2020年、安楽死を望んでいたALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性患者を2人の男性医師が死に至らしめるという事件が発覚し、医師らが逮捕された。報道によると、患者と医師はSNSで知り合い、さらに患者が医師の口座に150万円前後の金額を振り込んでいたという。
介護ジャーナリスト・小山朝子氏が、安楽死制度が認められているオランダの事情を解き明かし、日本の読者に問題提起する。寄稿【2022年 オランダからの報告】前編は、安楽死を望む人やその家族に対する情報提供などを行ってきた大規模な市民団体、NVVE(オランダ自発的生命の終結協会)の幹部であるDick Bosscherさん(以下、ディックさん)への取材レポート。
安楽死を実施するまでの「厳格なプロセス」
要件を満たせば安楽死の処置は刑法の罪に問われない
まず、簡単にNVVEという組織について触れておく。現在、NVVEの会員数は17万3000人で、そのほとんどが70歳以上。そのため、毎年約1万1,000人の会員が減少しているが、新しい会員も同時に増え、成長を続けている。
安楽死や自殺の話題がニュースになると問い合わせの連絡が増えるという。NVVEの運営資金は基本的に年額23.30ユーロ(2022年5月末現在、日本円で3,000円程度)の会費と遺産、寄附によって成り立っている。
取材に応じたNVVE(オランダ自発的生命の終結協会)の幹部であるDick Bosscherさんオランダ人の安楽死に対する意識はどうなっているのだろうか。オランダ統計庁(CBS)の2019年のホームページによれば、オランダの成人人口のうち87%が「特定の状況下なら安楽死が可能」と考えているそうだ。一方、8%の人が「すべての状況で安楽死に反対している」とも回答している。ディックさんによると、反対している人たちの主な理由は宗教上のことだという。
安楽死を実施した医師には安楽死法が適用されるが、刑法の罪に問われないための医師に対する要件とはどのような内容なのか。
上記の要件を満たせば、医師は薬の投与、注射といった方法で安楽死の処置をすることができる。日本と違って刑法の自殺幇助(ほうじょ)罪や嘱託殺人罪に問われることはない。
安楽死が行われた後は検死官が検査に訪れる
「オランダにおける安楽死とは、患者本人の要請に応じて生命を終わらせることを目的に、医師が行う医療行為だと理解すれば良いのか」という筆者の問いに、ディックさんは「一般的な医療行為とは考えられていません。そのため、安楽死が行われた後は検死官が検査に訪れ、RTEに引き継がれるというシステムが必要になるのです」と答えた。
RTE(REGIONALE TOETSINGSCOMMISSIES EUTHANASIE)を和訳すると「地域審査委員会」といったところだろうか。RTEは安楽死を施した医師から報告を受ける機関である。報告を受けたRTEはその案件が、安楽死の基準を満たしているか、否かを判断する。
RTEはオランダに5つあり、各委員会は3人の弁護士、3人の医師、3人の倫理道徳に関する専門家で構成され、合計で45人の委員が存在する。委員は公募により選ばれ、健康・福祉・スポーツ省(VWS)と司法安全省(J&V)によって任命される。任期は4年で2期まで可能だ。5つのRTEでは審査方法に差が生じないよう連携をはかっているという。
RTEの調査によると、安楽死の希望者は、2003年と2018年を比べると3倍ちかく増加している。

「2002年に安楽死法がスタートしたとき、安楽死幇助が激増するのではと危惧した人がいましたが、医師は安楽死に対する協力を拒否することができます。2021年に医師に安楽死を依頼した人は16,000人と推定されていますが、実施されたのは7,666回でした。安楽死をする人の70%以上はがんで、しかも人生の最終段階にある人達です」(ディックさん)。
オランダでは制度があるとはいっても「安楽死は易々と行えるものではなく、厳格なプロセスを経なければ遂行することはできない」とディックさんは何度も口にした。
「安楽死制度が成立するまでには医師や弁護士、関係者ら多くの人が努力をし、活動を行ってきた歴史があると力説する。
認知症患者に安楽死を行う場合に起こる問題
認知症を理由に安楽死を実施したのは215件
2021年のRTEの報告書によると、安楽死をした人の疾患で最も多いのはがん、次いで神経系疾患、心臓・血管系疾患、肺疾患、老化、認知症、精神疾患となっている。同報告書によると認知症は215件、そのうち初期の認知症は209件、重度の認知症は6件である。

