これからのことを考えることが増えた

「将来、自分はどうするか?」そんなことを最近よく考える。

将来って言ったって、ボクの場合もう家族に介護されるようになって10年も経っているから、今すぐにでも考えなければいけないことだったりする。いつまでも家で過ごして生活できるのだろうか。

今、在宅でボクがなんとなく生活できているのは、介護保険の限度額がはみ出るほど使っている介護制度上の皆さまと、妻の介護のおかげだ。

妻もボクの年齢は二つ違いなだけで、60もとっくに過ぎている。一昨年ぐらいだろうか、いつまでも若くないと妻が漏らしていた矢先、病気にもなったことがあった。

妻はいつまで自分が元気で、力もちで、気力もある状態でいられるのか、不安の声を漏らすようになった。妻の口癖は、「パパより長生きしないと」で、動けないボクをおいては死ねないと冗談半分でいつも言っている。でも「もしも」を考えると、彼女もちょっと不安に思うことがあるらしい。

ボクが原稿を執筆できているワケ

ボクが発症した10年前のことをお話しよう。1年の入院生活を終え自宅に帰ってきたのは、ボクの選択ではない。残念ながら、その頃の記憶は断片的にしかないけど、自分で書いたこういう文章が残っていてそれが記憶の一部にもなっているようだ。

当時、専門の先生方は口を揃えて施設(あるいは療養型の病院)を進めたそうだ。まあ、当時は自分で食事や排泄もできず、うがいの水だってうまく吐き出せないような状態だったから、それは当然のおすすめだったに違いない。

家族もたくさんの病院や施設へ見学に行ったそうだ。でもピンとくるところがない。

「いいところ」というのもいっぱい見たそうだ。でも、やっぱり家に帰ってきてもらおうということになったとのこと。

今振り返ってみると、「そりゃそうよね、入れる気がないんだからどこ見たって嫌なのよ」だそうである。妻も若かったし、子供たちもまだ独立していなかった。だから、家族で協力してなんとかできるんじゃないか、と思っていた。家に帰ってきて欲しいという気持ちが家族に強かったそうだ。怖いもの知らずだったと。

退院にあたり、もともと自宅に帰る計画はなかったので、ケースワーカーさんたちも大慌てで段取りを組んでくれたそうだ。

我が家で過ごすことは、施設で過ごすよりもボクにとっては過酷な試練の連続だったんだと思う。甘えは許されないから(笑)

でもそのおかげで、いろいろな回復もできた。

施設の方がリハビリの機械とかも揃っているし、その点は家にいるとできなかったことかもしれないねと話すこともあった。それ以外はきっと家の方がいろいろやらなければならないことがあったのでよかったと思う。

仕事もその一つだ。妻の横で、監視付きで原稿を書く。しばらく手が止まれば、資料になるような本を手元に持ってきてくれる。原稿用紙を用意してもらい、ベッドから机に移動。テレビも消して、準備を全てしてもらわなければ、書くことはできない。

取材したことを忘れてしまうことだってある。そんな時は現場で撮った写真を見る。メモを取った汚い手帳を見る。そうやって、ようやく記憶の端っこを思い出せて、そこからずるずると光景が蘇る。

そんなことを横でやってくれる人間がいるから、今だってこうして書いていられる。病院で一人で書けと言われたって、原稿用紙を引き出しから出すことすらできない。

施設で仕事をするのは難しいのかも

2年ほど前に知人が同じような病気になったが、一人暮らしだったためにボクよりも動けただろうけど施設に入った。病気になる前、よくボクの仕事も手伝ってくれていたので、お見舞いに行くたびにボクの仕事を手伝って欲しいとお願いしている。

「いいですよ、お手伝いします」と資料を受け取る。「次にお見舞いに来る時までに」そんな締め切りにするが、仕上がってきた試しもない。

施設は快適で何の不自由もないけど、仕事をする時間はないそうだ。そうだよなあ、ボクだって急かしてくれる人間がいなかったら仕事なんてできないかもしれないなあと思ってしまう。

また、お見舞いに行くと彼は「最近どうですか?何か手伝いましょうか?」そう言ってくれるので「これ1本を1200字ぐらいに削ってくれる?」みたいなお願いする。「いいですよ、やっておきます」そう言ってくれるがどうなんだろう。

次に会う時はやってくれているのだろうか?いつも黒ヤギさんと白ヤギさんみたいだなあと話す。本気でお願いしているけれど、次回も上がってこないかもしれない。

ボクも施設に入る頃には仕事もできなくなっているんだよなあと、考える。

ちょっと前に「神足さんの5年後、10年後のためにいろんな施設取材すればいいのに」そんなことを言われた。ボクも「どんなものか取材したいなあ」なんてと思った。

そう思ったのと同時に、ボクがお世話になるかもしれないという実感もわいてきた。

介護されて10年も経つボクが「自分はまだ」と思っているほうがわがままな話かもなあと思ってみたり。わからないものの存在が大きくはだかった。

5年ぐらい前になるが、いろいろな施設のリハビリについて取材したことがあった。もし入るなら、同じ施設でもリハビリに力を入れている施設がいいと思っていたからだ。

同居している義母のことを考えてみても、足腰が弱って歩くのが困難になったら入居を希望するのかもとは思うが、リハビリをしてくれて少しでも歩く機能を残したいと、ボクは考えてしまう。寝たきりの状態で施設に入るのではなく、せめて現行維持。

まあ、そう思っていてもなかなか難しいのかも知れない。ボクの場合だったら、リハビリをしなくなれば、動かない足はあっという間に拘縮が始まるだろう。

施設への体験取材もしてみたい

ボクの家にはボクよりも20以上年上の義父母もいる。ボクが先か、両親が先か、はたまた施設のお世話になることはないのか?それで、家族に迷惑はかけないのか?そんな選択をしなけれないけない時期ももうすぐやってくるに違いない。

「子ども達に迷惑をかけたくないから、自分で何とか探しておくわ」そんなことを話す知人もちらほら出てきているが、そういう人は大抵まだ50代で元気だ。まだまだ先の話としてそんな会話をする。

80代になった義両親たちは「迷惑をかける前にいつでも出ていく」というような話もするが、実際は家にいたいし、家を離れたくないと思っている様子。妻だってまだまだ家にいて欲しいと思っていると思う。「私、もう本当に無理、無理なの」もし妻がそんな悲鳴をあげるようになったら、ボクもいつ施設に入ってもいいよと思っている。

しかし、なぜこんなに大ごとに感じるのだろう。わからないものに対する不安なのかな?

そうだとしたらもっとわかりやすい「○○施設での生活」みたいな紹介があったらいいのかも知れないなあ。ホテルのコメント体験談のようにリアルなもの。施設の人が書いていてもリアリティーがないから、やっぱり体験取材でもしてみようか。星三つとかチェックしてみるのもいいかも知れない。

こんなに楽しいんだよ、とかこんなこともできるんだよなんていうことがわかったら不安もなくなるかも知れない。金銭的な心配もあるけれど、未知の世界に飛び込む勇気を与えてくれる情報が欲しい。ぜひやってみたいテーマである。

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