「自分の親が認知症と言われたらどうしよう…」
そんな漠然とした不安はあったとしても、いざ認知症や介護が必要になったときに考えればいいと割り切ったり、そんなことは考えたくないと目を背けようとしたりすることがあるかもしれません。
また、親が「認知症」と診断されたとしても、「何かの間違いだ。
人は、初めて経験する物事に直面したとき不安が強くなり、緊張が高まります。どうして良いかわからなくなり、頭が真っ白になるという人も少なくありません。それが積み重なると、苛立ちや怒り、強い悲しみや疲弊につながることもあります。
「もっと早くに考えておけば良かった」「知っておけば良かった」
加齢や認知症等によって介護が必要になったご家族の方からよく聞かれるフレーズです。
本記事は、認知症や介護を遠い存在だと感じていらっしゃる方が「自分ごと」として考えるキッカケになればと思い、執筆しました。また、実際「認知症」や「介護」と向き合いつつも、今一つ受け入れられない方には、読んでいただいたことで「少し気が楽になった」と感じていただけるとうれしく思います。
【事例】親が認知症と診断され、悲観的に…
Aさんは、自宅で長女のBさん夫婦とともに暮らしていました。しかし、もの忘れが始まり、内服管理ができなくなりつつありました。そこで、ケアマネージャーのアドバイスもあり、老健のショートステイ(短期入所療養介護)の利用を開始することになりました。
まず利用前の健康診断のため、とある医療機関を受診しました。各種検査を終え、診断結果を聞くためにAさんとBさんが診察室に入ると、医師より次のような診察結果の説明がありました。
「頭部CTを行ったところ、脳の萎縮が見られます。
Bさんは「アルツハイマー型認知症ですか…うちの母が…」と驚きの声をあげたそうです。その後しばらく絶句してしまいました。
Bさんは受診後に私の働く施設を訪れ、上記の説明をしてくれました。表情は硬く、「母はこれからどうなってしまうのか。認知症になったら人生は終わり」という言葉を繰り返しました。
2004年に「痴呆」から「認知症」へ
今、認知症という言葉は多く世に知られ、その言葉を知らない人は少ないでしょう。
その昔、認知症は「痴呆症」と呼称され、「おかしなことをする人・何もわからなくなった人・どうしようもない人・馬鹿げたことをする人」などと捉えられていました。
ですが、「痴呆」という言葉は「正しく状態を表しておらず、かつ侮蔑的表現である」ということが問題になり、2004年に厚生労働省の用語検討会において、「認知症」に言い換えることが決定しました。
しかし、呼称は変わっても、その捉え方はなかなか変わっていないように感じます。
Bさんは、認知症を過去に流布していた意味で捉えてしまい、「お先真っ暗だ」と感じてしまったのです。
しかし、たとえ認知症と診断されたとしても、古くから考えられている痴呆とはほど遠いことがわかります。
認知症の方が自身で語った言葉を挙げてみましょう。
- 「認知症になっても人生は終わらない」
- 「誰かと話したい」
- 「何かしてほしいわけではない。ただ…普通に生きたい」
- 「自分も役に立っているんだって思いたい」
- 「認知症の人は普通の人です」
- 「私たち抜きに私たちのことを決めないで!」
- 「忘れちゃうけど、今、なんとかなっている」
- 「うまく言えないけど、話したいことはたくさんある」
- 「社会の一員として、何かの役割をもちたい」
- 「認知症になっても、できることをして、存在理由を確かめながら生きていきたい気持ちは、普通の人よりも人一倍強いです」
このように、認知症の方は決して何もかもわからなくなっていたり、何もできなくなっているわけではありません。認知症になったとしても、人生が終わりだと捉えることは誤りだとわかります。
介護者側に必要な視点とは
悲嘆に暮れるBさんと私は面談を重ねました。
私は彼女の思いや考えを聴き、受け止めつつ、以下のポイントを大切にして、話を積み上げていきました。
- 認知症になったからといってAさん自身の存在が変わるものではないことを伝える。診断前と診断後のAさんの状態に大きな変化はなく、大きく変わったのは、BさんのAさんに対する見方や考え方ではないかという点に気付いてもらう
- Aさんと認知症を切り離して考えることで、認知症に対して冷静に考えることができると伝える
- 認知症を知り、正しく受け止めることが大事だと伝える
- 脳が司っている行動や言動を考え、機能に異常が生じたときに、どうなるかをイメージしてもらう
- 認知症になっても何もかもできなくなったわけではなく、適切な支援によって生き生きと暮らしている人たちがたくさんいるという事実を伝える
- 困ったときは、専門家である私たちを活用すれば良いということを伝える。長い距離を走るためには時に休憩し、時に水分やエネルギーを補給する必要があるが、介護も同じであると説明する
Bさんの考えを否定しないよう留意しつつ、これらを丁寧に繰り返し伝えながら、向き合っていきました。
当初は「そうはいってもね」という反応だったBさんでしたが、次第に「それもそうよね」に変わり、「そういう考えもあるわね」「認知症になっても、母は母のまま。ものは考えようだね」と表情に明るさが戻っていきました。
Aさんの認知症は、徐々に進行していきましたが、認知症が引き起こすとんちんかんな言動を笑って流せるようになったとBさんは私に話してくれました。
人間は時間とともに変化するもの
私にとっても両親の存在は大きなものです。ただ、私の両親も年齢を重ねるとともに、老いを感じさせるようになりました。
私は介護を生業にしているので、ある程度の知識や選択肢を一般の方よりも多く持っています。それでも、自分以外の誰かの生き方を自分が決めざるを得ないということは、とても重いことです。
だからこそ、ときどき親と一緒にこれからどう暮らしていきたいか、万が一認知症や介護が必要になったときにどうしたいのかを話すようにしています。
コミュニケーションを十分に取り、親が「こう生きたい、こう暮らしたい」ということを少しでも知っていれば、現実を受け止めることができたり、折り合いをつけられたり、決断の後押しになると考えるからです。
「人間は時間とともに変化する」
年を重ねれば心身機能が老化していき、やがて死を迎えます。これは避けては通れない道です。
誰もが辿る道であるからこそ、他人事と考えず、我が事として考えることが大事なのだと、ぜひお伝えしたいと思います。