安楽死の要件のひとつに「絶望的で耐え難い苦しみがある」が挙げられる。では、認知症の人にとっての耐え難い苦しみとはなんだろう。それは医師が定義するものではなく、患者本人が意思表示をするものである。無論、人によって異なるが、その一例として「失禁し、無力になるなど、非人道的な状況に陥ることでしょう」とディックさんは言う。
安楽死の処置中に患者の女性が覚醒した事件も
2020年、オランダでは重度の認知症になり意思表示ができなくなった場合においても「患者がまだ判断能力を有していた時期に作成された書面による事前指示書があれば、安楽死を施しても医師は追訴されない」ことになった。これは、2016年に安楽死を実行した女性医師の裁判によって示された判断である。
事件について簡単に説明しておきたい。
医師は患者の入居前に「安楽死はこの文書に基づいて行うべきだ」と考え、他の医師2人もこれを確認した。医師は安楽死を実施した当日、鎮静薬を入れたコーヒーを飲ませた。昏睡する患者に医師が安楽死の処置を行うための注射をしようとしていた矢先、患者の女性が覚醒し、安楽死が確実に遂行されるまでの間、親族は女性を押さえつけていたという。
裁判で検察側は、医師が患者と十分な相談をしないまま処置を行ったと主張。一方、女性の家族は医師を擁護し、結果的にこの医師は無罪判決を受けるに至った。
穏やかな老後を過ごすためにやっておきたいこと
繰り返し話し合うことすら難しい日本の医療現場の実情
日本では、近年ACP(アドバンス・ケア・プランニング)、いわゆる「人生会議」の認知度が向上している。もしものときのため、自らが望む人生の最終段階における医療・ケアについて前もって考え、家族や周囲の信頼する人たちや医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取り組みのことである。
ただ、「繰り返し話し合う」ことは簡単なようで難しい。現場の医師や看護師が多忙で、患者や家族と十分なコミュニケーションができない。そんな経験を筆者自身も患者家族として幾度となく経験している。また、信頼関係が構築できていない医師や看護師に自分の死について語るのは患者としても気が引けるだろう。
一方、オランダの場合、病気になったらまずホームドクターに連絡をするという「ホームドクター制」になっている。ホームドクターは、まず専門的な診断や治療が必要なのかを見極め、必要でない場合には治療を行う。
ホームドクターと患者は長い時間をかけて信頼関係を構築し、医師は患者の既往歴や性格などを把握している。オランダで8割超の人が安楽死を容認している背景には、ホームドクター制度の存在も大きいと言えるだろう。2021年のRTEの報告書においても安楽死を実施した医師のうち、ホームドクター(ハウスドクター)が過半数を占めている。

ビデオメッセージなど、最期の望みを伝えておく工夫を
NVVEでは「元気なうちに自らの死について話し合い、家族で共有することが大事」というメッセージを掲げている。自分の死について家族や関係者に伝える工夫についてディックさんにたずねたところ、「自分が元気なうちにビデオメッセージを録画しておく方法も有効なのでは」と助言してくれた。
内閣府の推計によると、2025年我が国では認知症の高齢者数は約700万人、65歳以上の高齢者の5人に1人に達することが見込まれている。自分の死に方のみならず、自分が認知症になった場合、どこで誰とどのように過ごしたいのかを、家族やかかりつけ医に伝えておくことは、なにも準備しないでおくよりも穏やかな老後を過ごせる気がする。
筆者は頭の整理をする際にボイスレコーダーを利用することがあるが、自分が高齢期に入ったら、こういったツールを活用して老いの備えをしておくのも良いのではないかと感じた。
自分が認知症になったらどうするか、自分はどのように死を迎えたいかー-。気が重い課題ではあるが、その準備を淡々と進めていこうと考えたらなぜか心が軽くなった。
【2022年 オランダからの報告】後編では、オランダ在住40年以上で安楽死についての著作があるシャボットあかねさん(通訳、コーディネーター、執筆業)にお話を伺う。