将来は義母の面倒を見ると思っていた

今回はボクの理解者の話をしたいと思う。

最近、近しい方が亡くなる事が続いた。自分の親世代が80代や90代に届く年になり亡くなることも寄る年波か。

でも、どうしてもコロナのせいにしたくなってしまう。

同居している義両親はこの2、3年でめっきり体力がなくなった。

昔はあんなに元気だったのに、外出することも減ってしまい人ともなかなか会えなくなった。義母は87歳を迎え、足腰がグッと弱くなって家の中でもよろよろとしている。

そんな母が今必死に「これをしなければならぬこと」と思っていることがなんとボクの食事の用意である。

娘であるボクの妻が仕事で外出していると、ボクのベッドの横に夕食を運んできてくれる。妻がいないというのは、ごく稀な話ではあるのだけど。

妻は帰ってきてからご飯の用意をするつもりらしいのだけど、義母はボクを不憫に思っているのか自分が食べる時間になると食事を運んでくれる。

だが、ベッド上のテーブルに置いてくれてもボクは自力で食べられない。

その事がわかるまで義母も数年かかった。

「なんで自分で食べられないの?」と聞いてくるのは、調子がいいときは自分で箸を使って口に運べるからだ。

それを見ているから「はい、どうぞ」と食事をセットしてくれても一向に手をつけないボクに対して「ママが帰ってくるのを待ってるの?」と困っている様子だ。

ボクしゃべれないので食べられない理由が説明できず、頷くことしかできない。せっかくの好意を無にしてしまう。

体の向きや、テーブルとベッドの位置、食べ物の置き場所…微妙に違っただけで頭が追いついていかない。思考停止してしまうのだ。

「ああ、このままではうまく掬えないかな?」そう思っただけでスプーンを持つ手は止まってしまう。

最近では、話したようによろよろ危なっかしい足取りでお盆に乗せた食事を運んでくる。そして、ボクの横に置いてある車椅子に座ってご飯を口に運んでくれる。二人でテレビを見ながら「はい」と口にあーん。始めはちょっと照れたけれど、この半年ぐらいで母もボクもすごく上手になった。

でも、食べられる量の半分も行かないうちに母もボクも疲れてしまう。「ご馳走様でいいか」お互い同じタイミングでそう感じていると思う。義母からしたら、ボクがお腹がいっぱいになっているかどうかもわからないのだけれど。

義母とそんな関係になるなんて結婚するときは思ってもいなかった。逆になることはあるかもしれないと、同居を決めたときに思っていたのだけれど。いつかは年老いた義母の面倒を妻と一緒に見るんだろうなあと。

自分の母はとっくに亡くなっているが、妻の両親ともいつの間にか家族になっていた。家族になったとはいえ、義母にそんなことをさせるなんて夢にも思わなかった。そんな自分が相当情けなくも感じてしまう。

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長年支えてくれている義母とボク

長い付き合いとなった義母

ある時、義母の妹がやってきて義母と話していた。

「神足の食事の心配や、水飲んでないかなんて考えるのが今の私の仕事。それがなきゃとっくにボケてるか、死んでるわね」義母のありがたい言葉である。

私はこの家でまだやらなければいけない役目があると思って頑張ってくれていたんだなあと思う。それに引き換えなんと情けない婿であることよ。

義母はボクにとって良き理解者だと今更ながら思う。結婚をする前からボクの仕事を応援してくれていたし、まだ野のものとも山のものともわからないボクを家に連れて行った妻。

妻の家にお邪魔すると義母はよく食事をご馳走してくれた。

「好きな物を食べなさい」そう言ってくれた。ときにはボロボロのセーターの穴を繕ってくれたり、帰って食べるもんがないんじゃないかと弁当を持たせてくれたことも。

ちなみに、その頃のボクと妻は付き合っているって関係ではなくて、妻の勤め先に出入りして一緒に仕事をしている学生さんという位置付けだ。

穴の開いたフィッシャーマンセーターをきて腹をすかせた学生さんをまさか彼だなんて思っていなかった。彼女の家と学生寮が近かったので会社帰りの彼女と一緒に帰ってお邪魔していた。

それからもう40年が経つ。長い長い付き合いだ。

「娘にこんな苦労をかけて」とか義母は思ってないのだろうか?少なからずそうは思っているんじゃないかな?と心配になる。

以心伝心、ボクが一言も話していないのにポツポツと独り言のように話す義母。

「ボクが病気になったときは大変なことになったと思って今後のことを心配した。でもなるようにしかならないから、今は明子(妻)がやりたいようにできることを応援するのみ。

家で一緒にいたいと思っている以上そうさせてあげたい。」

八十七の義母が、そう言うではないか。泣いてしまう。本当の理解者だ。

いつまでも元気でいてほしいと思う。

小田嶋さんの作品は必ず読んでいた

最近亡くなった小田嶋隆さんもボクの良き理解者だった。同じコラムニストという生業をしている友人も少なくないが、小田嶋さんは友人という間柄ではない。尊敬する師でもあった。

同じようなラジオ番組や雑誌ですれ違うことを多々あってお互いの作品を熟読していた。ボクは「あ!小田嶋さんのだ」と思えば必ず読んでいたが、小田嶋さんもボクの文章をよく読んでくださっているのを漏れ聞くだけで小躍りしたくなった。しかも的確な感想を述べてくれた。

小田嶋さんの葬式で、亡くなる直前まで小田嶋さんのベッドの横で仕事をしていた方に会った。

「あ、神足さん、今日は会えてよかった。

亡くなる数日前に小田嶋さんが神足さんの話をしてたんですよ。それを伝えたかったんです。授業のため生徒に向けて録音してたんです。そこで神足さんの文章ついてどう素晴らしいか語っておられて」

くすぐったい話ではあるが小田嶋さんの中にボクという存在がその日に出てきてくれたことを光栄に思う。今度録音お渡ししますね。そう言ってくれた。

小田嶋さんは亡くなる1ヵ月前ほどに初の小説を出版された。それを送ってくださって、お礼のやりとりが最後のコンタクトになってしまった。

「ずいぶんお体が悪そうだ」そう思っていたはずなのに、その小説の紹介文を書いたことを知らせないとと思っているだけで、1週間が過ぎた。小田嶋さんのことをあれこれ考えて連絡しなくっちゃと思っていた1週間だ。

小田嶋さんは、亡くなる前、「なんで連絡しなかったんだろう」そう思わせないように近しい人に自分から電話をしていたそうだ。神足さんのこともちゃんと話しておかなきゃって思っていたんだと思います。

お電話できなかったけれど。そう、ボクは話せないからなあ。

小田嶋さんは話せないボクを自分の講演会に呼んでくれて、一緒に登壇するという暴挙も数年前にしてくれた。

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神足さんと小田嶋さん
小田嶋さんの講演会に呼んでくれたときの様子

そこで、「神足さんの昔の文章のように細かな分析と、これでもかの取材を下地に書かれている文章とは今は違うけれど、小さな小さなベッドからの社会の窓から見た神足さんの世界はコピーライターのように切り取られた文章になった。

僕ら同じ職業の人ならわかるけど、本題に入る前に長々と保険のようにいらない文章をつけてしまう。だけど今の神足さんの文章はシンプルで、そんなものがすぱっとない。」と話していた。

そうか、自分でもよくわかっていないけれどそうなのか、と納得した。

亡くなる数日前に話してくれたボクの文章の話もいずれ伺える日も来ると思う。恋人が亡くなったように悲しい。

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