと夢が消えて行く点である。
最後に新遊園地構想について無遠慮な筆者は、ジブリの鈴木さんにこう聞いてみた。
筆者「鈴木さん。ジブリ・ランド作らないんですか?。」
鈴木「ふ~ん。そういう話いっぱいあったんすけどね~。」
と言って微笑んで貧乏ゆすりして煙草をふかしている。・・・筆者も作らなくても良いとおもった。そこにはジブリならではのこだわりとブランド戦略があるのかもしれない。
小説家レイモンド・チャンドラーが探偵小説でフィリップ・マーローに言わせたていたように。
「金の為にすることと、しないことがある。」
そう。すべて金儲けで良いモノができるわけでもないのだ。
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かつてスタジオジブリの宮崎駿はこう語ったと言われる。
「ウォルト・ディズニーの最高傑作はディズニーランドである」
宮崎駿がディズニーのアニメーションを研究し尽くしていたのは想像に難くないが、筆者はアニメの専門家ではないので、宮崎アニメにディズニーアニメがどういう影響を与えていたのかは、分析できない。
むしろ、筆者としては、宮崎さんのことだからはウォルト・ディズニーが第二次大戦中に反ナチスや反日の戦意高揚映画を作っていたことに嫌悪感を抱いているかも?と推論している。
それは、ディズニー社とは強調してはいるが「アニメーターとしてのウォルト・ディズニー」に疑問符を持つ宮崎さんの諧謔を込めた一言だったのかも知れない。
だとしても、宮崎駿の言うとおり遊園地「ディズニーランド」はよくできている。筆者はかつてジブリの鈴木敏夫さんと「ディズニーランド」について話をしていたをしていたとき、ウォルト・ディズニーの発想の何が飛びぬけているのかの議論になった。そのとき鈴木さんがこう言った様な記憶がある。
「おそらく視覚・聴覚・触覚、そして3D的効果、360度がディズニーの世界になっているからですかね~。」
確かにディズニーランドは一つの世界を作り上げてしまった。頭をいくら回してみてもディズニーの世界だ。劇場映画はほとんど二次元だがディズニーはどこをどう見回しても脳の中がディズニーになる世界を作り出してしまった。
その世界を崩さないために完璧な掃除員や物資を運ぶための地下道まで作ってしまった。植物は完璧に手入れされ、まるで巨大飛行機を操作するためのアメリカ的な完璧なアニュアルも作られた。
「ディズニーランドを作ろう」と言う発想も神がかりだが「完璧なディズニーランドを作り・運用する」のも難しい。アメリカ人はこういうシステマティックな創造物を作るのが大得意である。
数年前、ディズニーランドに行った時のことだ。ミッキーマウスと写真が取れるという部屋に娘と入った。筆者もテレビ屋だからこういうことには慣れているが、不覚にも「ミッキーにはオーラ」があったと感じてしまった。
考えてみれば「人間がはいったただのネズミのぬいぐるみ」である。でも何故かスターのオーラを感じてしまったのだ。訓練された微妙な動き、大人にも子供にも受けが良い絶妙な大きさ、そして慎重に厳格に守られたイメージ。無から有を作るというが、ミッキーにはそういうディズニー社の積み重ねがある。
浦安のディズニーランド、フロリダのディズニーワールド、ユニバーサルスタジオ、アナハイムのディズニーランド、大阪のユニバーサルスタジオ、オーストラリアのワーナーブラザーズスタジオ・・・筆者もエンターテイメントの原点の様な遊園地に行くのが大好きだが、何度も行ってしまうのは「浦安」である。
やはり、国内にあり手軽に親子で行けるのが良いし、創業時からある「パイレーツオブカリビアン」とか「ジャングル・クルーズ」は考え抜いてあるので3年に一回ぐらい乗っても不思議と飽きない。恐ろしい長寿アトラクションである。また、出し物に刺激があり過ぎないのも良い。
ただし、ディズニーランドの唯一の欠点は「ランド」を出て少し経つと、ファンタジーと夢が消えて行く点である。
またディズニーランドに行ったからと言ってその後、人生に決定的な変化が起きる訳では無い。一方で、二次元メディアに過ぎない映画には、もしかすると作品によっては観賞者の人生を変えてしまう力がある事がある。
最後に新遊園地構想について無遠慮な筆者は、ジブリの鈴木さんにこう聞いてみた。
筆者「鈴木さん。ジブリ・ランド作らないんですか?。」
鈴木「ふ~ん。そういう話いっぱいあったんすけどね~。」
と言って微笑んで貧乏ゆすりして煙草をふかしている。・・・筆者も作らなくても良いとおもった。そこにはジブリならではのこだわりとブランド戦略があるのかもしれない。
小説家レイモンド・チャンドラーが探偵小説でフィリップ・マーローに言わせたていたように。
「金の為にすることと、しないことがある。」
そう。すべて金儲けで良いモノができるわけでもないのだ。
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